音楽プロデューサー松尾潔 初の長編小説:R&B的大衆小説の存在理由

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音楽業界の舞台裏を描いた異色の小説『永遠の仮眠』(新潮社)が注目を集めている。筆者は音楽プロデューサーの松尾潔氏。日本のR&Bシーンをけん引してきたことでも知られるが、本書は初めて書き下ろした長編小説。松尾氏はどのような思いでこの処女作を書き上げたのか。

松尾 潔 MATSUO Kiyoshi

早稲田大学在学中よりR&B/Hip-Hopを取材対象としたライター活動を展開。当時困難とされたジェイムズ・ブラウンやクインシー・ジョーンズの単独インタビューをはじめ、豊富な海外取材をベースとした執筆活動を続け、久保田利伸との交流をきっかけに90年代半ばから音楽制作に携わる。プロデューサーとして平井堅、CHEMISTRY、JUJU、東方神起、三代目J Soul Brothersらを手がけて成功に導いた。シングルおよび収録アルバムの累計セールス枚数は3000万枚を超す。EXILE「Ti Amo」(作詞・作曲・プロデュース)で第50回日本レコード大賞を受賞するなど、ヒット曲・受賞歴多数。DJを務めるNHK-FM「松尾潔のメロウな夜」は放送12年目をかぞえ、たびたび出席している米国グラミー賞のレポートにも定評がある。2021年2月、初の書き下ろし長編小説『永遠の仮眠』(新潮社)を上梓、その他著書に音楽エッセイ集『松尾潔のメロウな日々』『松尾潔のメロウな季節』など。

文章の先生は志賀直哉

提供楽曲の累計売上3000万枚超という音楽プロデューサー/作詞家/作曲家の松尾潔氏が、53歳にして初の長編小説『永遠の仮眠』を新潮社から上梓した。冒頭から、ブルース・スプリングスティーン、ジョン・ランドウ、アイズレー・ブラザーズ、エレクトリック・レディ・スタジオといった活字の連投が、音楽ファンにとっては眼福だが、音楽ジャーナリズムでもほぼ語られたことのない「ドラマ・タイアップ曲」のプロフェッショナルな制作現場の裏側を描いた貴重な小説でもある。

松尾氏は音楽の作り手となる前には、第一線のR&B研究家/音楽ライターとして活躍していた(音楽ライターとしての松尾氏の特異性については、『松尾潔のメロウな日々』の冒頭に山下達郎氏が適確な文章を寄せている)。音楽書籍の編集者として、私が松尾さんにお会いしたのが2008年の春、そのとき、松尾さんは新潮文庫の『小僧の神様・城の崎にて』を片手に、待ち合わせのグランドハイアット東京に現れた。売れっ子のR&B系音楽プロデューサーと志賀直哉という組み合わせが印象深く、その思い出話からインタビューはスタートした。

「志賀直哉は僕の文章の先生なので、肌身離さず……。小説の内容は別にして、スタイルとしては、志賀直哉とか吉田健一みたいな文章が書きたい、書けるようになったらいいなとずっと思っている。あと、小沼丹がとにかく好き。小沼丹みたいな小説が書ければいいなと」

事件めいたことは起こらなくてもいい

―デビュー作というと、新しい文体を打ち出したり、目新しい刺激的な題材を取り上げることが多いのに、奇を衒(てら)ったところのまったくない、いまどき珍しいオーガニックな小説だと思いました。

僕はエッジの利いたものを手放しで礼賛する人たちを信頼していない。小説にしたって、事件めいた何かが起こらなくてもいい。庄野潤三のように。どこかで見たような情景が美しい日本語で書かれていればそれでいい。「R&Bは似たような曲ばかり」と言う人がいるけど、僕にとっては、素敵な声を持った人が素敵な歌い回しで歌ってくれれば、極端に言うと、メロディーは同じでもいいと思っているぐらいです。

―松尾さんがよく言われている「R&Bは新しさより懐かしさ」ということですね。

誤解のないように言うと、ポップカルチャーとして、何か新しいものが含まれていることは、もちろん大切ですよ。でもそこに懐かしさの粒が含まれていなければ、僕は手を伸ばそうとは思わない。小説の設定にしても、僕だからこそ知り得た音楽業界という特殊な題材を選んでいますが、芸術に取りつかれた人の狂気みたいな、分かりやすいものを書くつもりはなかった。主人公の音楽プロデューサーはいわゆる芸術家肌ではなく、一人の大人として怒りの感情をコントロールできる人物として設定しました。音楽制作においてその怒りを爆発させるのを踏みとどまる時のあがきみたいなところのリアリティは提供できたかなと思っています。

文芸の世界におけるデフォルトとはなにか

―でも、小説としては主人公にしづらい人物ですよね。悟のような音楽プロデューサーは。

書くときに意識したのは、実在した演歌のプロデューサーをモデル(主人公)にした五木寛之さんの「艶歌の竜」シリーズ。あと、なかにし礼さんの『世界は俺が回してる』。こちらも実在の人物を主人公にしています。あとは、パラマウント・ピクチャーズで『ゴッドファーザー』や『ある愛の詩』を制作したプロデューサー、ロバート・エヴァンズの自叙伝『くたばれ!ハリウッド』。そうした作品も意識しながら書き進めた。米国にはそういう類いのプロデューサーを主人公にした小説やドキュメンタリーが結構あるけど、日本では本当に少ない。

―しかも、悟は破天荒な主人公ではないし、お金にも困らず、パートナーにも恵まれ、セルフコントロールのスキルも高い。破綻した人物のほうが小説としては書きやすいと思ったのですが、そうではない。

この前、作家の高橋源一郎さんにも「わざわざ音楽プロデューサーの人が小説を書いて、これだけいろんなものを抱えているのに破綻が起きないというのは、逆に狂っているよ」と言われました。文芸の世界におけるデフォルト(初期設定)とは何か、あらためて考えさせられましたね。

松尾潔 撮影:高山浩数

―だから、一言で感想を言うのが難しい小説だなと。

「(装幀の)岩ちゃん(EXILEの岩田剛典)のファンです」という読者にも手にとっていただきたいし、誤読の余地なく楽しんでもらいたいという気持ちと、そんなに簡単に分かってもらっちゃ逆に申し訳ないという、アンビバレント(相反する感情や考え方を同時に心に抱いている様)な気持ちもある。大滝詠一さんの『A LONG VACATION』は、音楽的狂気を帯びた人間が周囲の人間を巻き込んで作り上げていった、でも限りなく耳に滑らかなアルバムです。ただ、聴けば聴くほど、あれがどんなに屈折した人間が作ったものかということがよく伝わってくる。伝わる人には、ですが。

僕の小説もそうなるといいなと思いつつ、ディテールを書き込んでは削ってを繰り返しました。編集者も気が狂いそうになっていたと思います。執筆に要した6年間のうち2年間はそんな作業だけをしていましたから。歯がゆいのは、音楽はとりあえず1曲聴いてとお願いしたら3分間くらいは聴いてもらえるんだけど、小説は「1時間与えるから読んで」と言われても、読まない人は読みませんよね。目を通すと読むは別というか。だからこそやり甲斐もあるんですけど。

R&Bは米国では普通の歌謡曲

―松尾さんが音楽ライター時代に言語化してきた音楽、たとえばルーサー・ヴァンドロスのような洗練された黒人音楽は、メッセージ性のあるソウル・ミュージシャンや黒人音楽のルーツに根差した音楽と比べて、ロック主体の音楽評論の世界では評価されづらかった印象があります。松尾さんの愛するR&Bは、ロックやジャズとは異なり、活字との相性がよくなかったと思う。そこを松尾さんはずっと「これこそがいいんだよ」とやってこられた。

いま視覚文化研究者としてご活躍されている佐藤守弘さんと、お互い学生時代に西荻(東京・杉並区)あたりのミュージックバーで会ったことがあるんです。その時、彼がライオネル・リッチーの良さを言語化しようとする人間がいることに驚いていたということを、ずいぶん後になって知りました。

―あの時、ライオネル・リッチーを熱く語っていた男が、今、多方面で活躍していると。

日本においては今、シティ・ポップは語る対象になったけど、昔は違った。忌野清志郎論や井上陽水論はあっても、たとえば杉山清貴論はなかった。僕がやろうとしていたのは、その洋楽版だったのかもしれない。R&Bアーティストの中で特にライオネル・リッチーが好きなわけでもなくて、ライオネル・リッチーでさえ評論の対象になるよ、というのが本意でした。

―そこが一貫しているなと思いました。今回の小説でも、しつこくR&B的世界を構築しているな、と思いました。他にたとえられない、R&B的なマインドとバランス感覚で書かれている、日本で初めてのR&B小説になっているのかなと。この小説はロック的でもパンク的でもない。

それはすごく本質的な話で、「あの人の生き方はロックだね」とか「パンクだね」「彼ってジャズ・オヤジって感じだね」とか、ロックやジャズはキャラクターの説明にも使われるぐらい浸透している。だけど、「あの人はR&Bだから」と言われても、「それ、どういう人?」という話になる。米国に行くとR&Bというのは普通の歌謡曲です。なのに、日本では、R&Bは極端な言い方ですけど、アウトサイダーの音楽だったわけです。僕のような、こんなに普通の生活者がアウトサイダーって言われている日本は、世界のポップカルチャーの中で言うと、どれだけガラパゴスなのか。まあ、そこが面白いとも言えるんですけど。

読むのも楽しいけど、書くのも楽しい

―しかも、松尾さんがやってこられたことは、アウトサイダーアートという言葉でも、サブカルチャーの文脈でも語りえない大衆歌謡なわけで……。

だって、「R&Bなんて、あんなのワインとか飲みながら聴く音楽だろ」ぐらいの感じにしか思われてこなかったんだから。こんなに真っ当なポップミュージックを聴いているのに、ここまでマイノリティな意識を味わうという矛盾は何なんだろうなって若い時から思っていました。それ自体が、アメリカにおけるアフリカン・アメリカンの懊悩(おうのう)とつながっているわけですが。だから、プロデューサーになった時は、いい音楽を作るのは当たり前で、とにかく売れて数字を出すしかないと。音楽はメロウだけど、そこだけはパンクな精神で作ってきたと思いますよ。

―小説もこれまで作られてきた音楽同様、幅広い層の読者を意識されているのですね。

『永遠の仮眠』(松尾潔著 新潮社)書影
『永遠の仮眠』(松尾潔著 新潮社)書影

とにかく、だれもが読んだ後に生きることを肯定したくなるような小説を書きたい。きちんとヒットさせたい。別に生活に困っているわけではないけど、50歳過ぎての新人作家ですから、ある程度の結果を残さないと2作目、3作目はないでしょうし。一読者として小説という芸術形式に魅了されてきましたが、小説を書いてみたら、「読むのも楽しいけど、書くのも楽しいな」という気持ちになった。これからも小説を書き続ける場を与えてもらうためには、最初からヒットを打っていきたい。「よくわからないけど、ホームラン打てちゃいました」ではなくて、「残念ながらシングルヒットだったけど、感覚をつかめたんで、次はホームランにできます」とか、「次もヒットにできます」と言うほうが、僕なんかからするとカッコいい。

―小説の中には、音楽制作にまつわるアフォリズム(警句)もたくさん登場しますね。今回、お話をうかがって、松尾さんはある意味特異な書き手だと思いました。そんな人はいないという意味で。

そうかもしれませんね。だからそういう特異な部分を小説でも武器にできたらいいですね。

撮影:高山浩数

なかにし礼 『永遠の仮眠』 志賀直哉 庄野潤三 五木寛之 吉田健一 小沼丹