【書評】地上の楽園の裏面史:黄インイク著『緑の牢獄 沖縄西表炭坑に眠る台湾の記憶』

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かつて西表島に炭鉱があった。密林のなかで、日本人だけでなく、台湾人の労働者も集まり、「黒いダイヤ」石炭を掘り出す「ヤマ」の仕事に従事した。「自然の楽園」のイメージが強い西表島だが、密林のなかで、過酷な労働を強いた炭鉱は「緑の牢獄」とも呼ばれた。閉山から半世紀以上を経て、そのベールを剥がすルポルタージュが現れた。

「西表島」と聞いて、何を連想するだろうか。

おそらく大半の人は、特別天然記念物である「イリオモテヤマネコ」を思い浮かべるのではないだろうか。

西表島は石垣島の西側にあり、八重山諸島で最大面積を持つ。島は原始林に覆い尽くされ、2400人ほどの住民がごく僅かな平地に暮らす。

産業の軸は観光業。空港のない島への移動はフェリーに限られる。亜熱帯気候のため、年間を通しマリンスポーツやトレッキングなどを楽しむ人が多く訪れている。近年は大型リゾートホテルも建設され、都会の暮らしに飽きた観光客が非日常を堪能できるリゾート地としても人気が高い。

外界と隔絶した桁外れの自然の豊かさゆえに「東洋のガラパゴス」とも称賛される西表島が、なぜ「緑の牢獄」と呼ばれたのか。名前の由来となったのは、戦前の明治期に開発された「西表炭坑」だという。

忘れられた炭鉱の生き証人

本書は、西表炭鉱と関わってきた生き証人であるひとりの老女——橋間良子さんを通し、かつて西表島にありながら、ほとんど忘れ去られてしまった炭鉱の歴史を丹念に描いたノンフィクションである。

橋間良子さん、© 2021 Moolin Films, Ltd. & Moolin Production, Co., Ltd.
橋間良子さん、© 2021 Moolin Films, Ltd. & Moolin Production, Co., Ltd.

作者である台湾人の黄インイク氏の本職はドキュメンタリー映画監督であり、作家としては初めての著書になる。本書の出版から少し後に、同名の映画『緑の牢獄』(GREEN JAIL)が公開される予定だ。書籍と映像、それぞれが別の角度から炭鉱を描き、補いあう形の内容となっている。

主人公の橋間良子は、周囲の人々から「橋間おばあ」と呼ばれた。1926年の日本統治下の台湾で生まれ、11才の時、西表炭鉱で働くことになった養父母と共に島に渡った。2014年に取材を始め、2018年に92才で天寿を全うするまで、作者は炭鉱の生き証人・橋間さんに向かってカメラを回しながらメモを取り続け、西表炭鉱に働いてきた台湾人鉱夫の記憶を辿っていく。

本書からまず浮かび上がるのは、過酷な労働条件に加え、マラリアが蔓延する劣悪な衛生環境で「牢獄」と呼ばれた炭鉱から島外へ逃げ出そうとした坑夫たちの姿であり、島に住む人々の暮らしぶりだ。第一章で、作者は橋間さんとの出会いを次のように振り返っている。

「2014年1月に私は初めてここを訪れ、当時88歳だった橋間おばあにインタビューをした。(中略)白浜村での橋間家の暮らしは戦前の炭坑時代に始まる。戦後にいったん台湾へ戻ったものの228事件の起こったその年に再びこっそりと西表島へ戻ってきた橋間家の人々は、米軍政府統治下での『八重山開発』時代、そして本土復帰後の様々な変化をつぶさに見てきた。その記憶と、この島に根を下ろしたいという台湾人の願い――自分の属する空間を作り上げるために粘り強く続けられてきた努力、そういったものがこの家には厚く降り積もっている 」

炭鉱閉山後も、橋間さんは台湾に戻らず、西表島で暮らし続けた。その理由を知るために、作者は西表島への台湾移民の実情を掘り下げていく。

日本留学で八重山への台湾移民を研究

作者は台湾の大学に在籍していた際に、日本に移民した台湾人が多く暮らす八重山諸島の存在を知り、日本への留学を決めた。留学先の東京から足繁く沖縄に通い、「八重山諸島の台湾移民」というテーマを定めた。その取材対象のひとりに橋間さんがいた。

地理的条件から、八重山諸島や九州の炭鉱には、台湾人が移入しやすかった。戦後もそのまま台湾に戻らず、島に定住する人たちもいた。橋間さんの一家はまさにそのような背景の中での移住者だ。

西表島、© 2021 Moolin Films, Ltd. & Moolin Production, Co., Ltd.
西表島、© 2021 Moolin Films, Ltd. & Moolin Production, Co., Ltd.

映画は橋間さんの独白に、過去の映像資料や再現ドラマが挿入されるような形で作られており、主人公は最後まで橋間さんである。一方、本書の語り手は作者自身であり、橋間さんの言葉から派生して、作者が独自に調査を広げた内容や、映画に対する思い、創作のポリシーなどが盛り込まれている。

台湾の炭鉱と西表炭坑のつながり

特に、西表炭鉱と、西表炭坑と関係する台湾の炭鉱の歴史についての詳述は、日台の繋がりを知るひとつの端緒として大変読み応えがある。というのも、西表炭坑にはあまり輝かしい時代がなく、まとまった記録も少なくて記憶は風化しており、その意味で、この作品自体が歴史的な発見だとも言えるだろう。

西表炭坑は1886年、三井物産株式会社によって正式に採掘が始まったが、三井は10年も持たずに撤退した。その後は小さな企業や個人の請負業者が開発を行い、九州や本島、台湾、朝鮮などの各地で坑夫を募集し、1936年から1937年が最盛期だった。だが、前述の通り、厳しい採掘環境と自然条件から多くの人々が命を失い、石炭価格の下落もあって、1960年に閉山した。

「人は言うのよ、西表に行くのは墓場に行くってことだ!って。ここへ来ればみんな死ぬんだ!いったい誰が来たがるんだ?って」

インタビューに答える橋間さんの言葉は厳しく、悲しい。しかし、台湾人の誇りを失うことなく生き続けてきた橋間さんと接することで化学反応を起こし、作者の筆は大きな時代背景の描写に広がっていく。

西表島で五十年以上暮らしてきた橋間さんだが、映画の中での受け答えの多くは流暢な台湾語を用いている。日本語を使う島のなかで暮らしていても、忘れることのない母語。台湾人でありながら、台湾で帰る場所を失った者であり、日本人でありながら、本当の日本人になりきれない者。時代によって切り裂かれ、空白地帯に取り残されたのが彼女であると作者は考えた。

作者は橋間さんの記憶の真実を確かめるため、西表島炭鉱の跡地だけでなく、西表炭鉱と関連があるほかの炭鉱遺跡までくまなく巡った。西表島の西側に位置する離島、内離島もそのひとつだ。ここにも炭鉱があった。

「内離島に上陸する前に、私は心の準備を繰り返してきた。だが常に感じていたのは、歴史に対する理解が深まれば深まるほど、そして調査を深めれば深めるほど、むしろその現場へはますます近づきがたくなっていくということだ」

「炭坑廃墟の大半は、既に蝙蝠の洞窟と化してしまっている。坑の中に溜まった水には泥が沈殿し、蝙蝠の黄色い屎尿が混じっているし、坑口から更に奥へと進む場合は大抵、蝙蝠が飛び交う中を突っ切る羽目になる。私のような小心者がびくびくしている横で、張先生はいつも泰然自若と歩いていた 」

「張先生」とは作者に同行していた台湾の炭鉱研究者。廃墟同然の炭鉱遺跡を目の前に、探究心と恐怖心で葛藤することを率直に述べた感想だ。最終的には、「空間の記憶を肌で感じることができる足を使ったフィールドワーク的思考法は、ドキュメンタリーの作り手にとっては必要な工程」だと自分に言い聞かせ、果敢に撮影に挑戦しているところがたくましい。

西表島のもう一つの顔

その暗い歴史のゆえか、関係者や当事者の多くが口を閉ざしてきたため、西表炭鉱と台湾の炭鉱とのつながりや台湾人移民について、映画では表現しきれなかった多くのエピソードが本書に盛り込まれている。ドキュメンタリー撮影とは異なる執筆にチャレンジした本書によって西表炭鉱と台湾の歴史が紐解かれ、台湾人アイデンティを持ったまま、西表島で生涯を終えた橋間さんが人々の記憶に残っていくことを願いたい。観光地としてしか知られていなかった西表島の裏面史を教えてくれる一冊であり、映画と組み合わせて読むことでより立体的に「緑の牢獄」の実態を捉えることができるだろう。

序章の言葉が、私の心にいまも深く突き刺さっている。
「映画『緑の牢獄』は完成し、私の手を離れた。そしてこの本は、恐らくその頃の私とそれら全ての記憶をこの世に留めておくための長い長い別れの手紙になるのだろう」

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緑の牢獄 沖縄西表炭坑に眠る台湾の記憶

黄インイク(著)、黒木夏兒(訳)
発行:五月書房新社
A5判:336ページ
価格:1980円(税抜き)
発行日:2021年3月13日
ISBN : 978-4909542328

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