【書評】長崎を象徴する一品の魅力と歴史:陳優継「ちゃんぽんと長崎華僑 美味しい日中文化交流史」

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街のどこでも見かける「長崎ちゃんぽん」。一見、中華料理のようだが、伝統的な中華料理のジャンルに入らないような気もする。長崎中華街の伝説的人物の子孫が明かすちゃんぽん誕生秘話には、日本と中国の食文化交流の面白さという「うまみ」をたっぷり含んでいる。

長崎中華街の代表格「四海楼」が生みの親

「長崎ちゃんぽん」といえば、大半の読者が思い浮かべるのは「リンガーハット」の名前に違いない。同社の経営者は鳥取出身で、1970年代から長崎を拠点にチェーン展開に成功した。いまや「リンガーハット」は約600店舗に達し、「ちゃんぽん」の知名度を全国区にした。一方、麺料理としての「ちゃんぽん」を始めたのは誰だろうか。実は中華料理には、ちゃんぽんという名前の麺料理はなく、ちゃんぽんと似ている麺料理もなかなか見当たらない。

その謎への回答が。本書には記されている。ちゃんぽんの創始店は、長崎市にある中華料理店「四海楼」とされている。私自身、店を訪れて食べたこともある。この本では「四海楼」の創業者の孫にあたる陳優継氏が自ら筆をとってそのルーツを明かしている。

日本で中華街があるのは、横浜、神戸、そして長崎。四海楼は長崎中華街の代表格であり、長崎港に面した一等地にそびえる5階建ての店舗は他を圧した風格がある。店内からは長崎の海が見渡せる。観光客や地元の家族連れでランチの時間はいっぱいになり、客の多くが注文するのがちゃんぽんだ。四海楼のちゃんぽんは、スープのミルク色が濃く、錦糸たまごが上に乗っているところが特徴で、もう一つの名物「皿うどん」とともに値段は972円で麺類としては少し高めだが、満足度は十分。ぜひ、もう一度食べたい。

中国から裸一貫で

著者の祖父は陳平順といい、本書によると、福建省から長崎に「19歳のとき、蝙蝠傘一本もって長崎にきた」と伝えられている。これは、裸一貫で人生を賭けて日本に来た、ということを意味している。徒手空拳で海外に渡った中国人は「三つの刀」、包丁(料理)、剃刀(理髪)、ハサミ(裁縫)をまず手がけると言われる。1892(明治25)年、長崎に着いた陳平順が選んだのはハサミで、反物の行商を最初は行い、資金をためると、26歳でハサミを包丁に持ち替えた。四海楼の創業である。

「人は食べ物によって生きる意欲が湧いてくる」と考えていた陳平順にとって、飲食業は天職だった。「人は食べんばいかんけん、食べもん屋は無くならん。そいけん良かとさ。そいに食べた人に喜んでもらえる」とよく語っていたという。

だが、当時は貧しい時代。いかにお腹いっぱい、安く食べてもらえるかを考え、試行錯誤の末に生み出したのがちゃんぽんだった。オードソックスな「湯麺(タンメン)」をベースに、海産物の豊富な長崎らしくエビやイカ、かまぼこを入れ、もやしやキャベツなど当時の日本ではまだあまり知られていない海外から入ってきた野菜も入れた。

スープは鶏ガラだけではなく、豚骨を加えて炊き上げて白濁させた。保存にも効く唐灰汁(とうあく)を入れ、うどんに近いような食感のある太麺にした。こうして完成したちゃんぽんは、普通のラーメンよりずっと栄養価が高く、「ちゃんぽん一杯でニキビが10個増える」と言われるほど喜ばれた。

名前の由来は?

謎なのは「ちゃんぽん」という名前の由来だ。発売当初は「支那饂飩(しなうどん)」としてメニューに載っていたが、いつからかちゃんぽんに変わった。発明者の一族である著者も明確な結論は出せていない。本書が有力な説として紹介しているのは、陳平順の出身である福建省では「吃飯」という言葉の発音がちゃんぽんに似ていることだ。福建地方の発音では「シャポン」となると著者は記しており、ちゃんぽんと似ていないことはない。

一方、私は、個人的にこの名前は「混ぜる」という概念からきているのではないかという気がしている。日本語で「ちゃんぽん」はごちゃまぜにするという意味で使われているが、琉球方言でも「ちゃんぷるー」は炒める、混ぜる、という意味だ、さらに、沖縄よりさらに南に行くと、マレー語でも「ちゃんぷる」は混ぜる、炒めるという形で使われる。

その海洋文化の「まぜる」が長崎に伝わったのではないかと想像したくなる。今日の日本でも異なるお酒を混ぜて飲むことを「ちゃんぽん」と言うのは、その原意が伝わっているからではないだろうか。

斎藤茂吉や坂口安吾も言及

本書によれば、四海樓のちゃんぽんは多くの著名人にも喜ばれ、看板娘だった陳平順の娘・玉姫と斎藤茂吉との間の友情(愛情?)秘話などもあり、斎藤茂吉のエッセイにもちゃんぽんや四海楼のことが登場する。長崎を訪れた文人にとってちゃんぽんは「必食」だったようで、ちゃんぽんの話題を通して、近代日本と長崎の関わりが本書からは浮かび上がってくる。

作家の坂口安吾は著書『安吾の新日本地理』のなかに収められている短編小説『長崎チャンポン』で、訪れた長崎でのちゃんぽん体験を書いている。

「長崎の街を散歩して、ちょっと手軽にヒルメシを食いたいな、お八つ代りに何かちょっと腹に詰めておきたいな、というような際に、長崎ならばチャンポン屋というものがあって、そういう時にはこれに限るというようになんとなく市民のお腹が生まれながらにしてそう考えているようだ」

安吾のチャンポン描写はさらに続き、「多量のキャベツやキノコや肉などを原料に支那と日本の中間的なウマニに似たものである」として、麺の味わいもまた「日本のうどんと支那のウドンのアイノコのようなもの」と評している。もともとのちゃんぽんの料理名が支那饂飩だったことを考えれば、まさに日中食文化の合体という料理がちゃんぽんなのである。

開かれた都市・長崎の象徴

長崎は造船業の発達で経済も豊かになったが、そのために原爆投下のターゲットにもなり、陳平順の一家にも被爆した者が出た。戦後は子孫たちが復活させ、いまも長崎を代表する中華料理店として、ちゃんぽんを味わう多くのお客でにぎわっている。

ちゃんぽんは、長崎という都市を象徴するような料理だ。江戸時代、日本は鎖国していたと言われるが、そのなかでも長崎は海外に開かれた窓の役割を担っていた。長崎は九州の北西部にあり、中国や朝鮮半島に近い地理的な優位性から、中国や西洋の優れた文化が長崎経由で日本に伝わった。中国の漢学もオランダの蘭学も長崎経由で、江戸や全国に広がった。

料理もまた例外ではない。ちゃんぽんだけでなく、ヨーロッパ発祥のカステラも同様だが、多くの食べ物が、海外から長崎にもたらされ、長崎を通して、日本国民が親しむ味になっている。本書で描かれる陳家のファミリーヒストリーは、ちゃんぽんという料理を通して、日本の近代や日中交流史を考える多くのヒントも提示してくれている。

ちゃんぽんと長崎華僑 美味しい日中文化交流史

陳優継(著)
発行:長崎新聞新書
新書判:222 ページ
価格:1257円(税込)
発行日:2009年10月7日
ISBN: 9784904561089

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