【書評】『深夜特急』の原点になった16歳の一人旅:沢木耕太郎著『旅のつばくろ』

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旅人たちのバイブル『深夜特急』で、ユーラシアを縦横無尽に歩いた沢木耕太郎。その後も『一号線を北上せよ』でベトナム縦断のバス旅を、『イルカと墜落』ではアマゾンで自ら遭遇した飛行機事故を語るなど、海外紀行のイメージが強い沢木氏が、初めて国内旅のエッセイ集を刊行した。折からのコロナ禍で海外渡航が困難な中、本書には我々を国内観光にいざなう旅情があふれている。

「はじめての旅」をなぞる旅

私はどんなに時間がかかっても、飛行機より列車で旅をするのが好きだ。東京駅構内の駅弁屋「祭」であれやこれや迷いながら弁当を決め、ブックショップで文庫本を1冊買って列車に乗り込む。車窓の景色を眺めつつ、駅弁の掛け紙を外す瞬間がたまらない……。

JR東日本の新幹線を利用する際は、座席に搭載されている車内誌「トランヴェール」も楽しみだ。東日本各地の文化・風土を紹介する月刊誌で、たまたま月をまたいで往復する時は、2冊読めて得した気分になる。本書は、同誌に好評連載中のエッセイの中から41編を選び、単行本化したものだ。

同誌にエッセイを寄せることになった経緯を、沢木氏はあとがきの中でこう語っている。

「これまで自分は、ずいぶん異国への旅を繰り返してきた。しかし、日本国内への旅をほとんどしてこなかった。もちろん、日本国内へもさまざまなところに行ってはいる。だが、それは、何らかの用事を携え、用事を片付けるための旅だった。高校生や大学生の頃のように、ただその土地を歩きたいために行くという旅とは決定的に違っていた。これからはもう少し、日本国内を旅してみようか……。そんな折り、JR東日本が発行している『トランヴェール』という雑誌から、エッセイを連載してくれないかという依頼を受けた。私はそれを絶好の機会と見なし、引き受けさせてもらうことにした」

過去の著作やインタビューの中で、沢木氏は自らの旅の原点、すなわち、旅の仕方の基本的な性格を決定づけたものが、16歳の時の「東北一周旅行」だと言い続けてきた。本作の核となるのは、その旅を確かめ直す旅である。

旅を「重層的」に書いてみたい

高校1年の春休み、沢木少年は初めて一人だけの「大旅行」をする。国鉄の東北均一周遊券と3000円ほどのお金を持ち、リュックに毛布を突っ込んで。

どうして東北だったのか。その理由は単純で、当時、東北には長距離の夜行列車がたくさん走っており、宿泊代を浮かすことができたから。12日間の旅で、ねぐらの大半が夜行列車と駅のベンチだった。

「奥の細道」の松尾芭蕉とは逆に、東北を右回りに奥羽本線で秋田に向かう。最初の目的地は男鹿半島の寒風山(かんぷうざん)。その理由もシンプルだった。
「そのときの旅の基本的な方針は、かっこいい名前のところに行くという、ただそれだけだった」

ところが、その寒風山で忘れられない経験をする。山道を歩いて下りる途中、トラックが止まり、おじさんが「あんちゃん、乗んな」と言って乗せてくれた。そして、運転席の前に置いてあったリンゴを「一個持っていきな」と渡してくれた。以来、旅先ではいつもリュックの中にリンゴを1個用意するようになる。

続いて向かったのは青森県津軽半島の龍飛崎(たっぴざき)。ここも名前にひかれたからだった。

龍飛崎からの眺め
龍飛崎からの眺め(PIXTA)

ところが、津軽線で乗り合わせた行商のおばさんたちの会話が一言も分からない。加えて、北の果てに向かう心細さ。ついおじけつき、沢木少年は途中駅で飛び降ると、青森行きの列車に乗って後戻りしてしまう。どんな時でも「旅を面白がる」ことができる沢木氏にもこんな時代があったのだ。

以来、いつか龍飛崎に行きたい、16歳の自分があの灯台に立てていたならどんな感慨を抱いたのか想像してみたい、と思い続けて50年、ついに、その機会が訪れる。果たして今度は、乗客たちの津軽弁を聞き取れるのか――思いをめぐらせながら龍飛崎を目指すことになる。

「新たに北の土地を歩いてエッセイを書くことで、はじめての旅を再構築できるかもしれないと思った。16歳の時の旅がよみがえるかもしれない。あるいは全然よみがえらないということがわかるかもしれない。はじめての旅の記憶が一つの層としてあり、そこに新しい旅をして生まれる層を重ねて書いたら面白いんじゃないかと」

沢木氏は新たな「旅のスタイル」、そして「旅の楽しみ方」を見つけたのだ。

「旅の性善説」の信奉者

最終話「夜のベンチ」で綴られるエピソードも印象的で、旅先での人との出会いを大切にする沢木氏の原点を知ることができる。

岩手県の北上駅で夜を明かすために、待合室のベンチに横になっていた沢木少年に、ホームレス風の男性が近づく。待合室の中にいるのは二人だけ。恐怖に身を固くしていると、男は床に滑り落ちた毛布を拾い、そっと掛け直してくれたのだ。少年は眠ったふりを続けながら、盗人かと疑った自分を激しく恥じる。

「私は、あの16歳のときの東北一周旅行で人からさまざまな親切を受け、それによって、旅における『性善説』の信奉者になった。世の中には、きっと悪い人もいるだろう。しかし、それよりもっと多くの善い人がいるはずだ……」

本書には、東北以外にも、箱根や鎌倉、軽井沢、小淵沢など東日本各地を旅した際の随想が収められている。就職した会社を一日で辞めてフリーランスのライターになり、先が見えない時期のことや、永六輔さんや小澤征爾さんに取材した駆け出し時代のエピソードなども効果的に織り込まれ、エッセイの名手ぶりがいかんなく発揮されている。

人生も旅もツバメのように軽やかに

本書はコロナ禍の最中の4月に出版された。もちろん沢木氏が意図していたわけではないが、海外旅行が困難な状況にあって、本書は我々に新たな気持ちで、国内旅に目を向けさせるきっかけを与えてくれる。「しばらくは国内をひとりで、あるいは夫婦でのんびり回ってみようか」と。

沢木少年が東北一周旅行で利用したのは、旧国鉄の均一周遊券だったが、今も格好の切符がある。それはJR各社が毎年、春・夏・冬に発売している「青春18きっぷ」だ。

沢木氏の国内旅はまだまだ終わりそうにない。
「たぶん、雑誌の連載が終了しても、旅は続いていくことになるだろう。北ばかりでなく、西へ、南へ」
本書あとがきでこう締めくくっている。

ならば彼に倣って我々も、もっと国内旅を楽しもうではないか。そう、人生も旅もつばくろ(ツバメ)のように軽やかに――。

旅のつばくろ

著者:沢木耕太郎
発行:新潮社
四六変型版:213ページ
価格:1000円(税別)
発行日:2020年4月22日
ISBN:9784103275213

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