
幸せな死、不幸な死:村井理子著『兄の終い』
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著者はエッセイストで翻訳家。
琵琶湖のほとりで、家族と平和に暮らしている。
2019年10月、宮城県から1本の電話が携帯電話にかかってきたところから本書は始まる。
「お兄様のご遺体が本日午後、多賀城市内にて発見されました。今から少しお話をさせて頂きたいのですが、よろしいでしょうか?」
発信元は、宮城県塩釜警察署。
小学生の息子と二人で暮らしていた兄が、脳出血のため54歳で突然亡くなったという。遺体の引き取りや葬儀、借りていたアパートの整理、児童相談所に預けられている甥の今後といった、「兄の死」で生じた様々なできごとが、成人している唯一の肉親である著者の元に一気に押し寄せてきた。
兄の死を完結させるため、著者は縁もゆかりもない町、宮城県多賀城市に向かう。
相棒は、兄の前妻“加奈子ちゃん”だ。
著者には、もうひとつ大きな問題があった。
著者は兄を嫌っていて、30年前の父の死をめぐる諍いをきっかけに、時折交わす携帯メールを除けば、交渉をほぼ絶っていたのだ。
亡くなる数か月前にはアパートの家賃滞納をめぐり、「他人」という言葉を投げつけてもいた。
だが多賀城で数日を過ごすうち、知らなかった兄の姿が浮かび上がっていく。
生活保護を受けていたこと。
息子のために再起を期していたこと。
正社員で仕事が決まっていたこと。
そして、家族と過ごした時間を懐かしく大切にしていたこと。
本書は兄の死によって波が立ち、揺れ、溢れそうになる著者の感情が、徐々に平穏を取り戻していく過程を追った、鮮やかで生々しい数日間の記録だ。
言葉で説明できない感情
突然主を失ったアパートの部屋は、強い異臭が漂っていた。
「インスリンの自己注射用注入器が入った箱、大量の飲み薬、発泡酒の空き缶、4リットル入りの焼酎ペットボトル数本、生ゴミの入ったゴミ袋、衣類、カップ麺など、ありとあらゆるものが散乱していた。冷蔵庫の側面には、ほこりまみれの宅配ピザのメニューが吊り下げられ、子どもが好きそうなシールがベタベタと貼られていた」
想像するだけでも、なかなかの光景だ。
それでも履歴書に綴られた文章や、薄汚れた壁に貼られた昔の家族写真などの描写に、「お兄さんは実はいい人なのでは?」と期待してしまうのだが、過去のエピソードを読むとそんな気持ちは吹き飛ぶ。
母の死後、手続きや支払いを終えた著者に対して兄が言った「お前、(葬式で)いくら稼いだんだよ」の言葉。
家族や親類に金を無心し続け、悪びれることもない様子。
縁を切りたいとまで著者が心に決めるには、相当の苦労があったのだろう。
それでも加奈子ちゃんとともに45リットルのゴミ袋に遺品を詰めていくうちに、ときに「言葉では説明できない感情がうねりとなって溢れ出てしまいそう」になる。
人が死ぬとは、どういうことなのか。
世の中にはきっと、100%善き人もいなければ、100%の悪人もいない。
肉親だからと言って常に愛せるわけでもないし、モノのように切り捨てることもできない。
死によって、兄の人生に否応なしに直面して生じた面倒くささや懐かしさ、複雑な気持ち。
そんな心の揺れを、著者は格好つけることなく記している。
美談にとどめようとしていないところが、本書の魅力のひとつだ。
孤独死はかわいそうなのか
読みながら、先日テレビで見た遺品整理人のドキュメンタリーを思い出していた。
日本では孤独死の数が増え続けていて、死後長期間が経過した部屋の整理・清掃も珍しくないらしい。
印象的だったのは遺品整理人の男性が言った「孤独死をかわいそうな死に方だと言ってほしくない」という言葉だ。
ひとり、東京で暮らす部屋で亡くなった息子の死に気づかなかったことを責める母に、彼は言う。
「離れていても、気にしてくれていた家族がいたことは、幸せだったと思いますよ」
厚生労働省がまとめた孤立死についての資料を見ても、「悲惨な『孤立死』」とある。現代社会において、孤独死、孤立死=悲惨でかわいそうなこと、になっているようだ。
孤独死の定義は曖昧だが、単身者が周囲に気づかれることなく亡くなり、死後に発見されることを指す場合が多い。
本書では息子という同居する家族がいたので孤独死の定義からは少し外れるが、孤独死と関連が高いといわれる孤独や貧困、持病、生活保護といった要件はかなり似通っている。
では、著者の兄は不幸な死を迎えたのだろうか?
本書の最後、父を失った息子は父と過ごしたクリスマスの思い出を話す。
豪華というにはほど遠い。
でも、幸せじゃないか?
改めて思う。人の死とはなんなのか。
そして、誰かの死が幸せだとか不幸だとか、決められる人はいるのだろうか。
兄の終い
村井理子(著)
発行:CCCメディアハウス
四六判:172ページ
価格:1400円(税別)
発行日:2020年3月10日
ISBN:9784484202082