【著者インタビュー】『特攻セズ 美濃部正の生涯』大方針に反対した将校の記録―時事通信社長・境克彦

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太平洋戦争末期、海軍上層部が進める特攻作戦に公然と反対した若き将校がいた。著者はこの6月末に時事通信社長に就任したばかり。なぜ無名の軍人を描いたのか、何を伝えたいのか。

境 克彦 SAKAI Katsuhiko

時事通信社社長。1959年、大分県出身。1985年早大法卒、同年時事通信入社、経済部で財政・金融行政などを担当、ワシントン支局で通商問題を取材。2011年経済部長、15年福岡支社長、17年編集局長、18年取締役、20年6月より現職

人道主義ではなく合理主義

「きっかけは美濃部少佐率いる芙蓉部隊の戦闘機パイロットとの出会いです。太平洋戦争の体験者の記憶を記録する企画記事の一環として、福岡で支社長をしていた頃に何度かインタビューしました。特攻で米軍の本土侵攻を阻もうとした沖縄戦で、通常戦法を貫いた海軍航空部隊があったことに興味を持ったのです」

境は執筆の動機をこう語る。主人公の美濃部は、ごく普通の軍人だった。軍国少年が難関の海軍兵学校に進み、160人中97番という平凡な席次で卒業した。海軍で一段下に見られていた水上航空機乗りを目指したのは、その方がパイロットになりやすいから。後年、特攻に反対した合理主義の発露がみられる。

境克彦著『特攻セズ 美濃部正の生涯』(方丈社、2017年8月刊)
境克彦著『特攻セズ 美濃部正の生涯』(方丈社、2017年8月刊)

弱冠29歳の美濃部が会議で参謀ら海軍中枢が唱えた特攻作戦に末席から公然と異議を唱えたのは、人道主義からではない。ましてや反戦主義からでもない。「最後の手段」としての特攻は、認めていた。しかし、その前に打つべき手を尽くすのが海軍将校のあるべき姿だと考え、特攻ではない通常作戦を強く主張したのだ。会議では罵声に耐えていた美濃部だったが、予想に反し、提案は認められた。

夜襲戦法で大きな戦果

特攻は勇ましい。しかし、実際には貧弱な装備とろくな訓練を受けていないパイロットによる場当たり的な作戦だった。敵艦に体当たりを食らわせるまでもなく、撃ち落された戦闘機が多数を占めた。

これに対し、美濃部が編み出したのは、夜襲戦法だった。指揮を執った芙蓉部隊が最後の決戦の拠点としたのは、鹿児島県大隅半島の付け根にある岩川(いわがわ)飛行場。昼間は飛行機を周辺の雑木林に隠し、牛を放って牧場に見せかける。夜になると、南方へ出陣して米軍をたたいて引き返す。強大な戦力の米軍を前に焼け石に水だったかもしれないが、敗色濃い戦局にあっては大きな戦果を挙げた。ちなみに、偽装した岩川基地は終戦まで、その存在を知られることはなかった。

鹿児島・岩川基地指揮所前で記念写真に納まる芙蓉部隊前から2列目中央にいる白服が美濃部正少佐。1945年7月5日撮影(時事通信社/坪井晴隆氏提供)
鹿児島・岩川基地指揮所前で記念写真に納まる芙蓉部隊。前から2列目中央にいる白服が美濃部正少佐。1945年7月5日撮影(時事通信/故・坪井晴隆さん提供)

娯楽小説のようにページが進む

美濃部のことを「無名の軍人」と書いたが、実は軍事マニアの間では、それなりに有名だったようだ。1997年6月に81歳で死去した際には、時事通信が戦後に勤めた航空自衛隊の「元空将」の肩書で簡潔な訃報を配信している。本著には海軍兵学校に始まり、海軍の内実、航空機の技術など専門性の高い記述が数多く出てくる。

ただし、心配はご無用。インタビュアー(谷)は時事通信時代、著者の境と同じチームで仕事をした間柄で、8年次若い彼の文章力にはいつも舌を巻いたものだった。簡明かつ透明な流れは、まるでエンターテインメント小説のよう。ページがどんどん進む。

このように専門用語を書き下した境も、軍事マニアなのだろうか。

「全く違います。人に話を聞いたり、資料を取り寄せて読んだりと疲労困憊(こんぱい)でした。もう2度とやりたくない」。苦笑交じりに一冊の本に仕上げるまでの長い道のりを振り返る。巻末にある取材相手・団体、資料は100を超える。資料の多くは非売品であり、収集には手間取ったことだろう。

批判を許さぬ「空気」

特攻をめぐっては、戦後、非人道的な作戦と批判する論調、それとは逆に美談仕立てのストーリーが数多く語られた。本著は、そのどちらでもない。合理主義者である美濃部の一生を追うことにより、心の中でおかしいと感じていても口に出せない「空気」が、いかに醸成されたか、その中で一人の軍人がいかにもがいたか、を描きだした。

「空気」については、本著の記述が分かりやすい。

『既に決まった大方針がいくら不合理なものだとしても、たった1人でそれに水を差すことがどんなに難しいかは、何らかの組織に属した経験のある人なら容易に理解できるだろう。(中略)いったん「空気」なるものが醸成されると、それは明確な根拠も論理的な説明もはねのけ、全ての人々の意思決定を支配し、統制し、強力な規範となって、各人の口を封じてしまう。後になって決定過程を検証しようにも、決めたのは人ではなく、目に見えない「空気」なのだから責任も問えない』

美濃部を描いた理由

本著には、愛すべき人物、優しい上司も出てくる。その一方で、物事の本質を理解しようとしない幕僚、科学的な知識や能力に欠ける上司が大勢登場する。彼らが「空気」をつくるのに加担し、多くの若者を死地に送り込んだのだ。現在の日本、そして世界においても、同じ根っこの問題は、全く解決されていないと考えざるを得ない。

なぜ美濃部の人生を描いたのか。冒頭の問いに対し、境は次の言葉で締めくくった。

「調べてみると、特攻作戦を批判していた将校は少なからずいました。でも、多くは気心の知れた同僚との会話など、ごく限られた空間での話でした。美濃部のように会議の席で海軍首脳に反対意見をぶつけ、しかもそれが認められた人物は他にいません」

「率直にとんでもない人間だと思うし、あの時代の日本にこういう人間がいたこと、そして海軍の中枢に美濃部の理解者がいたことに救いのようなものを感じます」

インタビューは2020年6月5日、東京・虎ノ門のニッポンドットコムで行われた
インタビューは2020年6月5日、東京・虎ノ門のニッポンドットコムで行われた

バナー写真 : 美濃部正の「芙蓉部隊」に所属していた故・坪井晴隆さんと夜間戦闘機「彗星」。2015年の坪井さんへのインタビューが、『特攻セズ』執筆のきっかけとなった(時事通信/坪井さん提供)

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