「自分が何者かは自分で選べばいい」:漫画『未来のアラブ人』の著者リアド・サトゥフ

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松本 卓也(ニッポンドットコム) 【Profile】

ここ数年、フランスで最も注目を浴びた漫画の一つ『未来のアラブ人』。世界各国へと広がり、ついに日本でも刊行されると、文化庁メディア芸術祭優秀賞を受賞するなど、高い評価を受けている。このたび順調に日本での第2巻がリリース。さらなる快進撃が期待される。昨年秋に来日した際、作者リアド・サトゥフに話を聞いた。

リアド・サトゥフ Riad SATTOUF

コミック作家、映画監督。1978年フランス・パリ生まれ。シリア人の父とフランス人の母の間に生まれ、幼少期をリビア、シリア、フランスで過ごす。2010年に『Pascal Brutal』第3巻でアングレーム国際漫画祭・年間最優秀作品賞を受賞。15年に同賞を『未来のアラブ人―中東の子ども時代(1978‐1984)』で2度目の受賞。自ら脚本・監督を担当した映画『Les Beaux Gosses(いかしたガキども)』で10年セザール賞・初監督作品賞を受賞。日本で初の刊行となる『未来のアラブ人』1巻(鵜野孝紀訳、花伝社)で第23回文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞受賞。

世界的なヒット作が日本上陸

リアド・サトゥフの漫画『未来のアラブ人』は、フランスで2014年5月に第1巻が刊行され、翌年にフランス最大のコミック・フェスティバルであるアングレーム国際漫画祭において、最優秀賞を受賞した。全6巻で、18年までに4巻が出ており、最新の第5巻は20年10月に刊行される予定だ。これまで少なくとも22言語に翻訳され、合計200万部を売り上げる世界的ベストセラーとなった。日本語版は19年7月に第1巻が出て好評を博し、第2巻が20年4月に刊行されたばかりだ。

第2巻の発売を機に、2019年10月に来日した作者のインタビューを掘り起こしてみたい。『未来のアラブ人』の日本での出版を記念して、アンスティチュ・フランセ(フランス政府の在外文化機関)が毎年開催する「読書の秋」のイベントに招かれたサトゥフは、自身の作品が日本で初めて出版された喜びをこう語った。

「日本にはだいぶ前に2度、観光で来たことがありますが、仕事では初めてですから、格別の思いです。『未来のアラブ人』はたくさんの言語に翻訳されましたが、日本語にはなっていなかった。5年経ってようやく念願が叶いました! 日本の漫画を読んで育った僕にとって、日本で本を出すことは子どもの頃からの夢でしたから」

映画から漫画への帰還

1978年生まれのサトゥフは2000年に漫画家デビュー。最初は原作者と組んでの仕事だったが、03年からはストーリーも自ら手掛けた作品を発表し、若くして順調な漫画家生活を歩んでいった。有名な新聞や雑誌に連載を持ち、数々の賞に輝いた後、09年には映画監督としても才能を発揮。『Les Beaux gosses(いかしたガキども)』はカンヌ国際映画祭の「監督週間」に出品され、フランスのアカデミー賞に当たるセザール賞でデビュー作に与えられる最優秀賞を受賞した。

リアド・サトゥフが脚本・監督を手掛けた映画2作。ともに日本ではアンスティチュ・フランセで限定的に公開されたのみ。1作目の『Les Beaux gosses(いかしたガキども)』(左)はいまやフランスの映画界で引っ張りだことなったヴァンサン・ラコストのデビュー作。「中二病」をこじらせた男子を演じる。続く『Jacky au royaume des filles(ジャッキーと女たちの王国)』(右)にも主演し、シャルロット・ゲンズブールと共演した。商業的には失敗した2作目だが、一部でカルト的支持を集める
リアド・サトゥフが脚本・監督を手掛けた映画2作。ともに日本ではアンスティチュ・フランセで限定的に公開されたのみ。1作目の『Les Beaux gosses(いかしたガキども)』(左)はいまやフランスの映画界で引っ張りだことなったヴァンサン・ラコストのデビュー作で、「中二病」をこじらせた男子を演じる。続く『Jacky au royaume des filles(ジャッキーと女たちの王国)』(右)にも主演し、シャルロット・ゲンズブールと共演した。商業的には失敗したサトゥフ監督の2作目だが、一部でカルト的支持を集める(© Pathé Distribution/© Kate Barry)

「それで2作目も作ったんですが、これが失敗で。客はまったく入らず、だいぶ友達を失いました(笑)。その代わり、いろんな誘いもなくなって、たっぷり時間ができた。ずっと前から考えていた漫画に打ち込むことができたんです。それが『未来のアラブ人』。僕に愛想を尽かさないでいてくれた友達が興した小さな出版社から出して、すぐに反響があったんです」

シリア人の父とフランス人の母の間に生まれ、幼少期をリビア、シリア、フランスで過ごしたリアド・サトゥフ。『未来のアラブ人』は、その自伝的な物語だ。第1巻には生まれてから6歳まで、第2巻には小学校に入った1年間が描かれている。両親は父の留学先のパリで出会い、リアドが生まれてすぐに一家はリビアへ、その数年後にはシリアへと移り住んだ。シリアで小学校に通ったリアド少年はアラビア語で読み書きをおぼえ、思春期を迎える頃にはフランスにいた。

「シリアでは、子どもは誰もが日本の特撮やアニメに夢中でした。『スペクトルマン』とか、『宇宙戦艦ヤマト』とか。ヤマトはフランスで放映されなかったから、それがシリアで育ってよかったことの一つかな(笑)。10代の初めにフランスに移住して、バンド・デシネ(フランス・ベルギーの漫画)を知ったのはそれからでした。フランス語の読み書きは『タンタン』(ベルギーの漫画家エルジェの人気シリーズ)でおぼえました。レンヌ(ブルターニュ地方)に住んでいたのですが、日本の漫画を買うためにパリの専門店に通ったものです」

自身を物語る漫画

日本の漫画は少年時代から数々読んできたが、大人になってからのお気に入りは、水木しげるが幼少期や戦争を自伝的に描いた作品と、吾妻ひでおの『失踪日記』(05年)だという。吾妻が二度にわたる自身の「失踪」を描いたこの漫画は、07年にフランスでも出版され、サトゥフに大きなヒントを与えた。

「僕が好きなのは、実際に起こった出来事をそのまま描いて、感じ方を読者に委ねるような作品です。吾妻ひでおの『失踪日記』は、僕が『未来のアラブ人』を描く後押しになった。彼が放浪していたときの自叙伝で、悲しい物語であっても面白おかしく語ることができると気付かせてくれたんです。だから僕も、アラブ世界での暮らしについて、そこで生きたままに自分の物語を語ろう、そして読者にはそれぞれの考えを持ってもらえばいいと思ったのです」

タイトルとなった「未来のアラブ人」という言葉には、父が息子に託した思いが込められている。リアドの父は一風変わった人物で、ソルボンヌ大学で博士号を取って教職に就いたものの、民主主義に反対で、独裁制を支持していた。そんな父の姿が、当時のリビアやシリアで起こった歴史的な出来事を背景に、幼いリアドの目を通してユーモラスに描かれていく。

『未来のアラブ人』第1巻7ページ(左)と11ページ。リビアでの話は黄色がかったトーンで統一され、同様にフランスはグレーがかった青、シリアはピンクと色分けされている(©️Allary Éditions、鵜野孝紀、花伝社 無断転載禁止)
『未来のアラブ人』第1巻7ページ(左)と11ページ。リビアでの話は黄色がかったトーンで統一され、同様にフランスはグレーがかった青、シリアはピンクと色分けされている(©️Allary Éditions、鵜野孝紀、花伝社)

「僕はもちろん民主主義を支持するし、ポピュリズムを憎むけれども、今のように人々が単純さに引かれていきがちな時代だからこそ、父のような人物を描くことは重要だと思ったんです。父は政治マニアでした。崇拝する政治家について、それこそ一日中でも語っていられました。だから僕もアラブ世界を取り巻く政治的な事柄に親しみながら大きくなったんです。いつかお父さんも大統領になるんじゃないか、そんなことを考えていたくらいですから」

幼い頃は父に憧れたリアドだが、その思想に影響を受けすぎることなく育った。

「物心がついてすぐに絵を描くことや、本を読むことに夢中になったからだと思います。小さい時から自己流で本を作っていたんですよ。そうやって自分でアイデンティティを選び取ったところがあるんです。フランス人でもシリア人でもない自分です。自分の本を作ろう、そこが僕の帰属する世界なんだと」

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ニッポンドットコム海外発信部(多言語チーム)チーフエディター。映画とフランス語を担当。1995年から2010年までフランスで過ごす。翻訳会社勤務を経て、在仏日本人向けフリーペーパー「フランス雑波(ざっぱ)」の副編集長、次いで「ボンズ~ル」の編集長を務める。2011年7月よりニッポンドットコム職員に。2022年11月より現職。

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