【書評】あのとき「何があったのか」:門田隆将著『死の淵を見た男』―吉田昌郎と福島第一原発
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福島第一原発の施設が俯瞰される。
運命の午後2時46分、事務室の壁掛け時計の長針がその時刻を示したとき、最初はカタカタと、そしてすぐにドーンと猛烈な揺れが来た。
映画冒頭の場面だ。
わたしは、そのとき、試写室も揺れているような錯覚にとらわれた。すぐに思いは、あの日の自分のいた場所に飛んでいった。あのとき、何をしているところだったか。
あれから9年が経つというものの、痛みをともなった記憶は、そう簡単に薄れるものではない。
しかし、政府は、10年を迎える来年を節目とし、国の行事としての追悼式は以後行わないとする方針を決めた。
折しも、『Fukushima50』(角川映画)が封切られる(3月6日より)。
3・11の福島第一原発の事故発生から、最悪の危機を脱出するまでの短期間を、ドキュメンタリー・タッチで描いた作品である。
精緻に再現された事故現場
わたしは、事故から数年経って後、現場を取材に行ったことがある。むろん原子炉建屋に入ることなどできないが、免震重要棟内部を見学し、建屋の外周をマイクロバスで回ることはできた。敷地内の放射線量も、建屋周辺をのぞいては、事故直後よりはるかに下がっている。
試写を見た感想を言えば、まず、事故現場の映像に驚かされる。ここまで精緻に福島第一原発の被害の様子を再現できるとは!
放射能に汚染された原子炉建屋の内部や最前線の中央制御室、あるいは吉田昌郎所長が陣頭指揮を執った免震重要棟の緊急時対策室など。実際に本物を撮影したのではないかと見紛うばかりだ。
そしてそこに、しっかりとした人間ドラマが描かれている。登場するのは、1・2号機の中央制御室の当直長(佐藤浩市)と、緊急時対策室に陣取る吉田所長(渡辺謙)を軸に、死を賭して最悪の事態を回避しようと奮闘した人々である。
現場には、東電職員だけでなく、協力企業の人々、駆け付けた自衛隊員がいた。彼ら彼女ら、大勢による懸命の作業によって、日本は救われたのである。
これが本作の見どころである。
試写会場をあとにしたとき、おそらく、今後、二度と同じような映画は作られないだろうし、これが福島第一原発の事故を描いた決定版になるだろうと思った。
そして、この映画に魂を吹き込んだのが、原作となったノンフィクション作品、門田隆将氏による『死の淵を見た男―吉田昌郎と福島第一原発』だと思うのだ。
当事者の証言を積み重ね・・・
本稿の読者の方には、映画を鑑賞する前に、原作を読んでおかれることをお勧めする。映画は息つく暇もないほど、怒涛のように危機が襲ってくる。そこで耳慣れない専門用語が飛び交うので、予習しておけば内容をより理解しやすくなる。
映画では、吉田所長以外の登場人物は、実在の人物をモデルにしてあらたに造形されているが、ほぼ原作に忠実である。劇中の演者のセリフは、多く、原作から採用されている。
門田氏は、文庫版の序文に書いている。
「私はあの時、ただ何が起き、現場が何を思い、どう闘ったか、その事実だけを描きたいと思う。原発に反対の人にも、逆に賛成の人にも、あの巨大地震と大津波の中で、『何があったか』を是非、知っていただきたいと思う」
そのために、著者は丹念に関係者にあたっていく。
福島第一原発の所長だった吉田昌郎氏、1・2号機の当直長だった井沢郁夫氏ほか最後まで現場に残った職員たち、協力企業と呼ばれる原発関連企業の人々、駆け付けた自衛隊員らの証言が積み上げられていく。
現場だけでなく、未曾有の危機に直面したとき、政府はどのように危機管理にあたっていたのか。著者は、当時の菅直人首相ら政権幹部、原子力安全委員会のメンバー、そして東電の本社関係者に直接取材し、「何があったのか」を重層的に浮き彫りにする。
当事者たちの証言を集めた門田氏のこの作品もまた、これから先、福島第一原発の事故を振り返るとしたら、必ず読んでおくべきノンフクションであると思う。それだけの価値のある力作だ。
津波で全電源が喪失した
映画を鑑賞する際に参考になるよう、原作を紹介しながら、基本的な事故の流れをおさらいしておこう。
福島第一原発には、1号機から6号機まで全部で6基の原子炉がある。その日は、1号機から3号機までが運転中だった。
激震が襲ってすぐ、原子炉は「スクラム」した。1・2号機の中央制御室にいた当直長は、まずそのことを確認する。スクラムとは、原子炉が緊急停止したことを意味する。
原子炉が緊急事態に陥ったとき、原子炉を安全に制御するためには「停める」「冷やす」「閉じ込める」の3段階の手順を踏むことが鉄則である。
スクラムしたことで、第1段階はクリアした。
次の手順は、原子炉圧力容器内の燃料棒を冷やすことだ。そして、放射性物質が外界に漏れないよう内部に閉じ込めておく。
これらは電源があってこそ可能な作業だ。万が一、停電になっても、非常用の発電機が備えてある。だから、誰もが、原発は制御できると「信じて」いる。
その日、第一原発は最初の地震で外部からの電源を失ったが、すぐに非常用が作動した。しかし、その後の大津波で、状況はすっかり変わってしまったのである。
ほどなくして、気象庁から大津波警報が出され、緊急時対策室からも職員に避難の指示が出される。
午後3時半を過ぎた頃、津波が襲来した。
原子炉建屋の敷地は、海面から10メートルの高さにある。津波の対策は、6メートルの高さを想定しており、それ以上の高さへの備えはしていない。
誰もが、あれほどの津波を想像していなかった。門田氏はこう書いている。
「そこにこそ、自然災害に対する東電の油断と驕り、さらに言えば慢心が存在したのではないか、と思われる」
非常用ディーゼル発電機と配電盤は、海面から10メートル以下、タービン建屋の地下室に設置されている。これらの施設がいっきに濁流に呑み込まれ、水没した。
これにより、全電源が喪失した。非常用電源を失ったことはなにを意味するか。燃料棒は冷やされることなく、蒸気で内部はどんどん高温になる。炉内の圧力は急上昇し、やがて爆発。大量の放射性物質が外界に放たれる――。
被害状況がわからない中、緊急時対策室から出された指示は、電源の復旧と水を原子炉圧力容器内に送り込むことだった。
原作で、吉田所長はこう証言している。
「部下たちは、目隠しをされて油圧も何もかも失った飛行機のコックピットの中にいるようなものでした。そんな中で飛行機をどうやって着陸させるか。私たちは、弁がどういう状態で“電源が落ちた”のかもわからないわけですからね。確かなのは、冷却のために水をぶち込むことしかなかったということです。電源復旧の道を探る一方で、私たちはひたすらそこを目指したわけです」
原作の最大の読みどころは、緊急事態に対応する職員たちの命がけの戦いである。刻一刻と状況が悪化していく中で、かれらは何を考え、どう判断し、どのように行動したか。ひとりひとりが、当時の様子を証言し、筆者の見事な筆致によって、事故状況が立体的に再現されていく。
電源は容易に復旧しない。だから、作業はすべて人の手によるしかない。
燃料棒を「冷やす」ために、消防自動車を連結して海水を注入する。
原子炉の爆発を避けるためには、原子炉格納容器内の圧力を下げなければならない。そのために、弁を開け、容器内の蒸気を外部に放出する。この作業を「ベント」というが、すなわち放射性物質を放つことになる。
これは最後の手段だが、まず、近隣住民を避難させることが前提条件だ。
もはやベントを躊躇している場合ではなくなった。爆発の危機は目の前である。
しかし、電源が失われているため、ベントを行うためには手作業で弁を開けるしかない。
停電し、不気味な闇となった原子炉建屋に、「決死隊」が飛び込んでいく。内部の放射線量は増すばかりで、作業できるのは限られた時間しかない。
許容範囲を超えて被爆すればどうなるか。専門家である彼らは、十分知り尽くしているが、恐怖に耐えて、彼らがやらなければならない。
だが、建屋内はもはや人の侵入を阻むほどの放射線量になっていた――。
このあたりの緊迫した状況下の作業を取り上げた章が、原作の白眉であり、映画でもしっかりと描かれている。
「日本は¨三分割¨されていた・・・」
事態は悪化の一途をたどる。
3月12日午後3時36分、1号機の原子炉建屋が爆発する。
3月14日午前11時1分、3号機の建屋が爆発した。
次に予想されるのは2号機の爆発。
「ついに2号機の格納容器圧力は、設計圧力の二倍近い『750キロパスカル』まで上昇し、いつ『何か』がおこってもおかしくない状態になっていた」
これは最悪の状況である。格納容器そのものが爆発すれば、大量の放射性物質が放出され、復旧作業などできなくなる。生命にかかわる大事故だ。
ついには、必要最小限の人員を残して、吉田所長は現場からの退避を命じる。
このとき、免震重要棟に残ったのは「69人」、海外メディアは彼らを「フクシマ・フィフティ」と名付けたという。
原作では、こうした現地の悲壮な様子とともに、首相官邸と東電本社の右往左往ぶりが克明に取材され、再現されている。
当時の首相は、民主党党首の菅直人。映画では佐野史郎の怪演が見ものだ。
あのとき、事故発生まもなく、菅首相がヘリコプターで混乱最中の現地に乗り込んだために、復旧作業が停滞したと顰蹙を買った。さらには東電本社内に事故対策の統合本部を設け、居座った首相がテレビ会議で職員を前に「撤退などありえない!命がけでやれ」と怒鳴り上げる。挙句、自ら細かい作業にまで口をはさんだといわれ、批判の対象になった。これが映画でも描かれている。
原作では、著者が菅直人に取材し、元首相の言い分をきっちり紹介している。なにが、彼をあのような行動に駆り立てたか。映画では発言の趣旨まで説明しきれていないだけに、これも耳を傾けておくべき証言だろう。
吉田所長は、2013年7月、病没した。生前、門田氏の取材に対して、吉田所長は、格納容器が爆発すれば、放射能が飛散し、誰も近づけない。福島第一第二あわせて10基の原子炉がやられるので、その被害は「単純に考えても、¨チェルノブイリ×10¨の数字が出ます」と答えている。
この発言を受けて収録された、当時の班目春樹・原子力安全委員会委員長の証言を読むと、背筋も凍るだろう。
「私は最悪の場合は、吉田さんの言う想定よりも、もっと大きくなった可能性があると思います」
福島第一、第二だけでなく、茨城県の東海第二発電所も被害を受ける。
「日本は¨三分割¨されていたかもしれません。汚染によって住めなくなった地域と、それ以外の北海道や西日本の三つです。日本はあの時、三つに分かれるぎりぎりの状態だったかもしれないと、私は思っています」
門田氏はこう結んでいる。
「福島県とその周辺の人々に多大な被害をもたらしながら、現場の愚直なまでの活動が、最後にそれ以上の犠牲が払われることを回避させたのかもしれない」
「死の淵を見た男―吉田昌郎と福島第一原発」
門田隆将(著)
発行:株式会社KADOKAWA
文庫版:496ページ
価格:840円(税抜き)
発行日:2016年10月25日
ISBN:978-4-04-103621-1