【書評】多民族の豊かさを知る:山本博之編著「マレーシア映画の母 ヤスミン・アフマドの世界」
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一冊まるごとヤスミン・アフマドの世界
優しさと切なさに満ちている映画であった。決してハッピーエンドではないのだけれど、見終わったあと、自分のなかに何か暖かいものが残されるような気持ちになれる。マレーシアの映画監督、ヤスミン・アフマドの『細い目』を、東京・吉祥寺で観たときに思ったことだ。
ヤスミン・アフマドのことを知ったのは、少し前に彼女の最後の長編『タレンタイム〜優しい歌』を見たときで、本著『マレーシア映画の母、ヤスミン・アフマドの世界』を手に取り、今回、劇場上映第1作の『細い目』日本上映を機に映画館に足を運んだ。『細い目』はマレー系の少女と中華系の少年が出会い、恋に落ちていく過程を描いた作品で、マレーシア・アカデミー賞の最優秀作品を獲得している。
この本、とにかく分厚い。480ページ。一人の監督の映画に、これだけの精力を注いで本にする、ということ自体が驚きであり、関わった人々の熱量が感じられる。ヤスミン・アフマドの長編全6作と短編1作について、複数の書き手がさまざまな角度から解説を加えているほか、映画の粗筋やキャストの詳細な紹介を載せ、彼女の世界をまるごと理解できる作り方になっている。
ヤスミン・アフマドは1958年にマレーシア・ジョホールで生まれ、米国留学を経て帰国後、広告会社などでCM制作に関わり、2005年から映画の世界に入った。10年余りの活動期間に『細い目』『グブラ』『タレン・タイム』など話題作を続々と発表し、多くの映画賞を獲得した。アジアを代表する映画監督としての名声を勝ち取りながら、2009年、51歳で脳出血のため急逝した。
民族と宗教と社会の箍(たが)
ヤスミン・アフマドの映画の特徴は、マレーシアに存在しない「もう一つのマレーシア」を描こうとしたところにある。
英国の植民地を経て、戦後、東南アジアで初の工業国になり、マハティール首相という個性的な指導者がいる。そんなイメージのマレーシアだが、一歩踏み込んだ中身が語られる機会はあまり多くない。
マレーシアは、マレー系、インド系、中華系が暮らす「多民族、多言語、多宗教」の国家だ。民族問題や宗教問題は、この国で最もアンタッチャブルで、核心に触れる領域である。しかし、ヤスミン・アフマドの作品は基本的に「多民族、多言語、多宗教」の世界を描いている点に特徴がある。
マレーシアの多民族は、第一世代ではなく、「祖先がマレーシアに来て何世代も経っており、自分もマレーシアで生まれ育ってマレーシアの国籍を持ち、マレーシアを祖国と考える人たちである」(本書)。民族ごとに宗教が異なる人々が隣り合って長く暮らすなか、「諍いを殴り合いや奪い合いに発展させない工夫を積み重ねてきた。手放しの自由を認め合うのではなく、互いに箍を嵌め合うこともそうした工夫の1つである」(同)と紹介されている通りで、マレーシアは一定の距離を民族ごとに置いている分断社会でもある。
その箍(たが)は、時に社会に窮屈さを生む。マレーシアには、多数派であるが華人系やインド系に比べて経済力の弱いマレー系を優遇する「ブミプトラ政策」もある。その政策に不満を表明するのはこの国最大のタブーである。
だが、ヤスミン・アフマドの映画の登場人物たちは、そんな社会の箍を踏み越えようと苦しみ、もがく。『細い目』の恋人の2人がまさにそれだ。主役の少女が、同じマレー系の同級生と、中華系との恋愛について論争するシーンでは、少女に「マレー男は多民族の女を妻にしてきたでしょ。マレー女が同じことをして何が悪いの」と語らせているが、あまりのストレートさに背筋が凍る思いがした。
本書によれば、ヤスミン・アフマドの作品に対して、マレーシア国内では好意的な反応ばかりではなかったという。「華人とマレー人の交際を周囲が祝福するはずがない」という意見も出た。しかし、おそらくヤスミン・アフマドは、だからこそこうした作品を撮り、理想として思い描く「もう1つのマレーシア」を見せようとしたのだ。そこには多民族社会だから輝く豊かさがあふれている。
異文化の理解や共生は口でいうには容易いが、成すことは難しい。共生を実現するためには、血も流れるし、涙も流れる。唯一支えになるのは「寛容」だ。ヤスミン・アフマドの映画のなかには、その寛容さを抱いて生きている人々が多数登場する。人生は複雑で、過ちも犯す。その過去が相手を傷つけるときもある。それでも寛容さで受け止めようと苦しむ。そんな彼らの営みを、ヤスミン・アフマドは、そのまま描き出す。それが彼女にとっての映画人としての寛容さであると、この本を読んでいるうちに気付かされた。
作品をマレーシア理解の入り口に
私は、シンガポールや台湾など多元的な文化を有する社会に暮らした経験がある。マレーシアにもシンガポールから定期的に通った。多元的社会の暮らしぶりを文章で伝えるのはやはり簡単ではない。いちばん良いのは現地に一年でも半年でも暮らしてみることだ。そうすれば、1つ1つの会話や目にする景色がその社会のルールを教えてくれる。ただ、生涯をかけて研究者にでもなろうとしない限り、海外の特定の国に長期にわたって暮らすのは難しい。
その異文化体験の入り口には、その国の映画を見ることがいちばんである。編著者の山本博之・京都大学准教授が本書あとがきで述べているように、「異文化の読み解き力を高めるには(略)、映画の読み解きが効果的だと思う。映画をみて面白いと思ったり、つまらないと思ったりしたら、なぜそう感じるのかを考えるとともに、気になったセリフや場面や音楽について調べて、製作者がなぜそのような表現をしたのか考えを巡らせてみる」ということだ。
マレーシアに関する多くの研究書や専門書が出ているが、どうも初級者としては敷居が高い。そんな風に感じている人は、ぜひこの本を手にとって欲しい。マレーシアという日本の友人に近づくためにも、マレーシアのことをもっと詳しく知るべきで、ヤスミン・アフマドの作品は最良のイントロになる。それが本書を完成させた人々の願いであろう。
彼女はもういない。だが、「珠玉の作品」と呼ぶのにふさわしい作品は残された。本書の中には、生前、彼女が漏らした言葉が紹介されている。「私の名前は忘れてもいい、でも私が作った作品のことは忘れないでほしい」。作品は忘れられず、彼女の死後さらに評価を高めている。そして、ヤスミン・アフマドという名前も忘れられることはないはずである。
「マレーシア映画の母 ヤスミン・アフマドの世界――人とその作品、継承者たち (シリーズ 混成アジア映画の海 1)」
山本博之編著
発行:英明企画編集
A5版:480ページ
価格:2500円+税
発行日:2019年7月25日
ISBN:978-4-909151-21-6