【書評】日中への忠告:エズラ・F・ヴォーゲル著『リバランス――米中衝突に日本はどう対するか』

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中国が世界第2の経済大国に台頭し、日米中3カ国の関係は劇的に変わった。『ジャパン・アズ・ナンバーワン』で知られる東アジア研究の世界的権威が、その変化を縦横に語る。日中への忠告の書であり、「卒寿」を迎える著者の回顧録でもある。

エズラ・F・ヴォーゲル Ezra F. VOGEL

ハーバード大学ヘンリー・フォードⅡ世社会科学名誉教授。1930年米国オハイオ州生まれ。両親は欧州から移住したユダヤ人。1958年に同大で博士号(社会学)を取得後、日本語と日本の家族関係の研究のために来日し、2年間滞在。その後、毎年のように訪日。61年から中国語の習得と中国研究にも着手。67年に同大教授、72年に同大東アジア研究所所長。2000年に教職から引退。主な著書(日本語)は『ジャパン・アズ・ナンバーワン――アメリカへの教訓』(1979年)、『現代中国の父 鄧小平』上下巻(2013年)など。

日本語と中国語を操り現場で研究

本書は、著者エズラ・F・ヴォーゲル米ハーバード大学名誉教授が質問に答える対談形式で構成されている。「聞き手」は北京大学に留学した後、ハーバード大ケネディースクール(公共政策大学院)などにも在籍し、著者とは旧知の加藤嘉一・香港大学アジアグローバル研究所兼任准教授だ。

加藤氏は2018年8月末、ボストンのヴォーゲル教授宅に3泊4日滞在して連日インタビューを重ねた。今年5月にもボストンに赴き、追加取材して本書をまとめたという。著者と1984年生まれの加藤氏とは半世紀以上の年の差がある。まさに「忘年の交わり」で生まれたのが本書だといえよう。

評者は1991年6月7日、マニラの駐フィリピン米国大使公邸でのディナーに夫婦で招待され、初めてヴォーゲル教授にお会いした。1996年には米中関係の取材のため北京から米国に出張し、7月13日にボストンの教授宅を訪ねた。約1時間半のインタビュー中、日本語と中国語に堪能であることに驚いた。取材ノートに漢字ですらすらと返答を書いてくれたことを思い出す。

本書で著者は2年間の日本留学の経緯に触れている。「1958年、幸運なことに日本研究のための奨学金を得ることができて、最初の1年間は日本語の勉強に専念した」。東京・渋谷の近くにある語学学校に通った後、2年目は日本の家族関係の研究のため「千葉県市川市に妻と暮らし、(中略)6つの家庭を毎週訪問した」

「訪問先の家庭の父親と子どもに私がインタビューし、母親には妻から話を聞いてもらい、調査研究を実施した。あれから60年が経ったが、彼らの子供たちとは今でも家族ぐるみで付き合いがある」

著者は1961年にハーバード大学に戻って中国語を学び、中国研究も開始する。日中両国を対象とした研究手法は現場に行き、その国の言葉で人々と交流する、つまり友人になることだ。

語学を駆使して人脈を広げ、実際の家庭に入るなど現場にこだわる研究スタイルを貫いてきた。執筆に10年を費やした大著『現代中国の父 鄧小平』を完成できたのも、鄧小平の実子たちへのインタビューが原動力になっている。「彼らの生々しい証言から、父親がどんな人物だったのかを可能な限り知ることができた」と述懐する。

1980年夏には中国・広州の中山大学に2カ月滞在し、夏書章・副学長(当時)と知り合いになった。最近はメールでやりとりしている。「友人を作ることは、私の生涯にわたる研究生活にとって極めて重要だ。夏書章は今年100歳になる。私は来年90歳になる。私たちはまだ生きている。そして友人なのだ」

中国は「ゴルバチョフ現象」を警戒

今年は中華人民共和国が成立してから70周年の節目。米中が国交を樹立してから40周年でもあるが、「不惑」どころか泥沼の貿易戦争を繰り広げている。著者は「米中関係は、本質的に競争の関係」と規定、貿易戦争も結局のところ「戦略的な総合国力をめぐる競争なのである」と指摘する。

米中関係の最大のトゲは台湾問題である。米中間の軍事的衝突の可能性さえ取り沙汰されているが、著者の見通しはあくまでも冷静だ。

「中国人民解放軍が台湾を武力で統一するとして、それはすなわち米国と戦うことを意味する。習近平や人民解放軍に、そこまでの覚悟や能力があるのだろうか。私には疑問である」

それでは中国は将来、米国に代わって「世界の警察官」になれるのか。これに対する回答も明快だ。「中国が現在よりも自由かつ開放的になり、人権や国際ルールを重んじる国家にならない限り、国際社会が中国のリーダーシップを受け入れることはない」

習近平国家主席が率いる現在の中国については「内政では政治社会、経済社会への上からの抑圧を強め、緊張させている。外交では拡張をめざし、傲慢に自分がやりたいことや欲しいことばかりを主張し、他国社会の感受性を軽視する動きが散見される。私はそんな現状を憂慮している」と手厳しい。

著者によれば、習近平国家主席は「ゴルバチョフ現象」の発生を懸念しているのだという。旧ソ連のゴルバチョフ書記長・初代大統領は急進的な自由化を推進する過程で求心力が低下、統治不能に陥り、ソ連崩壊につながった。中国が今、国内で統制や抑圧を強めているのは、ゴルバチョフ現象を極度に恐れているからにほかならない。

しかし、これでは中国の知識人らは自由にものが言えず、社会には不満が蓄積する。言論が抑圧され、自由や人権が著しく欠如する現在のような状況は「10年ももたない」というのが著者の見立てである。

「ゴルバチョフの教訓とは、締めつけを強化することではない。緩和策にも慎重に取り組むべきだ、というのが同じ轍を踏まないための教訓である」。著者は国内の張り詰めた政治的環境を漸進的に緩和すべきだと主張する。

日本は自立のチャンス、もっと発信を

ベストセラー『ジャパン・アズ・ナンバーワン――アメリカへの教訓』が出版されたのは1979年。やはり40年前だった。平成に入った1989年、日本はバブル絶頂期だったが、その後、失われた30年」といわれた。しかし、著者の総括はちょっと違っている。

「平成の時代は平和のうちに始まり、たしかに成長は限られていたが、世界各国と仲良くしてきた。生活は安定し、社会の秩序は保たれ、人々は長生きし、医療制度も充実している。(中略)総じて、平成はそれほど悪い時代ではなかった、というのが社会学者である私の見方だ」

母国のトランプ大統領への批判は辛辣だ。「トランプという人間の存在と言動は、大問題だ」、「視野が狭く、目先のことしか考えない指導者」などと扱き下ろす。その一方で「トランプ政権が発足して以降、日本はより広範な範囲で物事を考え、行動するようになっている」と日本にエールを送る。

「日本は『米国不在』の状況下で、みずからの考えをこれまで以上に実践できる機会を得るだろう。日本は現状をチャンスととらえ、積極的に情報発信や政策提案をすべきである」

ただ、「日本人の発信法はグローバルに見ると異質」、「外国人に講演する際に、説明の仕方を含め、日本人は十分な準備をしていない」、「日本人も異なる文化や価値観を持つ人々との交流や、皮膚の色の違う人との共存に適応すべく学ばなければならない」と注文も付ける。もちろん、日米同盟の重要性は変わらないことも強調している。

コスモポリタン愛国者の日中への忠告

「私は日本と中国のことを研究してきた、米国の学者である。日中が和解をするために私自身も何らかの役割を果たすべきだ、と考えている」

日中両国の橋渡し役をライフワークとする著者は、国籍にこだわらない「コスモポリタン愛国者」を自負しているようだ。こうした立場から、本書では随所に両国への率直な忠告を盛り込んでいる。

今の中国は、軍部が強くなった日本の1930年代に似ていると看破する。「強硬すぎるし、傲慢にすぎる」と苦言を呈し、「最大の問題はやはり米国、欧州、日本との関係だ。最も重要な点は中国が経済政策や安全保障政策を含めて、妥協することを学ぶ必要がある」とアドバイスする。

日本が戦前、軍部に押し切られる形で戦争に突入したことを念頭に「日本の当時の実例は深い教訓であり、中国もしっかり汲み取る必要がある。自信を持ちすぎるべきではないということだ」とクギを刺す。

一方、日本に対しては歴史を学び直すべきだと提言する。「日本の一般国民は、中国人がなぜあそこまで歴史を重視し、歴史にこだわるのかという問題を知り、考える必要がある」と訴えている。

政治家の月旦、日本は「大人物」を

著者が初めて中国を訪れたのは中国語を習い始めてから10年以上経った1973年。米国の社会科学者らの訪中団の一員として、北京の人民大会堂で周恩来首相と面会したときの記憶をこう綴る。

「彼の第一印象は“硬い”ものだった。おおらかな人間だと伺っていたが予想と違っていた。周は終始『偉大なる指導者』を演じていた。その後わかったのだが、周恩来はあのときすでに癌にかかっていたのだ。おそらく病気のせいもあって、険しい表情をしていたのだろうと思う」

本書の魅力のひとつは、著者の幅広い人脈に裏付けられた月旦だ。ヘンリー・キッシンジャー元米大統領補佐官、中国の江沢民元国家主席、韓国の金大中元大統領、シンガポールのリー・クワンユー元首相ら世界各国の指導者らと交流してきたが、日本の政治家を対象にした人物評はなかなか鋭い。

著者が「印象深く、魅力的に感じた」のは中曽根康弘、大平正芳、田中角栄の元首相たちだ。3人とも「中国と密接な関係を持ったうえで、政治や外交に挑んでいた経緯があるのは興味深い」との理由だ。

現職の安倍晋三首相については「ある意味で日本の政界に育てられてきた政治家であり、彼には武士のような雰囲気も漂っている」と評価する。そのうえで「日本が将来に向けて『大人物』と言える政治家、リーダーを育成してくれることを、私は願っている。安倍晋三もその一人であることを願う」としている。

「グローバルスタンダードからすれば、日本人は“良い人”であって“大きな人”ではないのだ」という。日本は「頭の良い官僚ではなく、大胆に考え行動のできる政治家――要するに『大人物』を発掘し、育成していくべきだ」と力説する。

日本の将来を担うリーダーの候補として林芳正、河野太郎、岡田克也各氏ら閣僚経験者を挙げている。河野氏については「英語が堪能で国際的視野がある」、「世界的なリーダーになる可能性がある」などと記述。小泉進次郎氏に対しては「彼は『大人物』になるだろう。2019年5月初旬、彼はワシントンにある戦略国際問題研究所(CSIS)にて英語で講演したが、とてもよい印象を私たちに与えた」と期待を示す。

「正直に言えば、もともと日本に興味があるわけではなかったし、日本のことが好きなわけでもなかった。赴いてから徐々に親愛の情が生まれた、というのが本当のところだ」。著者は本書で、こう吐露している。親日家というよりも、学者らしいバランスの取れた知日派と呼ぶべきかもしれない。

ユダヤ系米国人は一般的に日本には厳しいとの見方もある。しかし、今年2月に96歳で他界した日本文学研究の第一人者で日本国籍を取得したドナルド・キーン名誉教授をはじめ、著名なエコノミストであるロバート・フェルドマン教授(モルガン・スタンレーMUFG証券シニアアドバイザー)らと同様、ヴォーゲル教授の日本への眼差しはどこか温かい。

リバランス――米中衝突に日本はどう対するか

エズラ・F・ヴォーゲル(著)、加藤 嘉一(聞き手)
発行:ダイヤモンド社
四六判:304ページ
発行日:2019年8月21日
ISBN:978-4-478-10862-8

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