【書評】共生社会への旅:ケニー・フリース著『マイノリティが見た神々の国・日本』
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障害を持つガイジンの居心地
著者は1960年9月ニューヨーク生まれの詩人・ノンフィクション作家。コロンビア大学芸術大学院でMFA(美術学修士)を取得。現在は米国のゴダード大学で教えている。日本滞在は最初(2002年5~11月)が日米芸術家交換プログラムの来日フェローとして、2度目(2005年9月~06年6月)はフルブライト奨学生だった。
「私には生まれつき両脚に欠けている骨があって、足の形が普通とは違っている」。下肢が短く、身長150センチの著者は「動き回るためには特別にデザインされた矯正用の靴と杖が必要である」
本書の副題「障害者、LGBT、HIV患者、そしてガイジンの目から」にあるように、著者は先天的な障害を持ち、ゲイ(男性同性愛者)である。2度目の訪日直前にはHIV陽性と判明、死の恐怖と隣り合わせのマイノリティになった。
日本滞在の主目的は「日本の障害者の生活を研究するため」だった。著者は研究者、芸術家、市井の人々らと幅広く交流した。札幌、『遠野物語』で知られる遠野、『奥の細道』に出てくる松島や平泉、熱海、弘法大師が開いた高野山、旧暦10月には八百万(やおよろず)の神々を迎えるという出雲大社など全国各地に精力的に足を運んだ。
広島には2回訪問し、被爆者たちにインタビューした。広島再訪では「原爆乙女」の生存者から生々しい被爆体験だけでなく、戦後、米国に渡り整形手術を受けた経緯や苦悩などを聴いた。率直に語ってもらえたのは「私の障害のせいだろうか」と著者は自問する。
マジョリティ(多数派)の“普通の人”から見たら、マイノリティである障害者は“普通ではない人”とみなされやすい。障害者である著者は「母国であるアメリカでは、部外者でないにもかかわらず部外者としての扱いを受ける」
ところが、日本では障害者としてより、部外者である外国人として扱われた。日本滞在中は「自分の国でのように障害者として扱われず、他のガイジンと同じ扱いを受けている」と感じたのだ。
「日本では、もし人が私をじろじろ見ていたとすれば、それは私がガイジンだからだ。日本では人々が私の障害についての感情を表に出さず、私も通りで嘲笑的な言葉を浴びせかけられるようなことはなかった」
1度目の滞在では都内のアパートに住んだ。「私は日本で、なぜこんなに心地いいのだろう。なぜ東京は、こんなに短い滞在でしかないのに、非常に多くの点でわが家のように思えるのだろうか」
「日本でくつろいだ気持ちでいられる理由は、それほど明確ではない。日本文化の中の何かが、私を受け入れてくれる」
MMら様々な出会いとゲイ遍歴
日本滞在は2度で計1年半足らずだったにもかかわらず、様々な重要な出会いがあった。多くの友人らに恵まれたのは、著者自身に独特の人間的魅力があったからではないか。
とりわけ英語で話せる村松増美(1930~2013年)との交遊で著者は大きな影響を受けた。村松は「ミスター同時通訳」と呼ばれ、日本初の通訳サービス会社、サイマル・インターナショナルの創設に参加、社長も務めたことで知られる。
著者と村松はあるパーティーで遭遇した。名刺交換した村松は著者に「MM」と呼ぶよう伝える。それから「MMと私は定期的に会って、一緒にそばを食べるようになる。一緒にどこへ行くにしても、どういう訳か最後にはそばを食べることになる」
MMはラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の著作『怪談』に出てくる盲目の琵琶法師「耳なし芳一」の物語を著書に紹介し、ハーンが片目を失明した隻眼だったことも伝えた。著者は「耳なし芳一は、私が日本で出会った障害を持った文化上の象徴的な人物だ」と記している。
作曲家の友人を通じて知り合った声楽家、きむらみか(東京芸術大学声楽科卒)は著者にとって「比類のない友人」であり、恩人でもある。2002年11月には国際文化会館で、著者の英語詩をもとにしたオリジナル音楽のコンサート「In the Gardens of Japan(日本の庭園にて)」を共同開催した。著者は彼女を「みか」と呼ぶ。
著者は東京・浅草の浅草寺で3回、おみくじを引いた。1回目は「小吉」。2回目に「凶」を引いた後に帰国した。再び訪日してから、みかも一緒に浅草寺に行き、引いた3回目は「大吉」で、「病人回復す」とも書いてあった。
その後、著者は「まだ言っていませんでしたが、日本に戻る直前にHIV陽性という検査結果が出ました」とみかに打ち明けた。「ずっとよく眠れていません。それにパニック発作も起こしています。あなたの治療師の所に連れて行ってもらえるでしょうか」と助けを求めた。
みかは治療師のモギ先生を紹介した。著者は米国の主治医が処方したエイズ治療薬の投与なども受けていたが、モギ先生の治療を受けた後、なぜか血液検査でHIVウイルスが見つからなくなったという。
最初の日本滞在中、著者は日本人との交流と並行して毎晩のように新宿2丁目のゲイバーに通った。そこでオーストラリア人のアラン、ベネズエラからきたラファエル、日本人のマサらと知り合う。マサは米国のバークリー音楽大学で学んだピアニストで、都内の高級住宅地で両親と住んでいるが、ボストンにボーイフレンドがいて、日本と行き来しているという。
マサは著者の障害についてphysical fact(肉体的事実)と表現した。「障害の代わりに使うとは、なんと素晴らしい言葉だろう。この英語の言葉が、ネイティブでない話者の口から出たことに皮肉を感じる」。マサは著者が喉の感染で高熱を出したとき、見舞いに行き、手製のチキンスープを作ってスプーンで飲ませるなど細かに面倒をみた。
米国でのかつてのボーイフレンド、アレックスはエイズで死んだ。最初の訪日の直前まで一緒に住んでいたパートナー、イアン・イエーレとは微妙な距離で付き合いが続いており、日本にエイズ治療薬を運んでもくれた。
2度目の日本滞在中、最も重要な巡り会いがあった。札幌に住むカナダ人教師で身長180センチのマイク・マッカロクと、ゲイバーでなくインターネットで知り合ったのだ。
交際が始まり、都内の著者の住まいで二人きりになった時、著者は深呼吸をしてからHIV陽性だと告白したが、マイクは「大丈夫だ」と応じた。そして「夫であり、恋人であり、最高の友」の関係にまで発展した……。著者は本書でゲイとしての遍歴も赤裸々に描いている。
エビスに象徴される障害の歴史
本書の最大の特徴は、外国人の視点で障害をめぐる日本の歴史や文化にまで踏み込んだことだろう。障害学の第一線の研究者、長瀬修(立命館大学教授)をはじめ、目と耳に障害がある盲ろう者として世界で初めて常勤のプロフェッサーとなった福島智(東京大学教授)、著者のフルブライト・アドバイザーになった松井亮輔(法政大学名誉教授)らとの面会は障害者問題を考察するうえで有意義だった。
2度目の日本滞在で幸運だったのは、晩年の花田春兆(1925~2017年)の謦咳に接したことだ。花田は脳性マヒによる障害があり、車いす生活だったが、俳人、作家、歴史家として有名だ。古代から現代まで、架空の人物を含めて歴史の中に埋もれてきた日本の障害者たちに光を当てることをライフワークとしてきた。『日本の障害者・その文化史的側面』など著書も多い。
花田によると、七福神のうち鯛を抱え釣竿を持った「エビス」は脳性マヒの障害者だという。本書では次のように要約している。
「アダムとイブの日本版とも言える伊耶那岐命(いざなぎのみこと)と伊耶那美命(いざなみのみこと)は、太陽と月を産んだ後で、下半身がマヒした赤ん坊を生んだ。この男の子は、一言も話すことができなかった。この子は、水田によくいて、人間や動物の血を吸うヒルを連想させる、蛭子(ひるこ)と呼ばれた。蛭子が三歳になったあとで、まだ立つことができない時、小舟で海に放たれた。イザナギとイザナミは子供を捨てたのだ。そして、二人は国造りに生涯を捧げた。蛭子は神であることを示す命(みこと)という名を与えられることはなかった。この舟が流れ着いたと言われる海岸には、蛭と子という漢字を用いた神社がある。この二つの漢字は、今ではエビスと読まれる。江戸中期には、エビスは七福神の中で最も人気のある神になった」
エビス(蛭子)をはじめ七福神はそれぞれ障害などの問題を抱えているともいわれる。著者は「幸運、すなわち、福をもたらすとされる神々は、ゆがみや障害である不具を持つ神々である。つまり幸運なゆがみである」とし、自らの日本での経験とよく符合するという。
花田は著者との面会でこうも伝授した。「江戸時代には、十三代将軍の家定にもCP(脳性マヒ)がありました。強大な力を持った前田家にも障害者の息子がいました。伊達家の武士の伊達政宗は独眼竜と呼ばれていました。(中略)歴史的に日本は農業社会でした。基本的な生活は、村の中で営まれました。そこでは、まれな――普通ではない――人々も受け入れられるのです」
著者は「ほとんどの琵琶法師が盲目なのはなぜでしょう?」と尋ねる。花田は「これは、百人一首の歌人の一人である蝉丸(せみまる)までさかのぼります。日本では、人々が生涯にわたって同じ仕事をするという仕組みが続いてきました。障害者のための仕事の一つが、楽器を演奏するといった芸術的なものでした。『平家物語』の場合のように、障害者が日本語を完成させたのです」と答えた。
平安時代前期の歌人、蝉丸(生没年不詳)は盲目の琵琶の名手だった。やがて鎌倉時代にかけて琵琶法師の「語物(かたりもの)」といえば、『平家物語』のそれを指すようになっていった。
実は著者は1度目の日本滞在中、京都で能の演目「蝉丸」を鑑賞していた。能の魅力のとりこになった著者は京都から東京に戻る途中、大津市内に3社ある蝉丸神社にも寄った。
「日本の障害者の象徴のささやかな殿堂に、新たな人物も加えた。エビス、芳一、そして今度は蝉丸だ」
「……日々旅にして旅を栖とす」
著者が1度目の日本滞在を終えて帰国後、MMがニューヨークにやってきた。両親も交えた昼食の席で、生粋のブルックリン育ちのユダヤ人の母に発したMMの言葉は「マリリン・モンローに似ている」。ところが、MMは帰国直後に脳梗塞の発作を起こして入院した。
2度目の日本滞在で著者は、横浜のデイケアセンターにMMを見舞った。しかし、彼は後遺症で思うように言葉を操れなかった。
「とても異質な文化を最初に探求するに際して私を導き、助けてくれた友人である。そのMMが、もう自由に話すことができない。私は味わったことのない悲しさを感じる――それは、自分自身の障害であれ他人の障害であれ、障害についての悲しさを、自分がほとんど感じないためだ。障害を持って生まれたことで、私は障害を、喪失ではなく適応と結び付けて考えてきたからである」
MMとの再会を経て著者は決意する。「自分の研究が、日本における障害についての理解を深め、日本の文化の中で表に出てくることがほとんどない、豊かな障害の歴史を伝えるものになってほしいと思う」
さらに「ラフカディオ・ハーンが、古い日本の物語を通じて行なったように、私は障害についても述べられた古い物語を広めることができるだろうか。こうしたやり方で、日本が私に与えてくれたものの少なくとも何がしかを、日本の文化に返すことができるだろうか」と自らに問う。
著者は本書で、独自の見解も示している。「アジア文化圏では、障害が仏教徒の視点から語られることが多い。障害は前世で何か悪いことをした報いだというように」。日本を愛しながらも「日本人は障害や重病をまだ恥と考えているようで、人目にさらすのを避けることがなんと多いのかと私は思う」と率直な感想も漏らす。
著者は2度目の訪日で東京に着くとすぐ、島根県の松江に向かった。「ゲイであり、ユダヤ人であり、障害者であるという私のアイデンティティの大本は、生まれた時から始まっていた」。だが、HIV陽性の宣告を受けて「生まれて初めて、自分の人生がまさに二つに分れたような気がした。(中略)息抜きのために松江に来て、私は自分自身のこころを、自分の人生の新たな始まりを、すでに見つけ始めているのかもしれない」
松江は、ラフカディオ・ハーンが「神々の国(Province of the Gods)」の首都と呼んで住んだところだ。本書の原著『In the Province of the Gods』(2017年出版)の書名はここから引用している。
人類の歴史では、ナチス・ドイツによるユダヤ人大虐殺が広く知られているが、「優生思想」の名のもとに心身障害者や同性愛者らマイノリティも虐殺された。日本では1996年の母体保護法への法改正まで優生保護法があった。
障害者の人権と基本的自由を確保することなどを目的とした国連障害者権利条約は2006年に国連総会で採択され、日本も14年に批准した。21世紀の社会は障害者の人権が保障され、障害の有無や性別、年齢、民族、宗教などの違いを超えて、お互いに支え合って生きていく「共生社会」という目標を求められているのではないか。
「障害があろうがなかろうが、身体は、前も後もない連続としての、死すべき者の生の一つの事実であるということを、私は今、直感的に理解しかけている」。国籍の異なる多くの人に支えられ、日本に居心地の良さを感じた異邦人である著者はこう記す。
「……日々旅にして旅を栖とす。芭蕉」――。本書の冒頭には『奥の細道』序文の一節を掲げた。著者にとって日本での濃厚な体験は「共生社会」を目指す旅の一里塚だったのかもしれない。
マイノリティが見た神々の国・日本-障害者、LGBT、HIV患者、そしてガイジンの目から-
ケニー・フリース(著)
古畑 正孝(訳)
発行:伏流社
四六判 309ページ
発行日:2019年3月1日
ISBN:978-4-9910441-1-3