【書評】スパイ小説の巨匠が描く「アジアの冷戦」(後編):ジョン・ル・カレ著『スクールボーイ閣下』
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(前編から続く)
前作まで、ル・カレは「ヨーロッパにおける冷戦」下のスパイ活動の実相を描いてきた。ここへきて彼が最大の関心をもつようになったのが、「アジアの冷戦」ということなのだろう。
この時代、社会主義陣営を真っ二つにして、中ソの対立は言葉による非難の応酬から、国境地帯の戦闘へと激しさを増しつつあった。まさにそのとき、インドシナ半島では、ベトナムでの戦いが周辺国へも飛び火する局面に入っていた。
共産主義と民族主義とが複雑に入り乱れて混迷を深めていたのである。
それだけに、当時の香港は、中国大陸とインドシナ半島の情報を収集するのに豊穣の地だった。それゆえ、腕利きの各国特派員と情報部員、ときに双方を兼ねる情報のプロフェッショナルが蝟集(いしゅう)していた。
「冷戦」といっても、欧州とアジアのそれをひとくくりにするわけにはいかない。そんな陰影に富んだ国際情勢の下で繰り広げられるスパイの世界を、著者はどのように描くのか。
それがまず興味深い。
そして、われわれにとって本作の最大の魅力は、ル・カレがインドシナ半島を主要な舞台に選んだことにあるだろう。
ル・カレは、香港はじめ東南アジアの国々の風土をたっぷりと、それも見事に活写してみせるのだ。
われわれには身近に感じられることだろう。煮炊きや油で揚げる匂いが軒下から漂ってくる、猥雑な路地裏の風景である。
粗末な家と貧しい大家族がおり、繁華街には退廃した阿片窟があり、夜な夜な売春婦が徘徊する。
または熱帯雨林で展開される戦闘の光景。銃弾飛び交う戦闘場面や、夜間、都市中心部をめがけて無差別に打ちこまれる砲弾。迫真の描写は、著者自身の取材体験がもとになっている。まさに圧巻といってよい。
「カズンズ」の登場
さらに興味深いポイントがある。
この作品で、英国側から「カズンズ」と通称される米国の情報機関(CIA)が、ついに登場してくることだ。
今回の作戦はサーカス単独では進めることができなかった。組織が崩壊し、出先機関を閉鎖したので、人員と装備を「親戚筋」から借りるしかない。
スマイリーにとっては、やむをえず共同戦線を張らなければならなくなるのだが、英米両機関の意見交換の場面は興味津々。
それぞれ諜報の手法も組織文化も違うので、ことあるごとに主導権争いが生じる。
「血を分けた同盟」などと両者の関係は形容されるが、その内実は抗争と嫉妬の連鎖なのである。
しかし、スマイリーはひるまなかった。CIAのロンドン支局長マーテロに決然と言い放つ。
「あくまでもわれわれの作戦だ。われわれの獲物だ。優先権はこちらにある。引き渡していいと判断するまでは、こちらでおさえておく」
ここは読んでいて、胸のすく場面だ。
ついには、スマイリー自らが、部下のギラムらを連れて、香港に乗り込んでいく。とはいえ、サーカスは香港での出先を失っているので、作戦本部は在香港アメリカ領事館内の、カズンズが使う一室。壁にはフォード大統領の写真。
もうひとつの関心事。本作ではCIAが、インドシナ半島での阿片の密貿易にからんでいたことが記述されている。
ラオスの首都ビエンチャンで、リジーのパートナーだった雇われパイロットは、CIAの依頼で阿片をラオス奥地から運んでいた。
なんのために?
詳しくは本作を読んでいただくとして、そのカラクリは、おそらく事実に即しているのだろう。アジアにおける「醜いアメリカ人」の行状が暴かれている。
ここで参考までに。本作に先んずること、松本清張氏が1969年から1970年にかけて『別冊文藝春秋』に連載した『象の白い脚』は、ラオスを舞台に阿片の密貿易を描いている。主人公は日本人で、CIAがからんだ阿片取引の実態を暴いていく。光文社文庫で現存するので、是非、読んでみてほしい。本作がより理解しやすくなる。
これはついでの話になるのだが、私は1980年代に晩年の松本清張氏を担当していたことがある。このとき、ル・カレ作品を私に薦めたのが、実は、ほかならぬ清張先生であった。
あわてて既刊を買い集めた記憶がある。
中国共産党内に潜む二重スパイ
それはさておき、物語は後半に入り、狙いはコウの弟ネルソンに絞られていく。スマイリーの見立てでは、彼は、宿敵カーラが中国共産党内に潜ませた二重スパイだった。
ネルソンは、中国共産党のテクノクラートとして、1950年代にソ連で造船技術を学ぶため、レニングラードの大学へ留学。ここでカーラにリクルートされたのだった。
なぜなら、同じ共産主義の同盟国とはいっても、ソ連と中国とは国境を接した大国であり、敵国に転じる脅威は常にある。その構図は、現代も変わらない。
大河に隔てられた国境では、未解決の領土問題をかかえていたのだ。
それだからこそ、カーラは将来を見越して二重スパイを送り込んだ。
この物語は、中ソ対立の歴史の予備知識があるといっそう楽しめる。
1949年の中華人民共和国の成立まもなくは、両国は蜜月関係にあり、ソ連は技術者を送り、核開発を含め中国の近代化にむけて援助を行っていた。
本作でもコウの弟ネルソンは、ソ連から派遣されて来た技術者から学び、のちにソ連に留学している。
しかし、毛沢東の政治路線はクレムリンの意に沿うものではなく、次第に独自の道を進んでいく。そこから両国の友好関係は破綻していく。
やがて国境線をめぐっての小競り合いが頻発し、ついには1969年、中ソ国境アムール川の中州、珍宝島で大規模な軍事衝突が勃発する。その果てに、クレムリンは北京を核攻撃する誘惑に駆られていく。
さらに1971年、毛沢東の後継者と目された林彪が、毛沢東暗殺未遂の疑いで当局に追われ、ソ連へ亡命を図るが、途中、搭乗機がモンゴルで墜落して死亡する。林彪は親ソ派と目されており、抗日戦争中に負傷し、ソ連で治療を受けたことがある。毛沢東と周恩来は、ソ連と密かに気脈を通じていたとして、林彪を断罪したのだった。
そして、激化した中ソ対立が米中の接近を促し、1972年にニクソン大統領の電撃的な訪中が実現する。毛沢東と周恩来はソ連を主敵とみなし、米国との緊張緩和を選択した。
本作は、ニクソンのあとのフォード大統領の時代。
ル・カレは、こうした東アジアの歴史を織り込んで物語を編んでいる。
ちなみに、いまの中国・ロシア関係は小康状態にあるようだ。しかし、習近平の「一帯一路」が強烈に推進されたとき、中ロの対立が再燃する芽を常にはらんでいる。
「実際に借りを払うのは……」
そして、いよいよ作戦は、最終段階へと向かう。しかし、このCIAとの共同作戦が、最後に仇となる。英米の上層部で、ある陰謀が進行していたのだ。
ル・カレは、本作でも組織と個人の問題を取り上げている。現場の工作員は、命令に従い自己犠牲を強いられる。当然、非情であらねばならないが、ときとして、個人の感情が優先してしまう。その先に待っているのは悲劇でしかない。
帰国を命じられたウェスタビーは思う。
リジーが彼を変えてしまった。
<あの女はどこか自分と似かよう敗北者であり、自分は惚れたのだ。きょうまで分別をきかして一線を引いてきたが、数日間自分の気持ちをたずねてきて、こればかりは純一な、かわりようのない結論であった。>
ウェスタビーは、はじめてジョージ・スマイリーに反旗を翻す。
<きょうまで彼の「教義」はジョージその人であった。>
ウェスタビーは、それほど信奉していたスマイリーに、正面切って言う。
「あんたは間違ってるよ、大将。どういうふうにか、どうしてかはわからないが、あんたは間違ってる。ま、いまごろいってもはじまらんだろうがね」
<彼はジョージにいってやりたかった。(略)大将、じっさいに借りを払うのは、いつもおれたちとはちがうあわれな連中なんだぜ>
ウェスタビーは惨殺された旧知の二人を思い浮かべる。コウの愛人リジーも男に翻弄された人生を送り、いままた情報部に操られ、破滅に向かおうとしている。
そして、ウェスタビーのとった行動が、劇的なクライマックスへと向かっていく。
最後に、情報戦の果実をもぎとったのは誰だったのか。
スマイリーは再び、サーカスを去っていく。
彼が別れた妻、アンに書き送った手紙がある。ピーター・ギラムは、離婚した夫婦の和解の仲介になればと、アンを訪ねたときに見せられた。
遺された手紙に、スマイリーが送ってきた、スパイという人生の本質が綴られている。
そこに、この作品のテーマがつまっている。
ひと言、ひと言が、ずしりと重い——。