【書評】落日の国のスパイ(後編):ジョン・ル・カレ著『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』
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(前編から続く)
初めて本書を手にする読者なら、最大の興味は「もぐら」(二重スパイの潜入工作員)が誰なのか、スマイリーによる追跡劇にあるだろう。
「きみを銃殺しようとしている」
だが本作には、たんなる謎解き以上の面白さがある。
この物語のもつ意味は、じつに多義的で読むたびに発見があるのだ。
以下は、私の好きな場面のひとつである。
本作は、英国情報部内での探索がメインであり、ソ連の大物スパイであるカーラは、あくまで影の存在として語られるのだが、唯一、生身のカーラが登場するのがここである。
1955年の夏、スマイリーはインドのデリーでカーラを尋問している。任務で現地に入っていたカーラは、ちょっとした手違いで身柄を拘束されていた。
英国情報部には、まだそれほどの大物との認識はなく、スマイリーの最初の印象も「痩せた小男」というものでしかない。
スマイリーは、情報の提供と引き換えに西側への亡命をそそのかす。
ソ連に強制送還されれば、彼を待ち受ける運命は、失態の責任を取らされ銃殺刑である。しかし、カーラはひと言も発しない。
スマイリーは、説得にやっきとなる。この頃の彼は、ヒューマニストであったか。のちに「やわな西側リベラルの典型」だったと、本人自身が恥じているのだが、ともかく、このときはこう考えている。
<自由についても、西側の根本的善意についても、いまさら講釈はしなかった。だいたい当時、もうそんな話を売り込むに有利な時代ではなく、わたし自身イデオロギーの面で明確な状態にはなかった>
だから互いにスパイという同類の観点から説くことにした。
「われわれはもう年だし、今日までの人生、たがいに体制の弱みをさがして生きてきた。きみが西側の価値観を見抜いているように、わたしも東側の価値観を見抜いている。ふたりともこのどうしようもない冷戦の技術面の達成感だけは、飽き飽きするほど味わったと思う。しかし、いまやきみの帰属する側は、きみを銃殺しようとしている」
愛飲の煙草は「キャメル」
カーラは沈黙を通している。
スマイリーは訴える。言葉をかえて。
「それぞれたどった道筋はちがっても、人生について達した結論はおなじかもしれないとは思わないか」
「たとえば政治的原則なんて、無意味だと思っているのでは」
「人生は個別性だけが価値があると思っているのでは」
「自分を容赦なく銃殺しようとする体制の無謬を疑ったことはないのか」
「今日まで仕えて尽くしてきた体制への信頼が、この期におよんでまだ本当に損なわれていないのか」
少し余談になるが——。
スマイリーは尋問中に、チェーンスモーカーのカーラに、煙草のパックとライターを手渡した。カーラ愛飲の煙草は、「キャメル」である。どうして「マールボロ」ではないのだろう?
本作は、丁寧に読むといろいろなディテイルが楽しめる。
スマイリー着用のコートは「マッキントッシュ」(英国製のブランド)。なんだか嬉しくなってしまう。
カーラに渡したライター。これは妻のアンからプレゼントされたもので、「アンからジョージに 愛のたけをこめて」と刻んであった。
スマイリーはこれをカーラにあげてしまう。なぜ?
これも何気ないような記述だが、のちに意味をもってくるから面白い。
話をもとにもどせば、カーラは無言のまま、身振りで転向を拒否。時間切れでソ連へ強制送還される。
スマイリーの述懐。
<記憶するかぎり彼を目にした最後は、タラップを降りるわたしを見ている、機窓の奥の無表情な顔だった>
だが、カーラは粛清されなかった。それどころか、上司を告発して銃殺刑に追いこみ、自らが権力の座についた。そうして「ジェラルド」を操り、のちに英国情報部を瀕死の淵に追い詰めることになる。
スマイリーとカーラが対決するこの場面に、この頃の冷戦下の情報員の実相が、凝縮して描かれていると思うのだ。
そして、組織において個人が犠牲を強いられることにかけては、西側だってきれいごとではすまされない。
チェコで銃撃され、深傷を負って帰国したジム・プリドーは、情報部の幹部から組織を守るために口止めを命じられる。
ル・カレは、個人の自由を尊重するはずの自由主義が、体制を守るためには手段を選ばず個人の犠牲を求めてくる、その矛盾を突く。
プリドーがスマイリーに発した悲痛な叫び。
「おれがしてきたことは。命令に従うことと、忘れることだ!」
道行を照らした薄暗いランプ
現実の世界に目を向けると、スマイリーがカーラを尋問した1955年の頃。ソ連からの亡命希望の予備軍は、大物から小物までかなりいた。
しかし、英国情報部も二重スパイの問題では痛手をこうむっている。
英国情報部MI6の幹部キム・フィルビーの裏切りが露見し、彼がソ連に亡命したのは1963年のこと。それ以前にも、彼とケンブリッジ大学の同窓で盟友だった外務省職員と英国情報部員の2人が1951年にソ連に亡命しており、サーカス内部も情報漏洩に神経過敏になっていたのである。
本作がフィルビーの亡命に触発されているのは間違いない。
ル・カレ自身が回想録である『地下道の鳩』(2016年)で、
<(略)『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』を書くときに私の道行を照らしたのは、キム・フィルビーの薄暗いランプだった>
と告白している。
ル・カレは1931年に、英国南部のドーセット州で生まれた。
パブリック・スクールで教育を受けたものの、スイスの大学でドイツ文学を学び、帰国後、オクスフォード大学で法律を学んでいる。
彼の人生に最大の影響をおよぼしたのが父親の存在であることは、著者自身がたびたび言及しているところである。エリートの家柄なのに天才的な詐欺師であり、身勝手で独断専横的な父親。
スパイという職業選択にも、その影響があるようだ。
ともあれ、大学卒業後、イートン校で教鞭をとったのち、1956年に情報部に入る。この頃、すでに大物幹部だったフィルビーは雲の上の存在だった。
1963年、ル・カレが西ドイツの首都ボンのイギリス大使館で政治担当の二等書記官を務めていた頃、ある日の夜遅く、彼はMI6の支局長の部屋に呼ばれ、フィルビーがソ連の二重スパイだったことを知らされたという。
それから10年後に本作が生まれた。
作品化にこぎつけるまで、それだけの歳月を要したということになるのだろう。
本作は、1970年代初頭という設定になっている。
作中でもふれられているが、1968年にはソ連が同盟国であるはずのチェコ・スロバキアの政治体制に軍事介入した、いわゆる「チェコ事件」が勃発している。
ル・カレが『寒い国から~』で描いた冷戦には、すでに二重スパイの問題が東西両陣営に影を落としていたとはいえ、双方のスパイ活動には、イデオロギーに根ざした「正義」という大義を掲げ、それなりの熱量があったと思う。
しかし、本作の年代になってくると、どうであろうか。
ル・カレは、落日の国のスパイを描いたか。
東西両陣営とも体制の矛盾が露呈している。
英国は老大国となり、インテリジェンスの世界で主役たりえた英国情報部も、脇役に後退せざるをえなくなった。
国力が衰退すれば、最前線の兵士は疲弊する。
この作品には、総じて憂色がただよっているという感想をもつ。
「もしも試練のときがきたら」
それだけに、スマイリーが身柄拘束された「もぐら」を収監先に訪ねていく場面、これが本作の白眉であると思う。
スマイリーはこれから尋問する「もぐら」、かつては同じ職場の同僚だった相手に、こんな感情をもつ。
<まるで初対面のような気がし、面と向かって咎めるにはもうおそかった。>
スマイリーは任務を果たしたものの、徒労と虚無感につつまれている。
「もぐら」が語ったところによると、裏切りの動機はこうだった。
<もしも試練の時がきたら、自分はどちらの側につくだろうと何度も考えた。長時間熟考したすえ、もしもどちらかの体制が勝ちをおさめねばならぬものなら、そのときは東のほうがいいと思った。>
共産主義に共鳴したというのか。
スマイリーは額面通りには信じていない。
「もぐら」は敏腕スパイで、赫々たる戦歴を誇り、情報部の輝ける星だった。彼がソ連の常雇いの「もぐら」になったのは、1956年のスエズ動乱がきっかけだったというが、かくも長きにわたって裏切り続けた理由はなにか。
スマイリーはこう理解した。
<所詮裏切りは習慣の問題だな、とスマイリーは思った。(筆者注・彼は)大いにたのしんでもいたのだ。それをスマイリーは瞬時も疑わなかった。秘密の舞台の中央に立つ彼は、ひとつの世界をもうひとつの世界と競わせる芝居の、作者であり主役でもあった。そう、(彼には)それがたのしかったのだ>
ル・カレは、フィルビーの裏切りの動機について、じっと考え続けていたのだろう。スマイリーの出した結論が、その解答であるように思う。
しかし、もはや相手を責めようとする気持ちはない。スパイという職業についての諦念が感じられるのだ。
<もし自分の人生の使命が、裏切り者を転向させてこちらの主義にとりこむことだとしたら(略)あらゆる秘密を分かち合ってきた者が、別の誰かの主義に取りこまれたとしても文句は言えないはずだ。>(前掲、『地下道の鳩』)
欺瞞擬装工作とは——。騙していたと思っていたら、いつのまにか騙されていた。真実はどこにあるのか。疑心暗鬼の連鎖に終わりはない。
本作のスマイリーによる追跡劇の行きついた先にも、おおきなどんでん返しが待っている。「テスティファイ」作戦には、もう一段の裏があったのだ。
この作品は、スパイ小説という枠をはるかに凌駕している。
現実の世界では、フィルビーはソ連に亡命した。
本作の結末は?
作家は、さも重大事件ではないかのようにサラッとそれを記述しているが、どうしてなんだろう。
何度、読み返してみても、私にはまだ答えが見つかっていない。