プロローグ:人類は犠牲者であり加害者でもある
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「お清め」がエイズまん延の一因に
多くの感染症の流行に、ヒトの「行動」が大きく関与していることは疑いの余地がない。ヒトは病気を減らすつもりで逆に増やしているのではないか。こんな疑問がわいてくる。長期間、調査研究に携わってきたアフリカで、何度となくヒトが病気を増やしている現場を目撃してきた。
1980年代に働いていたケニアの国連機関のオフィスで、顔なじみの現地職員が突然姿を消し、後にエイズで亡くなったと聞かされたことが何度かあった。当時、エイズがなぜこれほどまで爆発的に流行するのかを調べていて、アフリカの一部の国では現在でも非人道的な習慣が受け継がれ、それが流行を招く一因になっていることを知った。
かつての日本と同じように、アフリカ諸国でも出稼ぎが盛んだ。地方から都会に働きに来た男性がエイズに感染してウイルスを村に持ち帰り、突如として辺地の村で流行が始まることがあった。妻が最初の感染者となり、次いで母乳から乳児が感染する。アフリカでは多妻婚をはじめ婚外交渉が普通にみられ、そこにエイズウイルスが侵入すると病気がネズミ算式に広がっていく。
例えば、こんな性因習が存在していた。男性が亡くなった場合、その妻は「お清め」を受けなければならない。その意味は、未亡人が夫の兄弟やその他の親族と無防備なセックスをすることだ。未亡人は感染している可能性が高く、エイズ のまん延を招く一因にもなった。政府や欧米の人権団体が繰り返し「お清め」の中止を呼びかけているにもかかわらず、南アのクワズール・ナタール大学の研究グループが継続している調査では、今もって完全になくなってはいない。
世界保健機関(WHO)の2022年の統計では、世界のエイズ感染者数は3900万人で、その3分の2、つまり約2560万人がアフリカ人であり、年間約38万人が死亡した。欧米諸国ではエイズの流行はほぼ収束したが、アフリカ諸国では死因のトップから現在は4位に下がったとはいえ、依然として猛威を振るっている。
漁網に化けた援助物資
エイズだけでない。マラリアは2020年に世界で毎年約62万人の命を奪ったが、そのうちの95%をアフリカ諸国が占めている。このため、日本など先進国はアフリカへの開発支援としてマラリア対策に力を入れており、その一助として殺虫剤を染みこませた蚊帳を配布してきた。媒介するハマダラカは、夕方から夜間に活動することから蚊帳の効果に期待が寄せられた。
ザンビアに勤務している時、北部のバングウェウル湿地を訪ねたことがある。岐阜県ほどの面積の巨大な湿地帯である。高台には漁村が点在し、軒先には漁網が干してあった。だが、よく見ると漁網ではなく蚊帳だった。 漁師たちは蚊帳を漁網代わりに漁をしていたのだ。その理由を漁民に尋ねると、「腹をすかした子どもは蚊帳じゃ腹いっぱいにはならない」という返事が返ってきた。
その後、モザンビークの海岸やマラウイ湖などでも、地元民が蚊帳を漁網として使っているのを目撃した。WHOは、「マラリアの死亡率を半減させたのは蚊帳の援助のおかげだ」と評価していることから一定の効果はあったのだろう。しかし、援助団体の間では、蚊帳は目が細かいので稚魚まで捕ってしまうことや、染みこませた殺虫剤が環境汚染を引き起こす可能性を危惧する声もある。
援助にはこうした見こみ違いがつき物だ。例えば、米国の民間支援団体がエイズ救済のためにアフリカ各地に拠点を設けたら、各国政府の公衆衛生の担当者が給与の高い支援団体に転職して政府から専門家が姿を消して、かえって対策が滞ったこともあった。
開発プロジェクトが呼び込むマラリア
大型の開発プロジェクトにも見込み違いがある。水力発電や灌漑(かんがい)に必要なダムは国の発展の起爆剤となるため、世界銀行などの支援で、アフリカ諸国では近年盛んに建設されている。しかし、熱帯地域で水の滞留域を作るのがいかに危険を伴うのか、米カリフォルニア大学の昆虫媒介感染症の専門家、ソロモン・キブレットらが警告する。
サハラ以南のアフリカでは、高さ15メートル以上の大型ダムから5キロ以内に住む人々は、2000 年には1440万人だったが、現在は2000万人を超える。ダムが完成して貯水が始まるや、周辺住民の間でマラリア感染者が急増することが、以前から「開発マラリア」として問題になってきた。水が滞留するダム湖は、マラリアを媒介するハマダラカ蚊のボウフラにとって絶好の繁殖場所になるからだ。
キブレットらがセネガルのダカールで行った調査では、ダムから160メートル以内の住民のマラリア発生率は74%であるのに対し、900メートル以上離れた住民のマラリア発生率はわずか17%だった。サハラ以南アフリカ全体では、2000年現在、1286の大型ダムがあり、ダム周辺に暮らす約900万人がマラリア感染の危険にさらされていると推定する。
感染防止よりも大切な儀式
エボラ出血熱の流行でも、地元の習慣が大きく関わっていた。2014年3月に西アフリカ一帯が巻き込まれたエボラ出血熱の大流行は、悲惨な症状で世界に衝撃を与えた。流行はギニア南部で始まり、2歳の男の子が「ゼロ号患者」、つまり震源だった。つづいて、その子の姉、母親、祖母が亡くなり、家族から親族、近隣住民へと感染が広がっていった。
国際医療援助団体の一員として現場にかけつけたフランス人医師から、当時の様子を聞くことができた。死者の葬儀に集まった近親者や親しい人たちが、遺体の全身をさすって最後のお別れをする習慣が、この地方にはあった。エボラ出血熱は発症者の血液、分泌物、吐瀉(としゃ)物、排泄(はいせつ)物などとの接触によって伝染する。葬儀を境に周辺の町にも一気に拡大したのは、この死者との接触が大きく関わっていたとみられている。医師らは、死者には絶対に触れないように繰り返し村人に説いたが、全く守られなかったという。この儀式は、彼らにとって感染防止よりも重要だったのだろう。
ダム開発が生んだ住血吸虫症
もうひとつ農業開発が感染症を拡大した例を紹介しよう。河川や湖沼で発生する住血吸虫症だ。熱帯の途上地域では、ダムや灌漑水路の普及とともにますます感染が広がっていった。エジプトでは1970年に完成したアスワン・ハイ・ダムが貯水を開始した直後から「ビルハルツ住血吸虫症」の爆発的な流行が始まった。寄生虫である住血吸虫はヒトと巻き貝を宿主とする生活史を営み、巻き貝から寄生虫の幼虫が放出され、ヒトが水に触れた際に皮膚から侵入する。
ダムの建設前は、ナイル川の定期的な氾濫で宿主となる巻き貝は洗い流されていた。だが、ダムによって洪水が制御され、潅漑用水路が広がるにつれてダム湖周辺にはよどんだ水域ができ、巻き貝がはびこるようになった。この結果、ナイル川流域の80~100%の住民が保虫者になった。WHOの推定では、エジプトだけでなく世界の78カ国で2億5000万人が感染して、合併症を含めて毎年2万人が死亡するという。こうした寄生虫がはびこる原因は、ダムや灌漑網の建設が少なからず影響を及ぼしている。
高度な灌漑網をつくり上げたメソポタミアやエジプトなどの初期の農耕社会では、すでに住血吸虫がはびこっていたようだ。約4000年前のパピルス文書にその記述があり、ツタンカーメン王のミイラの内臓からも住血吸虫の卵が見つかった。保虫者は慢性的な胃痛や胸痛、下痢、疲労感などを訴え、その卵がぼうこうや尿管の粘膜に集まるために尿路に障害が現れる。ナポレオンは1791年にエジプトに遠征したときに感染したらしく、尿道の激痛に悩まされていたと伝えられる。
日本では近縁の「日本住血吸虫」が水田稲作とともに弥生時代に大陸から持ち込まれ、甲府盆地、筑後川流域などの各地において農民の間で流行した。腹痛や下痢といった消化器に症状が現れるだけでなく、虫卵は血流に乗って運ばれ、肝臓と脳に炎症が起きて死に至ることもある。日本では2000年までに撲滅されたが、中国の長江流域などアジア各地ではまだ感染がつづいている。
私たちは感染症の犠牲者と信じてきたが、実は多くの場合、流行の原因をつくったのは私たち自身だ。つまり加害者でもある。本シリーズの第3部では、こうした感染症を引き起こしたヒト側の責任を追及していきたい。
(文中敬称略)
1章 人類が自ら招いた危機:(1)続出するニューフェース に続く
バナー写真:自宅でエイズによる感染症で亡くなった家族を悼む人たち。この家ではエイズで10人が命を失ったという。ウガンダのカンパラで。2005年12月13日撮影(この写真は記事の内容に直接の関係はありません)(Photo by Marco Di Lauro/Getty Images)