
當麻寺 増長天立像:六田知弘の古仏巡礼
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穏やかな表情ながら、底に秘めた力強い闘志が伝わってくる。
當麻寺(奈良県葛城市)の金堂に安置される増長天立像だ。増長天は四方を守る護法神・四天王の一つで、南方世界を受け持つ。豊かな顎髭(ひげ)をたくわえた表情には、中国の西域を守る武人のようなエキゾチックな雰囲気が漂う。甲冑(かっちゅう)の形が中国・唐時代(618〜907)よりも古く、隋(581〜619)あるいは南北朝時代(439〜589)の仏像に似ていると言われる。直立した姿勢で右手を前に突き出し、左手で鉾(ほこ)を持つ。落ち着いたたたずまいながら、「ここから先は誰も通さない」という気迫が感じられる。
写真家・六田知弘は、物心がつくかつかないかの頃から祖父に連れられて生家からほど近い當麻寺をたびたび訪れたという。薄暗い空間の中で南側の扉の格子から入る柔らかな光を受けて、増長天像が闇の中に浮かび上がって見えたことを今でも鮮明に覚えているそうだ。
當麻寺は612(推古20)年、聖徳太子の弟・麻呂子(まろこ)親王が創建したと伝わる。その後、壬申の乱(672年)の鎮圧に功績があった親王の孫・当麻(當麻)国見(たいまのくにみ)が、奈良と大阪の県境にそびえる二上山の東麓に移し、當麻寺と称するようになった。
飛鳥時代、弥勒仏坐(ざ)像(国宝)が鎮座する金堂が本堂だった。奈良時代に中将姫(ちゅうじょうひめ)が織ったと伝わる浄土図「當麻曼荼羅(まんだら)」(国宝)が末法思想の普及した平安末期に信仰を集めるようになると、それを安置する曼荼羅堂(国宝)が本堂に改修された。中将姫は當麻寺で出家して、曼荼羅を織り上げ、29歳で極楽浄土へ行ったという伝説上の人物。能や浄瑠璃などにも登場する。
弥勒仏坐像は日本最古の塑像(粘土製の彫像)で、飛鳥時代後期(白鳳時代)の代表的な作例である。それを囲む四天王立像は国の重要文化財で、鎌倉時代に制作された多聞天像を除き日本最古の脱活乾漆像。粘土で作られた原型に漆を浸した麻布を貼り、乾漆後に内部を取り除いたものだ。
興福寺の阿修羅(あしゅら)像など脱活乾漆像は天平時代(奈良時代)以降さかんに作られることになるが、その先駆的な作品と言える。本尊の弥勒仏坐像とは素材・技法が違うことから、別々の場所から移されたものと推測される。木造の多聞天以外は、四天王像としては2番目に古く、寺伝では百済(くだら)から招来したとされる。ちなみに最古は、法隆寺金堂の四天王像である。
増長天立像
- 読み:ぞうちょうてんりゅうぞう
- 像高:2.19メートル
- 時代:飛鳥時代後期(白鳳時代)
- 所蔵:當麻寺
- 指定:重要文化財(指定名:乾漆四天王立像)
バナー写真:増長天立像 當麻寺蔵 撮影:六田 知弘