仏像にまみえる

高蔵寺 阿弥陀如来坐像(旧像):六田知弘の古仏巡礼

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六田 知弘 【Profile】村松 哲文 【Profile】

古刹・高蔵寺の阿弥陀堂で、本尊の阿弥陀如来の脇に控えるもう一体の阿弥陀如来。激しく傷んでいるが、端正な顔立ちは何を物語っているのだろうか。

沈思黙考する尊顔が、浄土への憧憬を抱かせる。

宮城県の古刹・高蔵寺(宮城県角田市)の阿弥陀堂に安置される破損仏だ。右腕を失い、心臓がえぐられたような痛々しい姿ながらも、なんとか原型をとどめ、悩める衆生を極楽浄土へといざなう。

高蔵寺は819(弘仁10)年に創建されたと伝わる。阿弥陀堂は奥州藤原氏の全盛期を築いた3代藤原秀衡(ひでひら)の妻が、1177(治承元)年に造営したと言われる。茅葺(かやぶき)で宝形造の屋根を持つ小さな堂だが、中尊寺金色堂(岩手県平泉町)や白水阿弥陀堂(福島県いわき市)と共に東北三大阿弥陀堂に数えられ、国の重要文化財に指定されている。

阿弥陀堂

阿弥陀堂

阿弥陀堂の中央に鎮座するのは、本尊の阿弥陀如来坐(ざ)像(重要文化財、像高2.7メートル)。平安後期(藤原時代)、中国の影響から脱して制作された和様の仏像で、像高は2.7メートルだが、天井を突き刺さんばかりの光背を合わせると5メートルを超える高さとなる。

本尊の阿弥陀如来坐像(左)と破損した阿弥陀如来坐像(旧像)

本尊の阿弥陀如来坐像(左)と破損した阿弥陀如来坐像(旧像)

本来であれば重要文化財である本尊を取り上げるべきなのだが、写真家・六田知弘は、本尊に向かって右側に静かにたたずむもう一体の阿弥陀仏が発する波動に引き付けられたという。ひどく傷んでいるものの像高は本尊と同じ2.7メートル。傷の中央に線が入ってこることからも分かるように寄木造と呼ばれる技法で作られている。

木肌が露出して当初の彩色は不明だが、螺髪(らほつ=縮れて巻き毛になった頭髪)の小ぶりな表現や端正な目や唇などから、本尊と同じ藤原時代の作と推測される。その優美さは同時代に制作された中尊寺の阿弥陀如来坐像と通ずるものがある

この破損仏こそが阿弥陀堂創建時の本尊であったとする説もある。そう言われてみると、長い歴史の中で幾多の災難に遭いながらも何とか原型を保っているようにも思える。そんな姿が写真家の心に響いたのかもしれない。本像は「木造阿弥陀如来坐像(旧像)」として角田市の指定文化財に登録され、寺でもそれを正式名称とする。

本尊の阿弥陀如来坐像は東日本大震災での破損もあり、2016年から4年がかりで保存修理が施された。上の写真は修復前のものだが、現在は万全の保管状態の本尊、崩れかかった旧像のコントラストがより際立っている。同寺を訪れる機会があれば、ぜひ破損仏にも向き合って、静かに手を合わせてほしい。

阿弥陀如来坐像(旧像)

  • 読み:あみだにょらいざぞう(きゅうぞう) 
  • 像高:2.7メートル
  • 時代:平安時代
  • 所蔵:高蔵寺
  • 指定:角田市指定文化財「指定名 木造阿弥陀如来坐像(旧像)」

※ 拝観希望者は事前に電話(0224-65-2038)での問い合わせが必要

バナー写真:阿弥陀如来坐像(旧蔵) 高蔵寺蔵 撮影:六田 知弘

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    六田 知弘MUDA Tomohiro経歴・執筆一覧を見る

    写真家。1956年、奈良県生まれ。80年、早稲田大学教育学部卒業。「宇宙と自然と人間との根源的なつながり」をテーマに、人、風土、建築、石、水、壁、東日本大震災の被災物などさまざまな事象を対象に撮影。特に内面を浮き彫りにする仏像写真は、国内外で高く評価されている。主な写真集に、『雲岡石窟:仏宇宙』(2010年、冨山房インターナショナル)、『ロマネスク:光と闇にひそむもの』(2017年、生活の友社)、『仏宇宙』(2020年、同)、『運慶』(2023年、求龍堂)など。www.muda-photo.com

    村松 哲文MURAMATSU Tetsufumi経歴・執筆一覧を見る

    駒澤大学仏教学部教授。1967年東京都生まれ。早稲田大学大学院博士後期課程満期退学。専攻は仏教美術史・禅美術。早稲田大学会津八一記念博物館を経て現職。禅文化歴史博物館長も兼任。著書に『駒澤大学仏教学部教授が語る 仏像鑑賞入門』(集英社新書、2022年)、『関東 会いに行きたくなる仏さま』(NHK出版、同年)など。

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