大日如来坐像:六田知弘の古仏巡礼(11)
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天才仏師のデビュー作、いつまでも見ていられる不思議な魅力がある。
奈良市郊外の山間にたたずむ古刹・円成寺の大日如来坐像(ざぞう)は、仏像史にさんぜんと輝く名を残した仏師・運慶が20代の頃に手がけた。
運慶というと鎌倉時代のイメージだが、檜(ひのき)の寄木造りである本像が製作されたのは平安時代末。台座裏側に墨で書かれた銘文には、1175(安元元)年11月24日から着手し、翌年の10月に完成したと記されている。作者名は「大仏師康慶、実弟子運慶」。康慶は運慶の父で、慶派仏師の祖。「実弟子」は、実の子供である弟子を意味する。この大きさの仏像であれば、通常は3カ月ほどで仕上げるが、11カ月という期間はあまりにも長い。父が息子を厳しく指導しながら完成させた、あるいは運慶のこだわりが長時間を要したとも考えられる。
大日如来は密教世界の教主で、その光明があまねく照らすことから大日という。智慧(ちえ)を象徴する金剛界と慈悲を象徴する胎蔵界、この両界の中心にはそれぞれに大日如来がいて、手の形(印相)が異なる。胸前で左手の人さし指を立て、それを右手で包み込む智拳印(ちけんいん)は、衆生を包み込む仏の智慧を象徴するもので、金剛界の大日如来を表現している。ちなみに胎蔵界の大日如来は、坐禅をする時の手と同じ、腹の前で全ての指を伸ばして重ね合わせる禅定印を結ぶ。
平行に並べられた衣文(えもん)線、なだらかな体のフォルムなどは平安時代の様式をとどめる。一方で水晶の玉眼を使った意志の強さを感じさせる表情や、胸を張り背筋を伸ばす緊張感は、平安仏の整った姿からは逸脱している。
さらに智拳印を結ぶ両腕の位置を体から絶妙にあけた空間表現は、画期的なものだ。そこにはリアリズムを超えた肉体のフォルムの美しさがあり、後に開花する運慶の芸術性を予感させる。新たな仏像彫刻の歴史が本像からスタートしたといえるだろう。
大日如来坐像
- 読み:だいにちにょらいざぞう
- 像高:98.2センチ
- 時代:平安時代末
- 所蔵:円成寺
- 指定:国宝
バナー写真:大日如来坐像 円成寺蔵 撮影:六田 知弘