仏像にまみえる

円空仏:六田知弘の古仏巡礼(9)

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日本各地を遍歴しながら、12万体もの木彫仏をつくったという僧・円空。その仏像は荒削りながら、どれも慈愛に満ちている。

荒削りのほほ笑みに、なぜこれほどまでに引かれるか。

江戸時代の初め、一人の僧侶が旅をしながら仏像を彫った。その名は円空(1632〜95)。美濃国(現・岐阜県)で生まれ、大峰山(奈良県)で修行した修験者である。美濃を拠点に、関西から当時は未開拓だった北海道まで遊行し、旅先で仏像を製作した。生涯で12万体の仏像をつくることを発願したと伝えられる。寺社からの依頼だけでなく、旅先で世話になった人々のためにも彫った。

彫像は、仏像だけではなく神像にまで及ぶ。円空仏の魅力は、伝統的な仏像製作の手法に一切とらわれない、その自由奔放さにある。実際に12万体を彫ったとされ、現存が確認されているものだけでも5000体を超える。

縦に割っただけの木材や時には流木や倒木を使い、角を正面にして鑿(のみ)や鉈(なた)でザクザクと彫っていく。最大の特徴は細部にこだわらず簡素に表現すること。装飾や彩色を加えず、その豪胆な木肌をむき出しにする。廃材のような無価値のものから削り出した「木っ端仏」も数多く手がけた。

本像は目尻が少しつり上がり、憤怒の表情を浮かべているようだ。しかし、よく見ると口角が若干上がっていて、ほほ笑んでいる。

円空仏はいつも笑顔なのだ。

わが母の 命に代わる 袈裟(けさ)なれや 法(のり)のみかげは 万代(よろず)を経(へ)ん

(私の袈裟は母の命に代わるものだ。その仏法の威光は永遠に輝き続けるであろう)『円空歌集』

円空は幼くして母と死別し、その悲しみを乗り越えるために出家したと言われている。この和歌からも母への思いが伝わってくる。岐阜県羽島市で近年、円空の彫った十一面観音の胎内から、阿弥陀如來像や鏡などが見つかった。その鏡が母の形見だとする説が有力視されている。

円空は自身の体が衰弱してきたことを悟ると母が眠る長良川のほとりの地に戻り、断食して即身仏となって64歳の生涯を閉じた。円空仏にみられる笑顔は、慈愛に満ちた母のほほ笑みなのかもしれない。

円空仏

  • 読み:えんくうぶつ
  • 像高:77センチ
  • 時代:江戸時代(17世紀)
  • 所蔵:個人蔵

バナー写真:円空仏 個人蔵 撮影:六田 知弘

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