恐山逍遥 ── 生死のよどみのほとりにて
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「人は死ねば、お山(恐山)さ行ぐ」
青森県下北地方では、恐山は死者の霊魂が集まる、あの世とこの世をつなぐ場所と古くから言われてきた。大切な亡き人を偲(しの)ぶために訪れる者は、今も後を絶たない。
火山の噴火でできたカルデラ湖である宇曽利湖(うそりこ)。この湖を中心に八つの峰が連なる一帯を「恐山」と呼ぶ。「宇曽利」という音が訛り、いつしかそう称されるようになったと伝わる。
「おそれざん」という言葉の響きには、ほの暗い、不気味な、死を抱くイメージがある。
私は20数年前、一度だけ恐山を駆け足で回ったことがあった。今回は宿坊に滞在し、ゆっくりと恐山を「触って」みたかった。
硫黄が噴出し黒い火山岩の塊に囲まれた、「姥捨山(うばすてやま)」をも想起させる異様な地獄の光景。ところがその地獄を抜けると一転、翡翠(ひすい)の水と白砂の輝く「極楽浜」が出現する。
硫黄噴出口が集まった「地獄」と呼ばれる一帯で、勢いよくほとばしる熱水。まだ地球が熱いマグマオーシャンに覆われていた40億年前、原初の生命が産声を上げたのはこうした場所だった可能性があるとして、「陸上温泉説」が近年研究されている。恐山が「死と再生」の聖地であることを、人々はとうの昔に察知していたのかもしれない。
私はこの連載の取材を通して、結局「死とは何か?」という問いの周りをぐるぐる回っているようだ。恐山を逍遥しながら、ある生物医学者の、死を想う言葉を思い出した。
「死ぬことはいいことなのだと考えている自分自身に驚いている。…(中略)…私はむしろ、意識が付着していた繊維から切り離されて、生れ故郷である膜のほうへと軽く息を吸い込むように引き戻されて行ったのだと考えたい。それによって生物圏の神経系に一つの新しい思い出がつけ加えられたのだと考えたい。」(ルイス・トマス著『細胞から大宇宙へ』1976年、平凡社刊より引用)
写真と文=大西成明
バナー写真:霊場恐山内の「地獄」を思わせる岩場