プロローグ 「生老病死」を撮る:生まれた時が死の始まり
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ニッポン老人列島
「老い」が、しんしんとニッポン列島に降り積もる。いつの間にか、世界一の超高齢社会になってしまったこの国の「老い模様」は、総人口の減少、出生数の加速度的な低下も重なって、深刻な陰りをもたらしている。2025年には、70歳以上の高齢者は3000万人(国民の4人に1人)に達すると言われ、私自身も今年すでにその仲間入りを果たした。
70年も生きていると、油も切れるしサビも出る。色も褪(あ)せればシワもよる。私は時々簡単な聴診器で、自分の心臓音を聴くことにしている。ドックンドックンと、よくぞまあ70年も心臓は片時も休むことなく、あんなに力強い鼓動をリズミカルに轟(とどろ)かせているもんだと驚嘆してしまう。自身の身体の内側の声に耳を傾け、対話し、いたわることが、「老い」を生きる覚悟をもたらしてくれる。
周りの親しい人たちが、ひと足先にこの世から一人二人と消えていくことにも慣れ、にぎやかだった家族も縮小し、話し相手がいればまだいい方で、「咳(せき)をしても一人」(尾崎放哉(ほうさい)・大正期の俳人の句)という案配だ。不本意にも「下流老人」とランク付けされ、老後破綻におびえ、老害をまき散らして、老骨に鞭打って生きていかざるを得ない人のなんと多いことか。まさしくニッポン老人列島である。
しかし、「老い」というのは悲惨で残酷なだけでない。見方を変えると、どこか諦めや脱力したゆるさが心地良い面もある。早朝に目覚めたときや、昼下がりの睡魔に襲われたとき、はるか昔の記憶をたどりながら想像力が自在に駆け巡り、夢と現(うつつ)が溶け合って、メリーゴーラウンドのようにゆっくりと回転していく時間は、何とも言えず至福である。
生老病死(しょうろうびょうし)とは仏教由来の言葉で、生まれること・老いること・病むこと・死ぬことを指し、人が生きていく上で避けることのできない、4つの根源的な苦しみ(四苦)を意味している。生まれたものは必ず朽ちて死んでいく。しかしそれが生きとし生けるものの定めである限り、朽ちるプロセスから目をそらさないで見届ける覚悟が大切だと、私は思ってきた。
写真に興味を持ち始めた頃、なけなしの金をはたいて買った新品のカメラを向けた最初の被写体はゴミ捨て場だった。そこで、マネキンの首や、綿のはみ出た布団、弁当の残りや雨にぬれて変色した雑誌のヌードグラビアなどを撮っていると、なぜか元気になった。無用になったものの来し方行く末は、私の想像力を大いに刺激した。
生まれた瞬間から、われわれの細胞は分裂を繰り返し、古い細胞が壊れて、新しい細胞と入れ替わっていく。ところが老化した細胞はいつしか劣化して「毒」をまき散らし、「病」のサイクルへと導いていくのだ。
人生は川の流れのごとし
初めてのわが子の誕生に立ち会って心底驚いたのは、生まれた後にずるずると出てきた胎盤を目撃した時だ。母体から胎児へ栄養と酸素を送り出し老廃物を回収する胎盤。びっしりと血管の走った赤紫色に輝く胎盤を見て、昔の人はその袋の偉大さに驚き、感謝し、思わず手を合わせたそうだ。「お袋」という言葉はこうして生まれたといわれている。
私は20年ほどかけてざっと200本ほど、日本全国の川を撮影してきた。「川の流れのように」という歌が長く愛されているのは、日本人の多くが、自分の人生を1本の川の流れに投影する感性を持ち合わせているからだろう。
川の始まりである最上流部の光景は、どんな川も似通っている。それが中流部になると支流を集め、峡谷を刻み、青年期らしいたくましさを見せるようになる。そして下流に差しかかると、その川が持つ「宿命」が形を成していく。穏やかに海に注ぐ川もあれば、コンビナートに翻弄(ほんろう)される川、干潟を作り多様な生き物を育む川など、まさにヒトの老後の多様な姿を想起させる。
サケは川を遡上(そじょう)して、最後の力を振り絞って産卵・放精し、子孫を残し、力尽きて死ぬ。多くの生物はその原理に従うが、子孫を作った後、死までの長い猶予期間である「老年期」を持つのは、ヒト特有の終わり方だといわれる。ならば、社会のため、地域のため、子供・孫の世代のために、知恵と経験を生かせないものか。さらに、死に親しみ、死ぬことの恐怖から少しでも自由になって、魂の跳躍 (エラン・ヴィタール)を果たす──そんな老熟の時を迎えたいものである。
「死」の深淵(しんえん)
8割の人が病院で死ぬ時代になった。生まれるのも病院、死ぬのも病院。安心安全と引き換えに、生まれ死ぬことの動物的、本能的で赤裸々な「生きる衝動」が、どんどん細っているように思えてならない。なんとも、もったいないことではないか。
身体にちょっとした変調を感じたら、すぐ病院に駆け込む癖がついている人は多い。立派な医療機器で検査され、あっという間に「病人」に仕立てられ、ホッと一息。あふれんばかりの薬を飲まされ、手術・リハビリを経て、揚げ句の果てに寝たきりとなっていつしかお迎えが来てしまう。
しかし程なく訪れる「多死社会」になると、もはや死に場所としての病院に、空きが残されていないかもしれない。「どこでどのように死にたいのか」、われわれは、その問いに向き合う正念場を迎えつつあるのだ。
22歳のときだった。建築現場で作業中、ビルの5階の床に開いた大きな穴をふさいでいたベニヤ板を踏み抜いて、5階から4階に後ろ向きに不意に転落した。その刹那(せつな)、死の恐怖を感じながら、一方で不思議なほど静かで安らかな感覚に包まれていた。ほんの数秒かと思うが、落下しながら、その光景をまるでスローモーションの映画を見るように眺めているもう一人の自分がいる。今までの人生のあらゆるシーンが走馬灯のように駆け巡った。あっという間なのに、永遠の中にいる。そうか、ヒトって、こんな風にして死んでいくのかと瞬時に悟った。
あの数秒間の出来事の意味が分かったのは、その後、臨死体験者の手記を読んだ時だった。もし、死というものがあんなに甘美なものならば、そんなに恐れることがあろうか。死はどこかで、静かに、優しく待っていてくれるのだと思いたい。
幼い頃から、「人は死んだら星になるんだ」と信じてきた。宇宙空間をさまよう星のかけらが、たまたまこの地球に飛来し、中に閉じ込められていた多様な物質が「生命の素」になり、38億年前の海で一つの細胞が誕生した。気の遠くなるような長い歳月をかけて、その細胞が進化し、今生きている数千万種もの生きものになっていくという、壮大な生命の物語。
夜空の星を眺めながら、宇宙から来て宇宙に還(かえ)るという、私たちのあまりにシンプルな「生命の有り様」に思いを巡らす。老年期こそ、そうした「細胞から宇宙へ」の想像力を羽ばたかせるにふさわしい。本シリーズでは、そんな思いを頭の片隅に置きながら、この国の老いの現場を訪ねていきたい。
写真と文=大西成明
バナー写真=老人保健施設で出会った寝たきりの老女