感染症の文明史 :【第2部】インフルの脅威

3章 鳥インフルウイルス:(2)大変異によって生まれた豚インフル

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ウイルス免疫学の世界的権威は、ウイルスが人類史に重大な影響を及ぼしてきた理由を「ever-changing(絶え間なく変わる)に尽きる」と語った。通常の変異に加え、他のウイルスと遺伝子を変換した「雑種」をつくる「遺伝子再集合」という大変異が、時として人類を脅かすパンデミックを引き起こすのだ。

空白地帯だった南極でも鳥インフルウイルスを発見

米国立衛生研究所(NHI)のヴィヴィアン・デューガンらのグループが、9000 種以上の野鳥を調べたところ、カモ、カモメ、アジサシ、シギ、チドリなど少なくとも 105種がA型インフルウイルス、つまり、「鳥インフルウイルス」を保有する自然宿主だった。野鳥以外にも、A型インフルウイルスは、ウマ、ウシ、イヌ、ネコ、ネズミ、ヒョウ、アシカ、クジラ、コウモリなどの多種多様な哺乳類にも感染する。

野生生物・家畜・ペットに広がったインフルウイルス

世界を驚かせたこんな宿主も見つかった。世界保健機関(WHO)の研究員アーロン・ハートらが、2014年に南極半島でアデリーペンギンのフンと血液から、「H3N8」の鳥インフルウイルスを分離した。このウイルスはウマ(馬)インフルウイルスと共通の祖先から分岐した新しい亜型だった。また、ブラジル・サンパウロ大学のマリア・オグジェワルスカらのチームも、2022年にペンギンの集団営巣地で集めたフンから同じ亜型ウイルスを分離した。ただし、発病したペンギンは見つかっていない。

不気味なのは、10年ほど前に中南米でコウモリだけから分離された「H17N10」と「H18N11」だ。最近、エジプトや南アフリカのオオコウモリからも新たな「H9N2」が検出された。他のインフルウイルスと異なった進化を遂げたようで、正体がよく分からない。コウモリは新型コロナやエボラ出血熱など多くの病原性ウイルスの保有者である。これらのインフルウイルスが、今後どのようにヒトに関わってくるのか、気になるところだ。

唯一の空白地帯だった南極でも発見されたことで、鳥インフルウイルスが全地球を覆うウイルスであることが確認された。北極圏と南極圏を行き来するキョクアジサシなどの渡り鳥から感染して、南極に持ち込んだ可能性が指摘されている。

常住不滅の存在

40年以上前のことになる。新聞社の科学記者だったときに、米カリフォルニア州ラホーヤにあるスクリップス研究所にマイケル・オールドストーン教授を訪ねたことがある。彼は数々の賞を受賞し、ウイルス免疫学のレジェンド的存在だった。インフルが非常に危険な状態でパンデミック再発する可能性があると強調して、スペイン風邪のウイルスを監視するためにその変異を追いかけていることを最近の研究を例に説明してくれた。

正直なところ、話は難しくて半分ほどしか理解できなかった。ただ、彼が「あんなに小さくて単純な構造のウイルスが、人類史に重大な影響を及ぼしてきた理由は「ever-changing(絶え間なく変わる)」に尽きる」と熱っぽく語っていたのが強く印象に残った。インタビューの途中で2人とも野鳥観察が趣味であることが分かり、取材を適当に切り上げて研究所の前に広がる海岸にバードウォッチングに出かけたことを思い出す。

2023 年7月、欧米のメディアがオールドストーン教授の訃報を一斉に報じ、科学専門誌には追悼の言葉が並んだ。91 歳だった。久しぶりに「ever-changing」を思い出した。こうも語っていた。「危険な病原体は、ヒトがつくり変えた環境やライフスタイルがもたらしたものだ」

変異によって強毒化やワクチンに対する無力化が

ウイルスは細菌とは異なり自力で増殖できない。そのため、他の生物の細胞内に侵入してハイジャックし、自分の複製(コピー)を作らせることで増殖する。ウイルスがニワトリなどの家禽に感染すると、1個のウイルスが16時間後には 1万個、24時間後には100万個という驚異的なスピードでコピーを作り出す。このときに起きるコピーミス、つまり遺伝子の配列の変化が「変異」である。

インフルウイルスはRNAウイルスであり、DNAウイルスと違ってコピーミスの修復機能がないので変異を起こしやすい。そのためヒトに比べて 1000倍から1万倍もの確率で遺伝子の変異が生じる。これらの変異が蓄積して、感染力の強化や強毒化、ワクチンや治療薬に対する無力化などの能力を獲得した変異体が出現する。「より多くのヒトたちがウイルスに感染すれば、その分コピーの回数が増えてミスがそれだけ多くなる」と、米ラトガース大学のシオバーン・ダフィーはいう。

大変異によって生まれた豚インフルウイルス

実はさらに重大な変異がある。コピーミスによる小変異に対して、他のウイルスと遺伝子を交換して「雑種」をつくる「遺伝子再集合」という大変異である。体内に侵入したウイルスは細胞の表面に吸着するが、そのままでは侵入できない。細胞の表面には、受容体(レセプター)と呼ばれる、細胞が外部から必要な物質を取り込む際の取り入れ口がある。

遺伝子再集合の起きる仕組み

よく使われるたとえでは、ウイルスと受容体は「カギ」と「カギ穴」のような関係で、取り入れ口にはカギがかかっていて、必要なもの以外は通さない。ところが、ウイルスは膨大な種類の変異を繰り出し、このカギ穴に合うカギを作りだして侵入する。ある研究では、豚インフルウイルス「H1N1」と香港風邪ウイルスの「H3N2」の遺伝子再集合によって、1万8422 個の変異ウイルスができたという。

ブタは鳥やヒトの異なるウイルスの受容体、つまり双方のカギ穴を持っている。ここに鳥とヒトの2種類の異なるA型インフルウイルスが同時に入り込むと、それぞれ遺伝子がブタの呼吸器の上皮細胞の中で混ざって遺伝子再集合を起こし、鳥インフルウイルスとヒトインフルウイルスの遺伝子を併せ持つ亜型が誕生することになる。

鳥インフルエンザウイルスが感染する経路

もしも、これまでヒトに感染したことのない変異ウイルスができてヒトの集団に侵入すると、免疫を持ったヒトがいないだけに感染が拡大することになる。これがエンデミック(予想を超えた広範囲での流行)であり、規模が大きくなればパンデミック(世界的流行)ということになる。

ウイルスが競争相手との戦いに勝ち、変動する自然環境の中で生き残るには、ひんぱんに変異して変化に適応できる子孫を残さなければならない。そうでなければ、とっくの昔に滅んでいただろう。ヒトは、ワクチンや抗ウイルス剤などの抵抗手段を手にしたものの、彼らには到底かなわないのは、次々と新手を繰り出す新型コロナをみれば一目瞭然であろう。「生き残るのは強い者や賢いものではなく、変化にうまく対応できるものだ」というダーウィンの言葉を思い出してほしい。

自滅する変異ウイルス

だが、常に変異株が感染を引き起こすとは限らない。感染はむしろ例外的なケースだ。変異の大部分は中立的であり宿主には害を及ぼさない。しかも、変異が全てウイルスにとって有利に働くわけではない。ウイルス自身にとっても遺伝情報が変わることは有害な場合もある。例えば、変異によって生存に必要なタンパク質が作れなくなって、ウイルスが自滅することもある。

この好例は、2002年に中国から流行が始まった新型コロナの兄弟分SARS(重症急性呼吸器症候群)であろう。30カ国・地域で8422人が感染、916人が死亡してWHOは緊急警報を発した。ところが、奇妙なことに突然に流行が収まり、SARSウイルスが勢いを失って急に姿を消してしまったのだ。WHOは2003年7月5日に「収束宣言」を発した。緊急警報からわずか231日の天下だった。

(文中敬称略)

3章 鳥インフルウイルス:(3)驚異的な勢いで感染範囲を広げる「H5系」ウイルス に続く

バナー写真:南極半島のアデリー ペンギンのフンと血液から鳥インフルウイルスが発見されたことで、鳥インフルが全地球に拡がっていることが確認された(この写真は記事の内容に直接の関係はありません)(Photo by Wolfgang Kaehler/LightRocket via Getty Images)

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