第3回:スサノオとヤマタノオロチ伝説、謎の神「八幡神」
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スサノオを祭る神社:乱暴者から英雄へ
最高神であるアマテラスには、スサノオという弟がいた。父イザナキが鼻を洗った時に生まれた神である。アマテラスのいる高天原(たかまのはら)で大変な乱暴を働き、世界を大混乱に陥れる困り者であった。しかし、スサノオは高天原を追い払われ、出雲(現在の島根県)にやって来ると、英雄的な働きをする。
◆ヤマタノオロチ退治
出雲で、スサノオは泣いている老夫婦とその娘、クシナダヒメに出会う。泣いている理由を尋ねると、毎年恐ろしい怪物が現れては娘を食べてしまい、8人姉妹で最後に残ったクシナダヒメが食われる番になってしまったという。その怪物がヤマタノオロチで、8つの頭と8つの尾を持ち、体は8つの山、8つの谷にわたるほど巨大なヘビである。
クシナダヒメとの結婚を条件にヤマタノオロチを退治することにしたスサノオは、強い酒を造らせ、8つの甕(かめ)に注がせる。やって来たオロチが8つの頭でその酒を飲み、酔っ払って寝てしまうと、腰につけていた剣でズタズタに切り殺した。尾を切り裂いたとき、そこから立派な剣が現れる。これが、後に天皇家に伝えられ、「三種の神器」の一つとして知られる「草薙剣(くさなぎのつるぎ)」である。
英雄が怪物を退治し、乙女を救うという神話は、世界中の物語に見られる普遍的なモチーフである。英雄ペルセウスが海の怪物からアンドロメダを救うギリシャ神話が代表的なので、スサノオの神話や類似の物語は「ペルセウス・アンドロメダ型」と呼ばれる。
◆スサノオとクシナダヒメゆかりの地で縁結びを願う
この神話の舞台となった出雲には、スサノオゆかりの神社がいくつもある。英雄で戦いの神でもあるが、いまでは縁結びを願う参拝者が多い。困難を乗り越えてクシナダヒメと結ばれた恋物語として、ヤマタノオロチ退治の神話が受け止められているのだろう。
スサノオとクシナダヒメの新居は、スサノオが「ここに来て、私の心はすがすがしくなった」と言った須我の地に置かれた。そこが島根県雲南市の須我神社である。山道を歩いて向かう奥宮(おくみや)には神の宿る岩、磐座(いわくら)が3つある。スサノオ、クシナダヒメ、そしてその御子神(みこがみ=親子関係にある神)のヤシマジヌミのものである。この磐座に向かい、熱心に縁結びを願う人も多い。
スサノオとクシナダヒメが暮らしたと伝えられる場所は他にもある。松江市の八重垣神社だ。この神社の「鏡の池」は、縁結びの占いで有名だ。和紙にコインを載せて池の上に浮かべる。コインがすぐに沈むか、時間がかかるか。近くで沈むか、遠くで沈むか。その沈み方によって、縁が結ばれる時期や出会う人との距離を占う。
明治時代にヤマタノオロチ神話を読んでこの地を訪れたラフカディオ・ハーン(小泉八雲)も、八重垣神社で多くの若者たちが縁結びを願っている様子を書き記している。今も昔もスサノオは恋の英雄なのだ。
スサノオの子孫であるオオクニヌシも、恋愛成就のご利益を受け継いでいる。オオクニヌシと言えば、「因幡(いなば)の白ウサギ」の神話を思い起こす。ワニ(サメのこと)をだました仕返しに皮を剥がれ泣いていたウサギに、真水で傷を洗い、ガマの花粉をまき散らした上で転がると良いと治療法を教える。優しい神のイメージが強いが、地上を治める神であり、大変な「モテ男」でもある。古事記では、6人の妻、180人の子どもがいたとされる。出雲大社の祭神で、縁結びの神としても有名だ。
◆全国の氷川神社
スサノオを祭る神社は、島根県にだけあるわけではない。埼玉県、東京都を中心に全国に280社ほどある氷川神社もスサノオを祭る。「氷川」とは、ヤマタノオロチ神話の舞台である斐伊川(ひいかわ/島根県)に由来するともいわれる。
氷川神社の総本社は、埼玉県さいたま市大宮区の武蔵一宮氷川神社だ。「一宮」とは、平安時代の初め頃に生まれた制度で、それぞれの国で最も位の高い神社をいう。古くから関東で信仰を集めていたことが分かる。
境内の「蛇の池」から湧き出た水は、「神池」に流れ込む。豊かな水と蛇の神ヤマタノオロチの神話が結び付いたのだろう。最近はやはり縁結びで人気のようだ。
八幡神社:皇位と武家の守り神を祭る
全国約8万社の中で、最も多く祭られているのが八幡神(はちまんしん)である。小さな祠(ほこら)や個人の家、会社で祭っているものも加えると稲荷神(次回で解説)の方が多いが、神社に祭られている神となると、八幡神が最多となる。
八幡神は、謎が多い神だ。その名は「古事記」にも「日本書紀」にも登場せず、由来も不明である。もともと九州大分県の宇佐で祭られていた神だったが、のちに第15代・応神(おうじん)天皇であるとされた。そのため八幡神はアマテラスとともに天皇の祖先神として位置付けられることにもなる。
そもそも九州で祭られた神を、朝廷が重視するようになったのは、東大寺の大仏建立がきっかけだった。奈良時代、八幡神が託宣(神のお告げ)で大仏建立に協力しようと述べたのである。この後も、天皇家を巡る勢力争いで託宣が皇位を守る働きをするなどし、八幡神への信仰は都でも高まっていった。また、八幡神は、これらの働きにより朝廷から「菩薩」の号を与えられ、神仏習合が進むなかで、仏教を守る神にもなっていった。
やがて平安京の南に祭られ、現在の石清水八幡宮の起源となる。後に鎌倉幕府を開く源頼朝の祖先にあたる源義家は、この神社で元服したことから八幡太郎義家と名乗った。源氏は八幡神を氏神という一族の守り神として、篤く(あつく)信仰した。鎌倉の鶴岡八幡宮は、義家や頼朝ゆかりの神社として知られている。
源頼朝によって武家の政治が始まり、多くの武士たちは自分たちも源氏に連なるとして八幡神を信仰したため、源氏の守り神から武家の守り神となり、全国各地で祭られるようになった。
◆安産やわが子の無事な成長を願う
八幡神社の多くは八幡神=応神天皇だけでなく、母である神功(じんぐう)皇后と父の仲哀(ちゅうあい)天皇、もしくは皇后と比売神<ひめのかみ=主宰神の妻や娘、あるいは関係の深い女神>も一緒に祭る。
「古事記」「日本書紀」は、神功皇后と応神天皇の物語をこんな風に伝えている。
あるとき仲哀天皇は九州の敵対する勢力を討つために神功皇后と共に出兵するが、朝鮮半島を目指せという神の託宣を信じなかったために亡くなってしまう。そこで神功皇后が夫に代わり、朝鮮出兵をする。そのとき皇后は身重で、戦いの時に産気づいてしまった。そこで皇后は岩を腰に当てて産気を鎮め、朝鮮から戻った後、無事に出産したという。
しかし、仲哀天皇には、ほかにも子供たちがいて皇位を狙っていた。そのため神功皇后は生まれたばかりの子を即位させるため、知恵を巡らせ、子が亡くなったと嘘(うそ)をつき、油断をさせてから攻め、敵を排除することに成功した。こうして応神天皇は母・神功皇后の力によって即位することになる。
こうしたエピソードから、八幡神社の中には安産や子育てで知られる神社もある。応神天皇誕生の地である福岡県の宇美八幡宮はその代表だろう。境内には子を抱いた母・神功皇后の像もある。同じ八幡神を祭る八幡宮、八幡神社であっても、武家の守り神として、戦いの神として信仰される神社もあれば、子の無事な成長が願われる神社もある。八幡神の信仰がとても多面的であることが分かる。
*次回は「庶民に愛された稲荷神、祭神になった“白ギツネの息子”安倍晴明」
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