
年守や乾鮭(からざけ)の太刀鱈の棒 ― 蕪村
文化 環境・自然・生物 暮らし
俳句は、複数の作者が集まって作る連歌・俳諧から派生したものだ。参加者へのあいさつの気持ちを込めて、季節の話題を詠み込んだ「発句(ほっく)」が独立して、17文字の定型詩となった。世界一短い詩・俳句の魅力に迫るべく、1年間にわたってそのオリジンである古典俳諧から、日本の季節感、日本人の原風景を読み解いてきたが、今回第59回が最終回。季題は「年守(としもる)」。大晦日にクスッと笑って、良いお年をお迎えください。
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年守や乾鮭(からざけ)の太刀鱈の棒 蕪村
(1770年作、『明和辛卯春(めいわしんぼうのはる)』所収)
大晦日(おおみそか)の夜、眠らずに元旦を迎えることを「年守る」といいます。「乾鮭の太刀(たち)」は平安時代の僧、増賀(ぞうが)上人の故事に由来します。増賀は名利を嫌う人で、師の良源が昇進した際には、乾鮭を太刀(たち)として腰に差し、痩せ牛にまたがって師の乗った牛車を先導しました。師が世俗的な名誉を受け入れたことを奇行によって批判したのです。
その由緒あるふざけた“武器”に加えられたのが「鱈(たら)の棒」。棒鱈を武具の「棒」にたとえたのですね。つまり蕪村は「年守る」ことを防衛戦に見立て、両手に乾鮭と棒鱈という正月用の干し魚を構えてファイティングポーズをとってみせたのです。「しっかりと行く年を送り、正月を迎えよう。乾鮭の太刀と鱈の棒を手に」。頼りにならない武器を構え、力んでいる姿がおかしみを誘います。
1770年の春、蕪村は自分の師の号を継承し、夜半亭(やはんてい)二世を名乗りました。「年守や」句には、力のない自分ではあるけれどと謙遜しつつ、夜半亭の号を守るのだという覚悟が込められています。
後に蕪村は門人宛ての手紙にこの句を記し、借金取りを脅してやろうとふざけています。江戸時代はツケで買い物し、お盆や年末にまとめて払うのが一般的でした。大晦日には借金取りが押しかけてくるのですが、果たしてこんなへなちょこ武器で撃退できたのでしょうか。せわしない年の暮れにもユーモアを忘れない蕪村の人柄が垣間見えます。
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