古典俳諧への招待 : 今週の一句

あはれさやしぐるる頃の山家集 ― 素堂

文化 環境・自然・生物 暮らし

俳句は、複数の作者が集まって作る連歌・俳諧から派生したものだ。参加者へのあいさつの気持ちを込めて、季節の話題を詠み込んだ「発句(ほっく)」が独立して、17文字の定型詩となった。世界一短い詩・俳句の魅力に迫るべく、1年間にわたってそのオリジンである古典俳諧から、日本の季節感、日本人の原風景を読み解いていく。第54回の季題は「時雨」。

あはれさやしぐるる頃の山家集 素堂
(1698年刊『陸奥鵆(むつちどり)』所収)

素堂(1642~1716年)は甲斐の国(現在の山梨県)の出身で、若い頃江戸に出て儒学を学び、2歳年下の芭蕉と出会い俳諧を通じての親友となりました。芭蕉は1694年に亡くなりますが、素堂が追悼のために詠んだのがこの句です。前書に「亡友芭蕉居士、近来山家集(さんかしゅう)の風体をしたはれければ、追悼に此(この)集を読誦(どくじゅ)するものならし」と言います。「亡くなった友人・芭蕉は、最近は西行の歌集『山家集』の歌の詠みぶりを慕っておられたので、追悼としてその歌集を唱え上げようとするのです」と事情を説明しています。普通なら故人の供養にお経を読むところ、素堂は儒者ですからお経を避けて、その代わりに『山家集』の和歌を読んで聴かせようとしたのです。素堂の、芭蕉への深い理解と心からの追悼の念がうかがえます。

芭蕉は「しぐれ(時雨)」が好きでした。時雨とは晩秋から初冬にかけて北や西からの季節風に吹かれて降る雨で、降ってはやみ降ってはやみするその様は人生の頼りなさの象徴ともされました。芭蕉には「旅人と我名(わがな)よばれん初しぐれ(初時雨にぬれながら旅立てば、私はいかにも「旅人」と人に呼ばれるにふさわしかろう)」(『笈(おい)の小文』)の句がありますが、芭蕉は初時雨にぬれながら旅する時の心細さにこそ魅(ひ)かれていたのです。そしてその感覚は、生涯を旅に過ごした西行の感性に通じていました。素堂は西行と芭蕉を二重映しに偲(しの)んで、「心にしみる哀れさよ。時雨の降る頃に読み上げる『山家集』は」と詠んだのです。

バナー画像 : PIXTA

    この記事につけられたキーワード

    俳句

    このシリーズの他の記事