
びいと啼(なく)尻声かなし夜の鹿 ― 芭蕉
文化 環境・自然・生物 暮らし
俳句は、複数の作者が集まって作る連歌・俳諧から派生したものだ。参加者へのあいさつの気持ちを込めて、季節の話題を詠み込んだ「発句(ほっく)」が独立して、17文字の定型詩となった。世界一短い詩・俳句の魅力に迫るべく、1年間にわたってそのオリジンである古典俳諧から、日本の季節感、日本人の原風景を読み解いていく。第48回の季題は「鹿」。
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びいと啼(なく)尻声かなし夜の鹿 芭蕉
(1694年作、『笈日記(おいにっき)』所収)
平安時代以来、奈良市にある春日大社は、鹿を神の使いとして大切に扱ってきました。現在も奈良公園一帯には鹿が自由に闊歩(かっぽ)して、観光客の人気を集めています。芭蕉も奈良を訪れると積極的に鹿を句に詠もうとしたらしく三句が伝えられていますが、この句はそのうちの最も晩年の作です。
『笈日記』によれば、芭蕉は1694年の9月8日(太陽暦では10月22日)、大阪を目指して故郷の伊賀上野を出発し、その日は奈良・猿沢の池に近い宿に泊まりました。晴れて月の明るい夜で、ほうぼうから鹿の啼き声が聞こえてくるので、芭蕉は真夜中の散策に出掛けてこの句を詠んだといいます。
発情期の雄鹿の啼き声は、古来秋の話題として和歌・連歌・俳諧に数多く詠まれてきました。ただ、「びい」という擬音語に写しとったのは芭蕉が初めてだったようです。「尻声」は俗語で、「びいいい──」と長く引き伸ばした一声の、おしまいあたりのこと。その「尻声」の頼りなく消えてゆく響きを、芭蕉は「かなし」と表現しました。それは、『古今集』や『百人一首』に収められていてよく知られた、猿丸大夫(さるまるだゆう)の一首「奥山に紅葉踏み分け鳴く鹿の声聞く時ぞ秋は悲しき(奥山で紅葉を踏み分けながら恋の相手を求めて啼く雄鹿の声を聴く時こそ、秋の悲しさを痛感する)」を踏まえてのことでした。芭蕉は猿丸大夫に賛同しながら、「びいと啼尻声」といった具体的で俳諧らしい言葉を用いて、秋の夜に啼く鹿の情感を自分流に言い留めたのです。
バナー写真:PIXTA