古典俳諧への招待 : 今週の一句

鳥羽殿へ五六騎いそぐ野分哉(かな) ― 蕪村

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俳句は、複数の作者が集まって作る連歌・俳諧から派生したものだ。参加者へのあいさつの気持ちを込めて、季節の話題を詠み込んだ「発句(ほっく)」が独立して、17文字の定型詩となった。世界一短い詩・俳句の魅力に迫るべく、1年間にわたってそのオリジンである古典俳諧から、日本の季節感、日本人の原風景を読み解いていく。第41回の季題は「野分(のわき)」。

鳥羽殿(とばどの)へ五六騎いそぐ野分哉(かな) 蕪村
(1768年の作、『蕪村句集』所収)

秋の台風による強い風を「野分」といいます。野の草木を吹き分けるという意味で、二百十日(立春から210日目、現在の暦では9月1日)頃の暴風です。野分は古くから物語や和歌の題材になってきました。例えば、『源氏物語』の野分の巻には、激しい風で倒されないように屏風をたたんでいたために、美しい紫の上の姿が夕霧中将に見られてしまうという印象的な場面があります。また、『枕草子』は、野分の翌日、大きな木も倒れて荒れ果てた庭や寝不足の人の様子などを「いみじうあはれにおかしけれ」(とても趣深く面白い)と評しています。

蕪村は、この自然の猛威に軍記物語の世界を取り合わせました。「激しい野分の風の中、五、六騎の武士が鳥羽殿へ馬を飛ばしてゆく」。「鳥羽殿」は11世紀末に京都南部の鳥羽に作られた白河上皇の離宮で、のち、鳥羽上皇に引き継がれました。武士が台頭してきたこの時代は、天皇や貴族の間の争いに源氏と平家の抗争がからんで政情が不安定でした。鳥羽上皇没後の1156年には、700年にわたって続く武家政権が誕生する契機となった保元の乱が起きています。

蕪村の句は特定の争乱を念頭に置いているわけではないでしょうが、鳥羽殿は野分のもたらす不穏なイメージにぴったりの舞台なのです。果たして鳥羽殿でどのような異変があったのでしょうか。疾駆する騎馬武者の緊張感が伝わってきて、思わず歴史物語の中に引き込まれてしまいます。

バナー写真:PIXTA

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