
行春(ゆくはる)を近江の人とおしみける ― 芭蕉
文化 環境・自然・生物 暮らし
俳句は、複数の作者が集まって作る連歌・俳諧から派生したものだ。参加者へのあいさつの気持ちを込めて、季節の話題を詠み込んだ「発句(ほっく)」が独立して、17文字の定型詩となった。世界一短い詩・俳句の魅力に迫るべく、1年間にわたってそのオリジンである古典俳諧から、日本の季節感、日本人の原風景を読み解いていく。第18回の季題は「行く春」。
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行春(ゆくはる)を近江の人とおしみける 芭蕉
(1690年作、『猿蓑』(さるみの)所収)
「近江」は現在の滋賀県、中央に「近江の海」と呼ばれる琵琶湖があります。俳諧集『猿蓑』における前書(まえがき)は「湖水を望みて春を惜しむ」ですが、「湖に舟を浮かべて」という趣旨の前書がある懐紙(かいし)も残されています。琵琶湖岸、または湖上で、「近江の国の人とともに、去りゆく春を惜しんでいる」という意味の句です。
門人の去来の「湖水が朦朧(もうろう)としている風景は、春を惜しむのにピッタリですね」という発言を受け、芭蕉は「そう、昔の人々が春をめでることにかけては、この近江の国は京の都と同じぐらい大切な場所だったからね」と答えました(『去来抄』)。芭蕉の心の眼は、古典の伝統を通して春の終わりの近江の海を眺めていたのです。
芭蕉が意識していたのはおそらく藤原良経の「あすよりは志賀の花園まれにだに誰(たれ)かは訪はん春のふるさと」(『新古今和歌集』)の歌でしょう。「志賀」は琵琶湖西岸の地名で、古代の一時期に都が置かれた歴史を踏まえて「ふるさと」(古き都)と呼ばれていました。そしてそこは春にこそ美しい「春のふるさと」なのです。「明日立夏になると、『春のふるさと』たる志賀の花園を訪ねる人は、めったにいなくなるなあ」。古代懐古と惜春の情を重ねた名歌です。芭蕉は「行春を」句を『猿蓑』の春の部の最後に置きましたが、それは良経の歌が『新古今和歌集』の春の部の最後に置かれていたことに倣ったのでしょう。
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