
誰(たれ)やらが形に似たり今朝の春 ― 芭蕉
文化 環境・自然・生物
俳句は、複数の作者が集まって作る連歌・俳諧から派生したものだ。参加者へのあいさつの気持ちを込めて、季節の話題を詠み込んだ「発句(ほっく)」が独立して、17文字の定型詩となった。世界一短い詩・俳句の魅力に迫るべく、1年間にわたってそのオリジンである古典俳諧から、日本の季節感、日本人の原風景を読み解いていく。第1回の季題は「今朝の春」。
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誰やらが形に似たり今朝の春 芭蕉
(1687年作、『続虚栗(ぞくみなしぐり)』所収)
2023年がやって来ました。今年が良い年になりますように。
現代の日本では太陽暦が用いられていますので、冬至(12月21日頃)から約10日後の1月1日はまだ冬のさなかです。しかし、江戸時代までは太陰暦が使われており、立春(2月4日頃)に近い新月の日が1月1日に当たり、「元日は春のはじまり」という感覚が一般的だったのです。そのようなわけで「今朝の春」とは「元日の朝」を意味します。
当時の年齢は「数え年」でした。この世に生まれた時が1歳で、正月が来ると誰もが一つずつ年を取ります。芭蕉は「私は誰やらの容貌に似てきたなあ。新しい年になって、また一つ年齢を重ねたら気が付いたよ」と言っていると思われます。
「誰やら」って、いったい誰でしょうか。わざと明確にせずにとぼけているらしいのですが…。おそらく「われながら父に似てきたなあ」という感慨を抱いたのではないでしょうか。
13歳で父親と死別したと推測される芭蕉は、この年の元日に44歳を迎えました。子どもの目には、親は年を取って見えるものですよね。父親が死んだのと同じぐらいの年齢を迎えた元日の朝、鏡の中にその面影を発見して懐かしさにしみじみとしながら、自分自身の老いも自覚したのでしょう。
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