感染症の文明史 :【第1部】コロナの正体に迫る

2章 新型コロナはどう広がったのか:(3)中国起源説をめぐる論争

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中国政府は極端な隔離政策を堅持してきたが、市民の不満が爆発し、緩和策に転じた。しかし感染爆発が起きて、「ゼロコロナ」政策は、とんでもない失敗であることが明らかになってきた。

コロナ起源説をめぐって米中が対立

前回述べたように湖北省武漢市から流行が広がったことで、新型コロナの中国起源説が強まった。過去にもペスト、インフルエンザ、SARSなど中国が起源とされるパンデミック(世界的大流行)が多いこともあって、この説は容易に受け入れられた。研究者の間では初発地として同市の華南海鮮市場が疑われたが、以前からコロナウイルスの研究をつづけてきた武漢ウイルス科学研究所から流出したとする疑惑も一部でくすぶっていた。

だが、中国政府は中国起源説を真っ向から否定した。武漢で広がりだした2019年12月末に、市内の病院に勤務する李文亮(りぶんりょう)医師が「華南海鮮市場で7人がSARSに感染して、勤務する病院に隔離されている」という情報をSNSで医師仲間に発信した。これが「不正確な情報を流した」として警察に呼び出され訓戒処分を受けた。医師本人はコロナに感染して死亡した(その後、名誉回復された)。

国際社会からの新型コロナウイルス感染症に関する調査要請を中国政府は拒否した。当時のトランプ米大統領は、コロナウイルスをわざわざ「中国ウイルス」と呼び、武漢ウイルス科学研究所から流出したと決めつけた。これが、同研究所からの「流出説」(ラボリーク説)として広がっていく。かつては米国からも研究費が提供され、ウイルス研究の世界的な拠点のひとつだった同研究所は、米中の激しい情報戦に巻き込まれた。それ以前から緊張関係にあった米中関係は、コロナをめぐって一段と悪化した。

しかも、トランプ政権は20年7月に世界保健機関(WHO)が中国寄りだとして脱退した(跡を継いだバイデン大統領は22年1月に復帰を宣言)。中国側はさまざまな国での感染発生説を持ち出したが、現在では中国起源説が大勢を占めている。しかしその後の詳細な遺伝子の分析で、同研究所からの流出説はほぼ否定された。

一方、香港大学の研究者グループが19年5月から20年11月にかけて、雲南省タイ族自治州の西双版納(シーサンパンナ)熱帯植物園で捕獲された 342匹のコウモリのウイルスを改めて調べた。植物園は国家公園(日本の国立公園にあたる)に指定され、中国科学院に所属する研究機関でもある。この中の4匹から新型コロナウイルスに近いウイルスが見つかり、中国奥地が起源だったとする説が一段と強まった。

同植物園の研究所に滞在したことがある。植物園は原生林がそっくり保護され観光地にもなっているが、一歩植物園を出ると周辺の険しい山麓は段々畑が見わたす限り天に向かって刻まれ、茶葉やタバコやコーヒーを栽培していた。急激な森林破壊によって、雲南省では1980年以来省面積の3割に相当する森林が開発で失われたという国連の報告書も納得できる。

シーサンパンナ周辺の原生林は木が伐採され、かつての熱帯林は山麓を埋めつくす茶の段々畑に変わっていた(筆者撮影)
シーサンパンナ周辺の原生林は木が伐採され、かつての熱帯林は山麓を埋めつくす茶の段々畑に変わっていた(筆者撮影)

強硬な隔離政策には根拠が

コロナの流行が始まってから、中国政府は極端なゼロコロナ政策を堅持してきた。感染者や陽性者は、その疑いだけで強制的に隔離施設送りとなった。施設が不足して、トイレや屋外の駐車場に収容されている光景もSNSでたびたび流れた。ひとりでも感染者を出したアパートは、入り口を鎖で封鎖して住民の出入りを禁止した。

政府は「ゼロコロナ」を「必達目標」として直轄市や省の地方政府から末端の行政機関にまで厳命した。達成できなければ幹部にきびしい処分が待っていた。香港紙「明報」によると、この2年間で約2000人の地方幹部らが不適切な防疫措置を理由に処分されたということだ。

2022年9月に四川省でマグニチュード6.6の地震が発生、65人が死亡した時でさえも封鎖されたアパートからの避難が許されなかった。貴州省でも同月に陽性者を隔離施設に移送中のバスが横転して27人が死亡している。国民の間で隔離政策に対する不満が高じていただけに、SNSには抗議や不満の声が渦巻いた。

また50近い都市でロックダウンを実施し、会社や工場の操業停止だけでなく、2億人以上が行動制限を強いられて旅行客も半減した。自動車部品の輸出が滞ったことで、日本、韓国、欧州の自動車メーカーが一時生産停止に追い込まれた。21年以来の中国の経済成長が落ち込んだのは、この強硬策が大きく影を落としている。そうせざるを得ないのは、ゼロコロナに政府の威信や指導者の政権掌握の今後がかかっていることに加えて、隔離政策を解除した場合に感染爆発が起きる危険性に神経をとがらせているからだ。

中国政府の隔離政策は強迫観念に近いものだが、その根拠はあった。上海・復旦大学の蔡俊(さいしゅん)ら米中の研究者が22年5月10日付の米医学系学術誌に発表した研究論文「ゼロコロナを解除した場合の影響の評価」である。「解除後6カ月間に1億1220万人が感染して160万人が死亡する可能性がある」とするショッキングな内容だった。

白紙を掲げて「ゼロコロナ」に抗議

しかし市民の忍耐は極限に達した。2022年11月24日にロックダウンがつづいていた新疆ウイグル自治区ウルムチ市で、アパート火災によって10人が死亡したのがきっかけだった。周囲はロックダウンのためにバリケードで封鎖され、消火活動が妨げられて避難が遅れたとして市民が抗議の声を上げた。

11月27日には、厳格な封鎖措置に抗議して住民が暴動を起こした。インターネットに流れた画像には、大勢の市民が叫びながらフェンスを押し倒して封鎖区域外に飛び出し、防護服姿の職員や警察ともみ合う様子が映し出されている。さらに、習近平政権の「ゼロコロナ」政策に白紙を掲げて抗議するデモが中国全土に広がり、ニューヨーク、東京、台北などでも「白紙デモ」を応援する人々の集会が開かれた。「白紙」には、政府の言論統制で発言を封じられて「何も言えない」という若者たちの憤りが込められている。抗議運動は「白紙革命」と呼ばれるようになった。

ロックダウンへの抗議は全国的に燃え広がった。広州市では11月29日に暴動になり、バリケードを押し倒し警官隊と衝突し、警察は催涙弾を使って鎮圧した。北京、上海、広州、武漢、重慶、成都など全国の十数都市でも抗議デモが発生した。デモ隊からは「習近平は退陣せよ!」「共産党は退陣せよ!」といった、これまでタブーとされてきた政権批判まで飛び出した。

中国共産党が恐れていた最悪の事態

全土に広がった抗議デモを受けて、国務院は2022年12月7日に「ゼロコロナ」政策を大幅に緩和する方針を打ち出した。「予防・制御措置を改善し、科学的に的確に予防・制御活動を行う」とする内容の通達を公表した。「解放」された市民が街にあふれ、飲食店も満席になった。

だが、恐れていたことが起きた。コロナの感染爆発がはじまったのだ。しかも、過去3年に起きたコロナ流行の歴史のなかで、世界でもっとも拡散速度が速い爆発だった。中国の「ゼロコロナ」政策は、とんでもない失敗であることが明らかになってきた。

北京大学国家発展研究院の馬京晶副教授らが、23年1月14日の段階で累計約9億人が感染したとする報告書を発表した。これは中国の総人口の64%にあたる。もっとも高い西部の甘粛省で人口(約2500万人)の91%、雲南省(約4700万人)で84%、青海省(約600万人)の80%に達した。死者も急増しているとみられるが、政府は公表していない。欧米のいくつか研究機関では、50万人かそれ以上の死者が出る可能性があると予測している。国の感染症対策を担う中国疾病予防センターでも、「人口のおよそ80%がすでに感染した」という見解を1月22日に明らかにした。約14億人の人口うち11億人余りが感染したことになる。

各地の病院の発熱外来はごった返し、抗原検査キットや解熱剤が薬局から消えた。医療は逼迫(ひっぱく)し、医療機関が医師・看護師の急募をかけてもほとんど集まらない。北京郊外の火葬場は満杯になり、その前には霊きゅう車の長い列ができた。にもかかわらず、政府が発表する死者・感染者数はあまりに少なすぎて信じることがむずかしい。

感染爆発の理由は、これまでの対策が大規模な検疫や検査、厳格な移動制限が重点だったために、大多数の人びとが感染しなかったことにある。そのために、現在流行中のウイルスに対する免疫がほとんどない。しかも、ロックダウン中に流行の主体は感染力の強いオミクロン変異株に変わり、この変異株に免疫をもっている中国人はさらに少ない。その上、中国のワクチン接種率は比較的低く人口の約50%が3回の予防接種しか受けていない。しかも、政府が国産しか認めていない中国製ワクチンは、専門家の間で有効性が疑問視されている。

その間、中国以外の国々では多くの人びとの命を代償にして集団免疫を獲得してきた。しかしゼロコロナ政策緩和後の中国では、免疫を持たないアマゾン先住民の間で新型コロナが流行したのと同じような事態に陥ってしまったのだ。香港大学のベンジャミン・コーリングは「中国はこれから、多くの国民の命と引き換えに集団免疫を獲得するきわめて困難な道を歩んでいかなければならない」と語る。

世界の関心は、規制の大幅緩和後にはじめて迎える23年1月22日の春節(旧正月)とその後の7連休に集まっている。20年の春節の大型連休では、大勢の中国人が海外旅行に出かけて世界中に感染を広げたとして非難された。現在、行動制限が撤廃され、中国政府の発表では、国内旅行者数はコロナ流行前の9割まで戻り人気観光地はどこもにぎわっているという。国家衛生健康委員会は1月30日の記者会見で、「全国的に感染者は増えず、感染状況は低いレベルに留まった」と発表した。

2章 新型コロナはどう広がったのか: (4)環境破壊がパンデミックの引き金を引いた!?  に続く

バナー写真=白紙を掲げ、政府の「ゼロコロナ政策」に抗議するデモ参加者。2022年11月27日、中国・北京で撮影 (Photo by Stringer/Anadolu Agency via Getty Images)

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