1章 新型コロナの正体を探る:(5)新型コロナウイルス感染者を重症化させるネアンデルタール人の遺伝子
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ネアンデルタール人とホモサピエンスが共存
前回はネアンデルタール人側から人類史をみたが、今回はホモサピエンス側から眺めてみよう。ホモサピエンス(現生人類)は、遺伝子の解析から約20万年前にアフリカ東部で誕生し、紅海を渡って世界に拡散したとされてきた。実際に、エチオピア南部のオモ・キビッシュ遺跡から、19万5000年前の化石が発見されている。だが、その後、南アフリカのフロリスバッド遺跡で約 25万9000年前の人類化石が発見されて、この定説が覆った。
これがさらに修正を迫られることになった。1960年代以来、北アフリカ・モロッコのジェベル・イルフード遺跡からは多数の人類の化石骨や道具が発見されてきたが、2004年以後、米国、フランス、ドイツなどのチームが再発掘して、5人分のアゴや頭蓋骨を発見した。その分析から、約31万5000年前のものと分かり、最古のホモサピエンスとして2017年に発表されたからだ。ホモサピエンスの歴史が10万年もさかのぼり、しかも東アフリカ起源説が覆された。
この調査に参加した人類進化学者で「欧州人類進化研究協会」会長のジャンジャック・ハブリンはこう語る。「モロッコがホモサピエンスのゆりかごではなく、約30万年前には最初期のホモサピエンスがすでにアフリカ各地に生息していたのではないか」
他方、ハーバード大学の遺伝学者デイヴィッド・ライクは『交雑する人類:古代DNAが解き明かす新サピエンス史』でこう説明する。「最初期の段階にあったホモサピエンスは、アフリカを出て欧州に進出したものの、先住民のネアンデルタール人に押し戻されて、約30万年前には北アフリカや東アフリカまで撤退せざるを得なくなった。これがモロッコで骨が発見された理由だ」
5万~6万年前に、ホモサピエンスは勢いを取り戻し再び「アフリカ脱出」を敢行した。今度はネアンデルタール人を押しやりながら現在のイラン付近に達した。ここからインドや東南アジアからオセアニア方面にむかう「南ルート」、中央アジアを経由してアルタイ山脈、東アジア、北アジア方面に向かう「北ルート」、中東、欧州に向かう「西ルート」の3方向に分かれて散っていった。ホモサピエンスはこの「西ルート」のどこかでネアンデルタール人と交雑し、さまざまな遺伝子を子孫に引き継いだとみられる。
両者が同じ地域に住んでいたことは、近年のイタリアやフランス、ブルガリアなどで双方の文化の特徴を備えた遺跡が発掘されたことからも推測できる。ネアンデルタール人とホモサピエンスの先祖であるクロマニョン人との交流を描いたジーン・アウルの大河小説『大地の子エイラ』は、正しかったことになる。地震によって孤児になり、ネアンデルタール人の氏族で育てられたクロマニョン人の主人公エイラの成長の物語だ。各国でベストセラーになった。
受け継いだ遺伝子の功績
ネアンデルタール人は欧州に進出後、30万年もかけて欧州に存在するウイルスへの免疫を獲得していったと考えられる。一方、アフリカ大陸から移って来た新参者のホモサピエンスの祖先は、そうしたウイルスなどの病原体への抵抗性がほとんどなかったに違いない。両者は「濃厚接触」したことで、相互にさまざまな病気を交換したはずだ。
ウイルスは「選択圧」が強いため、ウイルスに抵抗性のあるネアンデルタール人の遺伝子は、交雑によってホモサピエンスの間にも急速に広がったと思われる。「選択圧」とは生物の進化の過程で、ある特性をもつ個体に有利に働く自然選択のことだ。たとえば、ワクチン接種で大多数のウイルスが排除されてしまうと、1株でもワクチンをかいくぐる仕組みを獲得した変異株があると、急速に拡散していくことができる。こうした状態を、「選択圧がかかる」という。
米スタンフォード大学のドミトリー・ペトロフらは、ホモサピエンスの遺伝子の中でウイルスに関係するもの4500以上をリストアップし、ネアンデルタール人のDNAデータベースと比較した結果、152個がネアンデルタール人から引き継いだものだった。これらの遺伝子は、RNAウイルス(コロナ、インフルエンザ、C型肝炎などの原因)に関するものが多い。
私たちの祖先が多くの感染症から逃れてこれまで存続できた理由のひとつは、ネアンデルタール人から受け継いだ遺伝子によって感染を免れたためとも想像される。ペトロフはこう語る。「私たちの祖先は、免疫を持たずにアフリカ大陸から欧州にわたり、そこで出会ったネアンデルタール人からウイルスへの抵抗力を受け継ぐことができた。もしも交雑していなければ、私たちの祖先は何らかのウイルス病によって絶滅していたかもしれない」。
感染症に対する免疫以外にも、体温を維持するのに重要な皮膚や毛髪の形成に関わる「ケラチン」というタンパク質の働きに関わる遺伝子も、ネアンデルタール人の遺伝情報が大きく関与している。アフリカ生まれのホモサピエンスは、寒冷な気候に適応していたネアンデルタール人由来の遺伝子を取り込むことで、寒さに耐えられるようになったと想像できる。さらに、日光に対する皮膚の反応を抑えたり、悪玉コレステロールを抑制したりするといった重要な生体機能をつかさどる遺伝子領域に、ネアンデルタール人由来の遺伝子が含まれている。
新型コロナ重症化のカギを握るネアンデルタール人の遺伝子
ところが、結構づくめではなかった。ヒトゲノムに挿入されたネアンデルタール人の遺伝子が、新型コロナウイルス感染者を重症化させるリスクを高めていると、今回ノーベル賞を受賞した独マックス・プランク人類進化研究所のスバンテ・ペーボが2020年9月1日付英科学誌『ネイチャー』に発表した。
ネアンデルタール人から特定の遺伝子を受け継いだヒトは、新型コロナに感染すると重症化する可能性が約2倍も高くなるという。
ネアンデルタール人の重症化遺伝子の保有者は、欧州では人口の約16%なのに対し南アジア全域では約50%に達した。バングラデシュだけでみると、重症化遺伝子を保有するヒトが63%にのぼっている。これは英国に居住するバングラデシュ出身者が、そうではない英国人と比較して死亡率が高い理由と考えられる。
一方で、東アジアではわずか4%しかいない。これが日本、韓国、台湾などの東アジア諸国・地域で重症者が少ない理由とも考えられる。新型コロナは中国でまず流行がはじまったが、その後感染爆発を起こした欧米や中南米と比較すると、東アジアの重症者数はかなり少ない。前回述べたように、2万年以上前に東アジア一帯で発生したとされる深刻なコロナウイルス感染症の流行は、今回の流行初期に話題になった「日本人のファクターX」なのか。残念ながら分かっていない。
米ヴァンダービルト大学の遺伝学者であるトニー・カプラは、この重症化遺伝子と新型コロナの関係についてこう語る。「新型コロナに感染すると、これらの古代遺伝子が過剰な免疫反応を引き起こし攻撃的になるのではないか。免疫物質であるサイトカインが分泌され、感染した組織を攻撃して感染の拡大を抑える。だが、その働きが過剰になると、『サイトカイン・ストーム』と呼ばれる免疫反応の暴走がはじまり、正常な肺の組織まで損傷させてしまう」
ペーボは、「ネアンデルタール人からの遺伝的遺産が、現在の新型コロナ・パンデミックの中でこのような悲劇的な結果をもたらしているのは衝撃的だ」と述べている。
重症化の防止も?
悪いことばかりではなかった。新型コロナの重症化を防ぐ遺伝子が特定されたのだ。2020年末にカナダ・マギル大学の周思瑞(しゅうしずい)らの研究者グループが、血中のOAS1というタンパク質のレベルが高い人ほど、新型コロナにかかりにくく、感染しても重症化しにくいことを突き止めた。このタンパク質をつくる遺伝子を保有する人は、新型コロナの重症化リスクが約20%低下するという。
この遺伝子は、ネアンデルタール人から受け継いだもので、アフリカ以外に住む人の約50%が持っていて、日本人も約30%が保有しているという。このような民族的な偏りが生まれたのは、過去のコロナ・パンデミックに遭遇したときに、「重症化する遺伝子を持たない人たちが生き残ったためではないか」と周はいう。
重症化遺伝子とそれを防ぐ遺伝子。私たちを生かすも殺すも、ネアンデルタール人から受け継いだ遺伝子次第ということか。だが、動物行動学者のリチャード・ドーキンスの「利己的遺伝子」説を借りれば、遺伝子にとっては「自己の成功率(生存率と繁殖率)を他者よりも高める」ことが唯一無二の目的だ。ヒトもウイルスも自らの遺伝子を残すことに最大限の努力を傾けていることはまったく同じである。ウイルスにとってヒトは理想的な安定した宿主だ。霊長類のなかでも、きわだって長寿で栄養状態がよく死亡率が低いからだ。
新型コロナウイルスの遺伝子が、すでに私たちのゲノムの中に潜り込んでいることは間違いない。感染から回復しても数カ月後に再び陽性になるケースはこのためだと説明とする研究者もいる。太古の重症化遺伝子が後世の私たちを苦しめているように、私たちのゲノムに入り込んだ他のウイルスの遺伝子が、私たちの子孫にこれから先何か悪さをするかもしれない。その可能性をめぐって、Twitter上で研究者が熱い議論を繰り広げている。
2章 新型コロナはどう広がったのか:(1)新型コロナの自然宿主を追いかけて に続く
バナー写真=新型コロナウイルス感染症によって亡くなった遺体が集められたニューヨーク・クイーンズ区の葬儀場。2020年4月22日撮影。コロナ禍以前は週平均で7〜8体の遺体を扱っていたが、40体以上が持ち込まれるようになった(この写真は記事の内容に直接の関係はありません)(Photo by Spencer Platt/Getty Images)