1章 新型コロナの正体を探る:(4)ネアンデルタール人とホモサピエンスの交雑で受け継がれた新型コロナに関する遺伝子
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ゲノム配列から過去の感染症を追跡
前回は牛コロナウイルスが変異してロシア風邪を引き起こし、21世紀に凶暴化して新型コロナウイルス感染症の原因になったのではないかという説を紹介した。今回は石器時代にまでさかのぼり、コロナウイルスの歴史を解き明かす。
こうした歴史の解明は、2008~2015年に実施された「1000 ゲノム・プロジェクト」の成果に負うところが大きい。さまざまな民族を網羅した、少なくとも1000人の匿名参加者のゲノムの配列を解読することを目的にした国際的な研究協力プロジェクトだ。日本の理化学研究所をはじめ、米、英、中、イタリア、ケニア、ナイジェリア、ペルーなど、世界中の研究機関が参加した。
DNAの配列を自動的に読み取る「次世代型シーケンサー」といった画期的な装置によって高速で安価なゲノムの配列解読技術が確立し、大規模な研究が可能となった。最終的に世界26カ国の約2500人のゲノム配列の膨大なデータが集積され、公開データベースを通じて科学者だけでなく、誰でも自由にアクセスできる。多種多様な人びとの遺伝的変異の全体像が分かるため、ほとんどすべての生物科学の分野、とくに遺伝学、進化学、医学、薬理学、生化学、生命情報科学(バイオインフォマティクス)などの分野で欠かせないデータとなっている。
米アリゾナ大学のデイヴィド・エナードらは、このデータベースを活用してゲノムに潜む古代のコロナウイルスの遺伝的「足跡」を追った。現代人のゲノムには何万年もさかのぼる進化の情報が含まれており、その中から私たちの祖先が感染したコロナウイルスに関する遺伝情報を見つけ出した。2021年に、「2万年前にコロナウイルスの流行が発生し、その後何回か流行した痕跡が見られる」とする論文を発表した。
東アジアを襲ったコロナウイルス感染症
エナードらはその遺伝情報の地域的な分析から、とくに、中国、日本、ベトナムに住む人々がコロナウイルスにさらされていたことを突き止めた。アジアを襲ったコロナウイルス感染症の流行は、今日生きている人々のDNAに痕跡を残すのに十分なほど深刻だったとみられる。コロナウイルスに遭遇した時期を推定したところ、突然変異の出現頻度からみて、この変異が約2万年前から約5000年前までつづいた可能性が高いことが分かった。つまり、コロナウイルスは近年にパンデミック(世界的大流行)が始まったのではなく、2万年も前からアジアで人々を悩ませつづけてきたのだ。
さらにアジアの人々が、コロナウイルスに対抗したと思われるゲノムの変異を見つけ出した。ウイルスが宿主の細胞内に侵入して宿主の機能を乗っ取って増殖をはじめると、宿主側のゲノムにも防御するための中和抗体がつくられ、その痕跡が残る。これは東アジアに限定された変異だった。
ネアンデルタール人から受け継いだ遺伝子
近年、化石骨からDNAを取り出せるようになり、ゲノム配列の解明によって、人類の進化や地理的な拡散の予想もしなかった新事実が明らかになりつつある。「DNA考古学」ともいうべき研究分野の急成長には目を見張るものがある。
その最大の功労者が、独マックス・プランク人類進化研究所のスウェーデン人遺伝学者スバンテ・ペーボだ。1997年に、ネアンデルタール人の化石骨から採取したミトコンドリアのDNA配列の解読に成功した。さらに、2010年にはロシア南部のアルタイ地方のデニソワ洞窟で見つかった、少女の指の1センチほどの骨片から、未知の人類のDNAを発見した。その後、歯や下顎の骨からも発見された。DNAだけから新種の人類が発見されたのは、人類学史上初めてのことだ。DNA考古学が発展したお陰でもたらされた象徴的な研究成果である。
この新種の人類は、遺伝子の配列からネアンデルタール人と約64万年前に分岐した古代人のもので、「デニソワ人」と命名された。私たちの祖先であるホモサピエンス(現生人類)とも交雑していた証拠があり、とくにフィリピン、パプアニューギニア、オーストラリアなどの先住民と共通する遺伝子が存在していた。この事実は、かつてデニソワ人がアジアから南太平洋にかけて分布していたことを示唆する。2022年、これらの功績で、ペーボは2022年のノーベル医学生理学賞を受賞した。父親のスネ・ベリストロームも1982年に同じ賞を受賞している。
彼の講演をドイツで聴いたことがある。ユーモアたっぷりのひょうひょうとした語り口だった。もっとも苦労したのは、骨が埋まっている間に紛れ込んできた他の生物のDNAを除去することだったと強調していた。ネアンデルタール人の骨から取り出したDNAの95~99%は微生物由来のDNAだったという。講演は「考古学者が地面を掘るように、私たちはヒトゲノムを発掘している」という言葉で締めくくられた。薄暗い劇場の舞台が突然ライトで照らされて、闇の中から登場人物が浮かび上がってくるようなときめきを覚えた。
こうした成果によって、初期人類やその他の古代集団を研究する学問分野である「古遺伝学」が一気に花開いた。その結果、人類の進化や地理的な拡散だけでなく、病気の起源などの研究が大きく前進した。とくに、ナゾに包まれていたネアンデルタール人とホモサピエンスの関係に光があたり、両者が交雑していたことが遺伝子から明らかにされた。
ペーボらの論文によると、私たちの全ゲノムの1~4%前後が、ネアンデルタール人に由来するものだという。多くの現代人がネアンデルタール人の遺伝子を受け継いでいて、現代の日本人も約3割がその遺伝子を保有している。交雑はきわめて限られたチャンスだったと思われるが、ネアンデルタール人の遺伝子はホモサピエンスの集団の中で増幅され、今日まで伝わった。
2005年にイスラエルのマノットの洞窟で発掘された約5万5000年前のネアンデルタール人の頭骨断片には、ホモサピエンスとネアンデルタール人の双方の特徴があった。近年フランスとスペインで発掘された約4万年前の遺跡からは、両者の石器が2800 年間にわたって重複して使われていたことが分かった。研究者の一人は「両者は先史時代のあるとき出会って恋をして子どもをつくった」とロマンティックなコメントを加えている。
絶滅する前にホモサピエンスと交雑
約60万年前に私たちの祖先は類人猿から別れてホモサピエンスへの歩みをはじめた。それから20種前後の新たな人種が登場しては消えていき、最新の研究によるとホモサピエンスは約50万年前(約80万年前という説も)にネアンデルタール人と分岐して、もっとも新しい人類として出現した。ネアンデルタール人は、ユーラシア大陸に拡散した後に絶滅したが、ホモサピエンスは急激な進化を遂げて地球に多大なご迷惑をかけるまでに増殖した。
1940年生まれの私は、高校時代に「人類の進化は猿人・原人・旧人・新人と段階的に進化してきた」と教えられた。ネアンデルタール人は「旧人」であり、私たち「新人」の直系の祖先とされた。その後、数多くの人類化石が発見され、同じ時代に複数の人類が存在し複雑に枝分かれしながら進化してきたことが分かった。
ネアンデルタール人は長年、洞窟に住む知能の低い粗暴な原始人というイメージだった。しかし、ホモサピエンスとの交雑が確実になり、生物学的には「亜種」程度の違いという説が有力だ。ネアンデルタール人の脳は、私たちの脳の平均をわずかながら上回る大きさだ。男性成人の平均身長は約160センチ、平均体重は約84キロ。発語にかかわるFOXP2遺伝子からみて、言語能力もあったようだ。火を使い、遺体を埋葬して墓に花を供えた。洞窟に壁画を残し、動物の骨や貝殻で精巧な装飾品をつくるなど、欧州にわたった当時のホモサビエンスと同程度の文化水準だった。
近年のスペイン・ジブラルタル博物館の発掘調査で、ネアンデルタール人が生存した期間がもっと長かったことがわかってきた。これまでは4万年前に絶滅したとされてきたが、彼らが最後に生息した地域と考えられたジブラルタルのゴルハム洞窟で、2万8000年前の骨が出土したからだ。
ネアンデルタール人は、なぜ絶滅したのだろうか。さまざまな説が唱えられている。「ホモサピエンスによる圧迫」「感染症の流行」「気候変動による寒冷化」などなど。家族単位の小集団で暮らしていたネアンデルタール人と、大きな社会を形成したホモサピエンスでは、技術開発力や食物獲得能力、環境変動への適応能力などに大きな差がついて、次第に圧迫されて衰退していったと考える人類学者が多い。
ネアンデルタール人とホモサピエンスの交雑についての解説に夢中になって、大切なことを忘れていた! ネアンデルタール人から受け継いたさまざまな遺伝子の中に、コロナウイルスに関わる遺伝情報があったということだ、これは次回に述べることにしよう。
新型コロナの正体を探る:(5)新型コロナウイルス感染者を重症化させるネアンデルタール人の遺伝子 に続く
バナー写真=トルコのイスタンブールにある、新型コロナ感染症の死亡者を取り扱う設備を備えた死体安置所。2020年5月16日撮影。トルコでは、5月15日の時点で4055人のコロナウイルス感染症の死亡者が報告されている(この写真は記事の内容に直接の関係はありません)(Chris McGrath/Getty Images)