感染症の文明史 :【第1部】コロナの正体に迫る

1章 新型コロナの正体を探る:(1)コロナに酷似した130年前のパンデミック

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スペイン風邪のパンデミック(世界的流行)以降、新型コロナウイルス感染症は最大の危機を人類にもたらした。このウイルスの過去を探っていくと、意外な事実にたどりつく。

新型コロナウイルス(以下、新型コロナ)は、瞬く間に世界を覆い尽くした。長いこと感染症の歴史を追いかけてきたが、こんなに手ごわいウイルスは1918~20年にパンデミックを引き起こしたスペイン風邪(インフルエンザ)以来だ。過去の感染症の流行に比べて異例の速さでワクチンは実用化できたものの、それをあざ笑うかのように次々に新たな変異を繰り出してなかなか収束が見えてこない。

21世紀に入ったというのに、1万分の1ミリにも満たない超微細なウイルスに翻弄(ほんろう)され、日常の生活が一変し、世界経済まで撹乱(かくらん)された現実に愕然(がくぜん)とする。私たちは科学の発達に慢心していたのではないだろうか。このシリーズは、新型コロナの正体を探ることからスタートする。そこには想像もできない過去があった。

妙に人間に慣れたウイルス

アフリカの国連機関で働いていたときに親しくなったフランスの友人が、旅行の途中で夫人とともに日本に立ち寄った。2021年の秋、第5波の流行が収まってひと息ついたころだ。彼は、アフリカで病原性ウイルスを追いかけてきた“ウイルスハンター”である。世界保健機関(WHO)のチームの一員として、エボラ出血熱、ラッサ熱、マールブルグ病などの病因となる危険なウイルスやその宿主を追ってきた。

彼の“ハンティング”にお供したことがある。蒸し暑い西アフリカの熱帯でハザードスーツ(防護服)に身を包み、熱帯林に分け入って罠(わな)でコウモリを捕まえ、沼沢地で泥にまみれて捕虫網を振り回し、奥地の村の市場でサルの肉を買い集めて、保有するウイルスを調べる。“ハンター”の名に恥じない体を張った調査には恐れ入った。

久しぶりに会っても、話題はどうしても新型コロナになる。私が「このウイルスって妙に『人慣れ』している気がしない?」と、ふだん感じている疑問をぶつけると、「確かに! ボクもそんな気がする」とうなずく。

たとえば、インフルエンザなら潜伏期間は1~3日だが、新型コロナは長いときは2週間にも及ぶ。感染しても無症状者が2割ぐらい存在し、無症状でも感染力はある。ウイルスの狡猾(こうかつ)さを感じる。感染者がいきなり減って、このまま収束するかなという期待を抱いていると、次の流行の波が押し寄せてくる。

重症化しやすい高齢者を狙っていたが、ワクチン接種が普及してひと安心すると、接種者の少ない若年層に感染を広げていく。若者にも接種が広がると、今度はそのワクチンに対抗する新たな変異株が出現する。まるで意志があるかのように、私たちを思うままに操っている。人との距離感を測りながら、「生かさず殺さず」で私たちをいたぶってくるとしか思えない。

その後、私自身も感染した。症状は比較的軽かったものの後遺症の「味覚・臭覚障害」が現れ、回復するまで10日間ほど「味気ない」生活を送った。インフルエンザなどでもこうした障害が起きることがあるが、さまざまな報告をみても、新型コロナの場合には4~6割に嗅覚・味覚の障害が現れる。他の感染症と比べて異常な高率だ。

やっかいなRNAウイルス

このシリーズを開始するに当たり、ウイルスとはどんな存在なのかを簡単に説明する。やや専門的になるが、お付き合い願いたい。ウイルスは、遺伝情報(DNAやRNA)が殻や膜に包まれただけの単純な構造だ。大きさも花粉の100分の1から1000分の1ほど。これが同じウイルスかと思うほどさまざまな形がある。

遺伝情報としてDNAとRNAのどちらの核酸を持つかで、2つに分けられる。DNAウイルスはその名の通り本体がDNAのウイルスで、多くの場合、生物の細胞内の核に侵入して宿主の酵素を使って自らのDNAを複製して子孫を増やす。一方、RNAウイルスは本体がRNAだが、宿主に複製させることができない。そのため、宿主細胞内のなかで自分自身がもつ情報で複製する。

ウイルスは細菌と異なり、自分で蛋白質(たんぱくしつ)を合成する機能がない。ウイルスが子孫を残すためには他の生物の細胞(宿主細胞)に侵入しDNAかRNAのどちらかの設計図をもとに、宿主細胞を操って大量に増殖させなければならない。その結果、侵入された細胞は自分の蛋白質をつくることができなくなって死んでしまう。これがウイルス感染だ。

身近なDNAウイルスには、風邪の原因となるアデノウイルス、水ぼうそうの病因のヘルペスウイルス、子宮頸(けい)がんを引き起こすヒトパピローマウイルスなどがある。一方、RNAウイルスは種類が多いうえに変異が激しく、猛威を振るう厄介者が多い。新型コロナはRNAウイルスに属し、このほかインフルエンザウイルス、風疹ウイルス、C型肝炎ウイルス、エイズウイルス(HIV)などがある。

変化するものが生き残る

ウイルスは遺伝子をコピーして増殖するが、コピーのときにミスが起きて遺伝情報が変わることがある。100万回程度のコピーで1回発生するといわれ、大きく変化したものが変異株となる。これはウイルスが環境の変化に適応するための生存戦略として、遺伝情報を変化させると考えられる。ワクチンによってウイルスに対する免疫ができても、ウイルスの方は無数の変異を生み出しワクチンを回避できる変異株が現れると、ふたたび流行することになる。

チャールズ・ダーウィンは進化論の本質をこう語っている。「もっとも強い者が生き残るのではなく、もっとも賢い者が生き残るのでもない。唯一生き残るのは変化する者である」。これこそがまさにコロナウイルスが目下実行している戦略だと言える。

もうひとつ、用語の説明をつけ加えておきたい。「ゲノム」とは遺伝子(gene)と染色体(chromosome)から合成された用語で、ある生物のもつすべての遺伝情報を意味する。「DNA」は「文字」、「遺伝子」は「文章」、「染色体」は「一冊の本」にたとえられる。

ロシア帝国で流行したインフルエンザ

ウイルスハンターの友人は、別れ際にこんな言葉を残していった。「ウイルス研究者のカンだが、コロナウイルスがこれまでもいろいろと悪さをしてきた気がする」。彼との会話以来、新型コロナの過去が気になって仕方がない。感染症史に関心をもつ一人として、調べてみる必要がありそうだ。

近年のゲノム解析やDNA分析技術の進歩から、ウイルスや細菌などの微生物の起源探しはかなり成果を上げている。確かに、遺伝子レベルでの解析が進化したが、19世紀以前の感染症については、感染者の組織やウイルスが残されているわけではなく、状況証拠や当時の記録や個人の日記などアナログの調査に頼る部分が大きい。

医学専門誌、感染症史の文献、古い新聞・雑誌などを片っ端から調べる日々がはじまった。過去20年余のインターネット検索の飛躍的な進歩で、以前に比べて大量の情報が収集できるようになったのが何よりもありたがい。

新型コロナ感染症はインフルエンザと初期症状が似ているので、過去にパンデミックが発生したとしても、インフルエンザと混同された可能性がある。改めて、インフルエンザ流行の資料をあさっていくと、1889年に19世紀最悪といわれる大流行があった。数年の間に波状の流行を繰り返し、世界中で多くの人びとが肺炎で命を失うことになった。

鉄道によってウイルスが拡散

この流行の震源地は当時ロシア帝国の一部で、現在のウズベキスタンのブハラだった。シルクロードの要衝として古代から栄えたオアシス都市である。旧市街は歴史的建造物が多く、世界遺産に指定されている。

当時、ヨーロッパは「蒸気船と鉄道の時代」を迎え、各地に鉄道網が広がっていた。ブハラはこの地を支配していたロシア帝国によって、1879年に開通した「カスピ海横断鉄道」の主要駅だった。路線はカスピ海東岸からサマルカンドまでウズベキスタンを横断するように延びていた。

フランスの写真家ガスパール・フェリックス・トゥルナションが1890年に撮影した「カスピ海横断鉄道の列車」(著者死後70年以上経過で版権切れ)
フランスの写真家ガスパール・フェリックス・トゥルナションが1890年に撮影した「カスピ海横断鉄道の列車」

カスピ海横断鉄道

鉄道の開通によってヨーロッパ向けの綿花の輸出が大きく伸び、逆に中央アジアには木材、鉄、建設資材などが運び込まれ、この地域の発展に寄与した。だが、物と人の移動が急増し、ウイルスが急激に拡散できる条件が整うことになった。

1889年10月、ブハラに住む人びとの間で集団感染が発生、病院はたちまち満員になり、連日のように多くの死者が出た。ロシア各地に広がりサンクトペテルブルクでは、約100万人の住民の2割が感染したという記録がある。多くは肺炎の症状だった。流行を重ねるごとに学生や労働者らの若者層にも広がり、学校や工場が閉鎖に追い込まれた。

鉄道の路線を伝い、そこから先へは蒸気船を乗り継いでウイルスは広がっていった。第1波が1889年10月から90年12月、第2波が91年3月から6月、第3波が91年11月から92年6月、しばらく間をおいて第4波が93~95年に再び流行した。

当時の記録には、「嗅覚と味覚が失われる奇妙な風邪」という症状に関する記載が多く残されている。また、回復しても長引く疲労感に悩まされた人も少なくなかった。新型コロナ感染症に酷似した症状に襲われたのだ。

1章 新型コロナの正体を探る:(2)全世界を襲ったロシア風邪の猛威  に続く

バナー写真=アラブ首長国連邦アブダビの新型コロナ感染症診断センター。2020年8月撮影。同国では7月以降、感染者が急増した(この写真は記事の内容に直接の関係はありません)(Photo by Francois Nel/Getty Images)

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