ノースウッズに恋した写真家 大竹英洋(2):夢をつないだ運命のオファー
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【第1話: オオカミの幻影を追って】
アシスタントにはなれなかったが
憧れの自然写真家ジム・ブランデンバーグに宛てたアシスタントになりたいという思いをつづった手紙は、なぜか届いていなかった。改めて手紙の内容を聞かれ、途中まで語ったところで、涙があふれて言葉が出てこない。そんな僕を前にジムは言った。「心配しなくていい。それは君の気持ちが深いところにたどり着いたサインなんだよ」
残念ながら手紙の返事は、「アシスタントは必要としていない」だった。しかし、僕の思いは受け止めてくれた。「自然とは一人で対峙(たいじ)することが大事なんだ。良い仕事には時間がかる。だからすぐに君も撮り始めた方がいい」と、帰国するまでの2カ月半、ジムは敷地内の小屋に泊まらせてくれた。尊敬する写真家のそばで撮影できる。しかも、写真も見てくれると言う。アシスタントではなかったが、考え得る最高の条件を提示してくれたのだ。
踏み出さなければ始まらない
滞在中、ジムは「存命の米国人の中で、最も偉大な探検家」としてウィル・スティーガーを紹介してくれた。1990年に6カ国からなる国際隊を率いて、世界初の南極大陸犬ぞり横断に成功した人物である。
当時のウィルはすでに犬ぞり探検を終え、環境問題の情報発信基地として森の中に5階建てのウィルダネス・センターを自分たちで建てていた。歴史に名を残すスケールの大きな人との出会いは、自分の内にある既成概念を壊してくれた。僕は湖畔のボートハウスに泊まらせてもらい、日中は窓枠のニス塗りを手伝いながら、周囲の自然を撮影して過ごした。
ある日、ウィルの講演会に付いていった。そこで少年が「どうしたら探検家になれるか?」と質問した。それに対し、ウィルの答えは簡単だった。「ブーツを履いて歩き出せ!」。どんな偉大な冒険も最初の一歩を踏み出さなければ何も始まらないのだ。
技術より「何を見ようとするか」
生まれ変わった気持ちで自然を見つめ、撮影する日々が続いた。当時はまだフィルムの時代。現像されたフィルムをチェックするたび、理想とかけ離れた出来にひどく落ち込んだ。帰国直前、遂にジムに写真を見てもらう機会が訪れた。ジムは気になる写真を選んで「とてもきれいだ。きみはいい目をしているね」と言ってくれた。「そんなわけがない。正直に言ってほしい」と念を押すと、「技術的なことは撮りながら学ぶしかない。大切なことは、何を見ようとしているか、その心だよ」と返ってきた。続けて「花や動物に目がいきがちだけれど、水滴や雲、森のシルエット、そしてさまざまな色にも反応している。君のそんな視線が私はとても好きだ」と伝えてくれた。技術は未熟でも、進むべき方向は間違っていないと思えた瞬間だった。
アルバイトに明け暮れる日々
ジムに別れを告げ、3カ月に及ぶ北米の旅が終わった。しかし、夢に現れたオオカミを探す旅は始まったばかり。帰国後はアルバイトを掛け持ちして、渡航資金を稼いだ。
お金が貯まるとイリーに通い、使い切ってはまたバイトをする生活を約3年続けた。ウィル・スティーガーがかつて犬ぞりの訓練場として使っていた森の中にある空き小屋を借りて、薪割りなどの作業を手伝いながら通い続けた。
断念した写真家への道
野生のオオカミの居場所を探して、イリーの研究者や天然資源局へ聞き込みに行ったが、確実な情報はなかった。ムース(ヘラジカ)がよく現れる沼があると聞いて、夜明けから待ち続けた。獣道を歩いていて生まれたばかりの子鹿に出会い、危うく踏みそうになったこともある。その子鹿はおびえる様子もなく、オオカミのいる森で生き延びるために気配を消していたのだ。秋には松ぼっくり集めに忙しいアカリスと出会い、夜には初めてのオーロラを見た。どれも素晴らしい体験だったが、オオカミは撮影できなかった。新しい足跡やふんはあるのに、警戒心が強く人前に決して姿を見せないのである。
気がつけば、倒木ばかりを撮影していた。思うような写真が撮れず、精神的に追い詰められていた。2001年の終わり、自室で目覚めると、血の気が引いて頭が冷たく感じた。表現者として生きていくことは、深い峡谷で綱渡りするようなものかもしれない。意気揚々と進んでいるうちはいいのだが、冷静になって谷底をのぞいた途端、足がすくんで動けなくなった。自分には才能がなかったのだ。現実を受け入れるのは辛かったが、生きるためには写真家の道を諦めるしかなかった。
人生を変えた喫茶店との出会い
別の道を模索して仕事先を探した。拾ってもらったのは、さまざまな雑誌を手がける編集プロダクション。アルバイトで日々、徹夜仕事をこなした。主な業務は編集補助だったが、カメラ機材を持っていたことから撮影も頼まれるようになった。しかし、ストロボやフィルターを多用する人物や店舗、ましてや料理の撮影は未知の世界。ほかのカメラマンの技法を真似して必死で勉強した。1年がたち、それなりに撮れるようになったところで独立。ちょうどその頃、撮影の仕事で訪れた喫茶店「平均律」に通い始め、その後の人生が変わることになった。
店名の平均律とはバッハの作品集で、いわゆるクラシック喫茶だ。落ち着いた雰囲気や上質のカップでいれる炭火焙煎(ばいせん)コーヒーがすっかり気に入って、何度も通うようになった。2003年のある夜。マスターにミネソタに通っていたことを話すと「今度写真を見せてよ」と言われた。後日、僕のアルバムを見たマスターは「いいね。ここで写真展をしてみない?」と声を掛けてくれた。
心の奥底に、諦めきれない思いがくすぶっていたのだろう。僕は写真展に向けてすぐに動いた。少しでも人の目に触れてほしくて、チラシをいろんな雑誌の編集部に送った。しかし、無名写真家によるノースウッズという聞いたこともない土地の写真展は、目に留まらなかったようだ。そんな中、一人だけ出版関係者が来てくれた。それが『月刊たくさんのふしぎ』(福音館書店)の編集者だった。
背中を押してくれた編集者の一言
連絡をもらってから日を改めて待ち合わせをすると、現れたのはベテランの男性編集者だった。彼は穏やかな表情と語り口でこう言った。「僕はあと2年で定年ですが、ようやく見つけた気がします。一緒に本を作りませんか?」
1985年刊行の『たくさんのふしぎ』はノンフィクションの月刊絵本シリーズ。小学3〜4年生が対象で、大人にもファンが多い。僕もその一人で、尊敬する写真家の星野道夫さんや今森光彦さんが何冊も手掛けていたことで知っていた。憧れの媒体からのオファーに、天にも昇るような気持ちだった。と同時に十分な写真があるか戸惑いもあった。家に帰って、アイデアを練った。北国の風景と野生動物との出会いを季節に沿って並べた。オオカミには会えなかったが、いかに遠い存在であるかを、体験を通して伝えたかった。
最初の原稿を渡すとき、失望されるのではないかと不安で胸がはち切れそうだった。編集者はその場ですぐに目を通して言った。「やっぱり思った通り。大竹さんは子どもの本が書ける人です。大丈夫。もっと良くなりますよ」。堀内誠一、安野光雅、石井桃子といった雲の上にいる絵本作家と交流してきた経験豊かな編集者が押してくれた太鼓判に、どれだけ励まされたか知れない。
写真絵本のタイトルは『ノースウッズの森で』。発刊が2005年9月号に決まると、編集者は僕に告げた。「早くフィールドへ戻ってください。大竹さんならきっと大丈夫ですから」
【第3話:カヌーをこいで未知の世界へに続く】
【第4話:森林火災といのちの営み】
【第5話:先住民から学んだ生命の大地 (最終回)】
撮影=大竹 英洋
バナー写真:森の獣道を歩いていて出会った子鹿。オオカミのいる森では、じっとして気配を消すことが唯一身を守るすべだ。(撮影:2000年)