素顔のパラアスリート

元五輪リレーアンカー・大森盛一:パラ陸上指導者として選手と共に「全力疾走」

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吉井 妙子 【Profile】

アトランタ五輪で5位入賞した1600メートルリレーでアンカーを務めた大森盛一さんは、全盲のパラ陸上選手、高田千明さんの「ガイドランナー」兼「コーラー」として、二人三脚で東京大会での金メダルを目指す。

大森 盛一 ŌMORI Shigekazu

1972年、富山県高岡市生まれ。92年バルセロナ五輪に出場。96年アトランタ五輪では400メートルと1600メートル(マイル)リレーに出場。リレー決勝はアンカーを走り、64年ぶりの5位入賞を果たす。その際に出した3分0秒76のタイムは日本記録で、24年間破られていない。日本選手権では94、96年に400メートルで優勝。2000年に引退。自己ベストは46秒00。2008年、陸上クラブ「アスリートフォレスト トラッククラブ(A・F・T・C)」を設立、指導者に。視覚障害のクラスで走り幅跳びと100メートルを専門とする高田千明選手のコーチを務める。

引退後のアスリートたちが再び輝くために

大森が、高田を急成長させることができた要因の一つは、対話力だ。2001年に28歳で現役を引退すると東京ディズニーランドのキャストに応募、人気アトラクション「ジャングルクルーズ」の船長になり、その後、ディズニーシーの「ヴェネッィアン・ゴンドラ」の船長に抜てきされる。

「この時に言葉の大事さを痛感しましたね。例えば危険な場所でただ『注意してください』と言うのではなく、『足元がぬれているから気を付けてください』と声を掛けるなど、とにかく具体的で誰にでも理解できる言葉で伝える技術を教わりました」

その後も、宅配会社や保険会社などに勤務し、コミュニケーション能力を向上させた。「対話力を磨くために就職したわけではないですが、結果的に相手にきちんと伝わらなければ何も始まらないという経験をし、今、目が見えない千明と接する上で、これまでの経験が役に立っているのは確かです」

そしてもう一つの武器は、五輪2大会出場の経験だ。五輪やパラリンピックには魔物が棲むと言われるように、選手は本番前に過度の緊張に苦しむ。そんな時、経験者がそばにいてアドバイスできるのは何よりの力になる。高田は大森の指導により、2019年の世界選手権でリオの記録を30センチ近く上回る4メートル69を跳び4位に入賞。東京パラリンピックでのメダルは射程圏内になった。

東京大会は1年先に延び、練習スケジュールも大幅な変更を余儀なくされる。だが二人は足並みをそろえて、金メダルを視野に全力疾走を続けている。

大森には今、大きな夢がある。「千明との縁で、盲学校で走り方の指導をすることが多いのですが、児童や生徒は思い切り走ったこともないし、ましてや競技として陸上に取り組もうとする学生はほとんどいない。なぜなら指導者がいないからです。一方、陸上選手を引退し、競技への未練を残しながら社会生活を送っている元アスリートも大勢いる。目の見えない生徒に元選手を指導者としてマッチングさせたら、それぞれ新たな生きがいが見いだせると思うんです。そんなシステムを作りたい」

また、引退した五輪選手がパラアスリートを支援する仕組み作りもしていきたいと考えている。パラ選手の実力の底上げに貢献するだけではなく、オリンピアンが再び輝けるチャンスを手に入れることができるからだ。「僕はガイドランナーとして千明と一緒に新国立競技場のレーンを走り、コーラーとしてもグラウンドに立つことができるんですよ。こんな光栄なことはないじゃないですか」

バナー写真:視覚障害者陸上の選手と伴走者は、「きずな」と呼ばれる輪にしたロープをそれぞれが軽く握って共に走る。「これくらいの長さかな」と手近なひもを使って説明する大森盛一さん

バナーおよびインタビュー写真撮影=花井 智子

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ジャーナリスト。宮城県出身。朝日新聞社に13年勤務し、1991年に独立。同年、『帰らざる季節 中嶋悟F1五年目の真実』(文芸春秋) でミズノスポーツライター賞受賞。『日の丸女子バレー ニッポンはなぜ強いのか』(文芸春秋、2013年)、『天才を作る親たちのルール』(文芸春秋、2016年)など著書多数。

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