
高田千明・裕士:視覚障害、聴覚障害を補い合って目指す東京パラ、デフリンピック陸上の金
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母の猛特訓とたまごボーロ
「二人で半分こ」夫婦はとても愉快で、つい話に引き込まれてしまう。裕士は耳が聞こえないのにきれいな日本語を話し、千明は目が見えないのに手話を使う。一般的にろう者は発音がうまくできず、全盲の人に手話の習得は難しい。だがこの夫婦は、こうした困難を完璧に乗り越えている。
「それは親の教育ですね」と裕士が言う。聴覚障害を持って生まれたが、幼児の頃は親も障害に気が付かなかったという。「でも2歳の時に、5歳上の姉が茶わんを割った音に僕だけ反応しなかったので、親がおかしいと思い病院に連れて行くと、聴覚障害で生涯治らないと言われたそうです」
以来、耳が聞こえなくても言葉を話すことができるように、裕士の母親は猛特訓を始めたという。口の形で「あ・い・う・え・お」の発音を覚えさせる訓練だ。
「僕自身には訓練の記憶がなく、後から母に聞いた話です。僕は声が聞こえないから、自分がどう発音しているのか分からない。でも正しく発音できると、母はご褒美に(お菓子の)たまごボーロを与えたそうです(笑)」
耳が聞こえなくても一人で生きていけるよう、両親は裕士を厳しく育てた。「耳が聞こえないことを言い訳にするな」と言われ、学校のテストは常に満点を求められた。
両親のおかげで不自由なく言葉を発することができるようになった裕士は、中学・高校と野球に夢中になり、一時プロ野球選手を目指したこともあった。だが、肩を痛め断念。一転、教員を志し、横浜国立大学に入学。入寮する裕士に母はこんなことを告げたという。「18年間、心を鬼にして育ててきたけど、もう何も言いません。自分の人生好きなように生きなさい」
この日を境に母は、燃え尽きたかのように穏やかになり、背中もすっかり丸くなってしまったと言って、裕士は苦笑する。
大学で陸上に転向。持ち前の足の速さと野球で鍛えた体で力を発揮し、4x400メートルリレー、400メートルハードルで頭角を現した。
2019年6月の日本聴覚障害者陸上競技選手権大会(駒沢公園陸上競技場)で
どちらが先に金メダルを取るか
千明もまた、裕士と同じような家庭環境で育った。3人姉妹の長女として生まれ、5歳の時に、年を重ねるごとに網膜の中心部である黄斑に障害が進む黄斑変性と診断された。黄斑変性はいずれ全盲になる病気のため、両親はかすかに目が見えている間に多くのものを見せ、いろいろなものに触れさせながら、視覚以外の感覚で周囲の状況を把握できるように育てた。千明は両親に度々こんなことを言われたそうだ。「親は子より先に死ぬ。だから今から自分でできることは自分でやりなさい。できなかったら工夫してやりなさい」
自立心旺盛に育った千明は、中学から盲学校に入って面食らった。車で送り迎えされるなど他人の支援を当たり前に享受しているクラスメートが多かった。高校ではあらゆるスポーツに挑戦したが、社会人になると陸上を極めたいと考えるようになり、大森が主宰するアスリートクラブの門をたたいた。
裕士と千明が出会ったのは2006年の全国障害者スポーツ大会。互いの明るさに引かれて08年に結婚、同時に妊娠が判明した。だが、双方の両親は出産に大反対。もし、障害児が生まれた場合、二人には育てきれないという心配だった。だが、それぞれ障害があっても独り立ちできるよう厳しく育てられた二人は強固な意志を持ち、親の説得にも動じなかった。翌年、息子・諭樹(さとき)を出産。今やそれぞれの実家で、孫の取り合いになっているそうだ。
息子は保育園の卒園時に「医者になりたい」と宣言して、一瞬二人を不安にさせた。障害を持った両親に、息子が引け目を感じているのかもしれないと思ったからだ。ところが息子は、「大好きなパパに僕の声を、ママには僕の顔を見てほしいから」と屈託のない笑顔を見せた。
裕士と千明の目下の課題は、どちらが先に息子の首に金メダルを掛けてあげられるかだという。千明は今夏、走り幅跳びに出場、日本記録を持つ陸上100メートルでも代表に内定する可能性が高い。裕士は21年ブラジルで開催されるデフリンピック出場を目指し、400メートルハードルと4x400メートルリレーでメダルを狙う。千明が「幅跳びで5メートルを跳び金メダル」と言えば「僕のリレーの方が可能性は高い」と混ぜっ返し、結論の出ないほほえましい言い合いがしばらく続いた。どちらが勝つか、まず東京大会に千明が挑む。
(本文中敬称略)
バナー写真およびインタビュー写真撮影:花井智子