
伊能忠敬:隠居後に前人未到の全国測量を成し遂げ、精密な日本地図を作成
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17年を費やして全国測量を完了
さらに、1802年の第3次測量(東北地方日本海沿岸)、03年の第4次測量(中央部太平洋沿岸~日本海沿岸)と東日本の測量を行い、東日本の地図を完成。江戸城の大広間に広げ、将軍徳川家斉も検閲した。その結果、高い評価を受け、西日本の測量も行うよう幕府からの命があり、忠敬は幕臣に取り立てられた。第5次以降の測量は幕府の直轄事業となり、経費もすべて幕府から支給されるようになった。忠敬は、西日本の測量は3年で終了すると考えていた。しかし西日本の海岸線は複雑であり、かつまた、それまで忠敬の門弟を中心とした測量隊に幕府天文方の下役(測量技術を持つ技術官僚)が加わり、測量隊統率の苦労も重なって、結局10年の歳月を要した。05年から06年の第5次測量(近畿および中国地方)、08年から09年の第6次測量(四国地方)、09年から11年の第7次測量(九州地方)、11年から14年の第8次測量(九州地方)を終え、さらに15年の第9次測量(伊豆七島、忠敬は高齢のため不参加)および16年の第10次測量(江戸市中)を行い、17年を費やして全国測量を完了した。
「御手洗測量之図」。1806年、伊能忠敬一行が大崎下島の港町・御手洗(広島県呉市)を測量している風景を描いた図(画像提供:呉市)
「官板実測日本地図 畿内 東海 東山 北陸」。樺太を含め全国を4枚で覆っている。「大日本沿海輿地全図」の小図をもとに、幕末に江戸幕府が編集・刊行した図 。1870年に開成学校が発行(国土地理院蔵)
忠敬の測量手法は、前述した「導線法」という手法で、山や島などの方位角を各地から観測してその位置を求める「交会法」も用いた。伊能測量の特筆すべき点は、経緯度を決めるため、天文観測を行ったことである。緯度を決めるため恒星の高度角を測り、高精度で求めることができた。経度については、日蝕(にっしょく)、月蝕などの開始と終了の時間などを「垂揺球儀(すいようきゅうぎ)」という振り子時計を用いて測り、各地のデータを比較することにより求めようとした。しかし携帯できる時計がなかったため、各地のデータを同期させることができず、また天候条件にも恵まれず、成功しなかった。従って、伊能図の経度方向の精度は高くない。
忠敬は瘧(おこり、マラリア)と喘息(ぜんそく)の持病を持っており、全国測量の最中にも発症して療養に努めたこともあった。また、幕府の直轄事業となる以前は、地元役人との折衝などにも苦労した。直轄事業となってからは、各藩の対応も極めて円滑となり、各藩の多大な協力を得ることができた。忠敬の全国測量は、高橋至時および天文方を継いだ息子の景保(かげやす)、幕府の支援と各藩の協力などがなければ成功しなかったと言ってよい。
死後に「大日本沿海輿地(よち)全図」が完成
1814年、第8次測量終了後に住居を移転し「地図御用所」とし、そこで地図作りを精力的に行ったが、地図の完成を見ることなく、忠敬は18年に死去した。その後、門弟や天文方下役により地図作成は継続され、21年に完成し、大図(縮尺3万6000分1)、中図(縮尺21万6000分1)、小図(縮尺43万2000分1)から成る「大日本沿海輿地全図」が幕府に提出された。
「伊能中図(21万6000分1) 関東の図」。全国を8枚で覆っている。伊能家が明治政府に提出した「大日本沿海輿地(よち)全図」の控図を明治初期に陸軍参謀局が模写した図(国土地理院蔵)
「大日本沿海輿地全図」は幕府の書庫に秘蔵され、公開されることはなかったが、明治以降には、さまざまな用途に利用された。「大日本沿海輿地全図」正本は、皇居の火事により明治初頭に焼失してしまったが、伊能家から政府に提出された控図を内務省、陸軍、海軍が模写して地形図、海図など国家の地図作成に利用した。控図も関東大震災により焼失したが、大名などに進呈された副本などが現在も残され、そのうちいくつかは国宝や重要文化財に指定されている。
伊能忠敬は、「人生二山の人」として、現代の高齢化社会において模範的人物として尊敬されている。彼は測量という仕事に必要な根気と実直さ、合理性を備えた人物であり、測量隊を率いる能力も優れていた。その反面、曲がったことが嫌いで厳しい面も持っていたようで、実の娘や息子を勘当し、弟子を破門することもあった。
1883年には、明治の元勲・佐野常民や榎本武揚らの働きかけによって正四位(しょうしい)の贈位が行われた。佐野常民は佐賀藩士時代に長崎の伝習所で伊能図を用い感銘を受けた経験があり、榎本武揚の父・箱田良助は忠敬の弟子で伊能測量隊に加わった人である。
近年では、2001年に「伊能測量200年」、2018年に「忠敬没後200年」を記念して講演会、伊能図の展覧会、顕彰碑・銅像の建立、伊能測量の足跡を歩くウォーキングイベント、忠敬をテーマにした演劇や映画の上演・上映などさまざまな事業が行われた。
バナー写真=伊能忠敬肖像画(伊能忠敬記念館蔵)