河童(かっぱ):水の恐怖を体現したおぞましき妖怪
文化- English
- 日本語
- 简体字
- 繁體字
- Français
- Español
- العربية
- Русский
河童は、日本人に最もよく知られた妖怪の一つである。マンガやアニメなどのエンターテインメント作品に登場するばかりでなく、テレビCMのキャラクターや地方自治体のマスコットにも採用されている。こうした現象は、大部分の日本人の間で「河童とはこういうものだ」という共通認識ができあがっているからこそ成り立つのである。
現代の日本人がすぐに思い浮かべる河童のイメージは、次のようなものである。全体のフォルムはおおむね裸の子どものようであるが、頭頂部には「皿」と呼ばれる円形の滑らかな部分があり、その周囲に髪の毛のようなものが生えている。体表に毛はなく体色は緑色で、口は鳥のクチバシのようにとがっており、黄色いクチバシとして表現されることも多い。背中には亀のような甲羅、手足の指には水かきがある。川や池などの水中に潜み、泳いでいる人の足をつかんで水中に引きずり込み、溺れさせる。何とも恐ろしい妖怪だが、なぜかキャラクター化された現代の河童はかわいらしいひょうきん者としてイメージされている。
江戸での呼び名が標準名に
こうした河童のイメージは、19世紀から20世紀にかけて形成された新しいもので、本来の民間伝承からかけ離れたものとなっている。まずその呼び名だが、地方によってさまざまな名前で呼ばれていた。江戸時代に京都と大坂を合わせて「上方(かみがた)」と呼んでいたが、この地域では「カワタロウ」、もしくはなまって「ガタロ」と呼んでいた。また、東北地方では「メドチ」、北陸地方では「ミズシ」、中国・四国地方では「エンコウ」、九州では「ヒョウスベ」などと呼ばれていた。
18世紀まで、日本の文化の中心は上方であった。そのため、現在「カッパ」と呼ばれている妖怪は、書物などではもっぱら「カワタロウ」と記され、「カッパ」は東国の方言として補足的に記されるのみであった。ところが19世紀になると、木版印刷による出版において江戸が上方を圧倒するようになり、文化の中心は江戸へと完全に移行する。これにより、江戸の「カッパ」という呼び名が、この妖怪を表す標準名となっていったのである。これは、近代になって東京の言葉が「標準語」となっていった過程と似ている。
獣から爬虫類・両生類のイメージに
また、18世紀までは、河童は猿やカワウソのような哺乳類としてイメージされていた。15世紀の辞書『下学集(かがくしゅう)』には「カワウソは年を取ると『カワロウ』になる」という記述があり、これが河童についての最古の記述とされている。「カッパ」ではなく「カワロウ」という名前になっていることにも留意しておきたい。1603年に日本イエズス会により長崎で刊行された『日葡(にっぽ)辞書』でも、「カワロウ」は川にすむサルに似た一種の獣と書かれている。初期の段階において、河童は現在のような爬虫類や両生類のイメージではなく、猿やカワウソといった獣のイメージで捉えられていたのである。
ところが19世紀に入ると、一転して亀やスッポンのような甲羅を持つ河童イメージのほうが主流になっていく。それは「カッパ」という呼び名と同様、亀・スッポン型の河童イメージが江戸のものだったからである。この亀・スッポン型の河童イメージは、全国的にはどちらかと言えばマイナーなものだったのだが、印刷物、とりわけ江戸名物とも言うべき浮世絵という視覚メディアの力は大きく、あっという間にこの河童イメージがスタンダードになってしまった。
例えば、浮世絵師・葛飾北斎が著した絵手本『北斎漫画』には、とがったクチバシと亀のような甲羅を持った河童や、スッポンのような河童の姿が描かれている。これが江戸における河童のイメージだった。さらに、浮世絵師たちは、時に河童の体色を緑色で描いた。これは、カエルのイメージと混同したためだったのかもしれない。実は河童を緑色とする伝承も、カエルのようなものとする伝承もほとんど確認できないのだが、手足に水かきがあり、頭部を除けば幼い子どものシルエットに近いカエルが、河童をビジュアル化する際のモデルとして選ばれたのではないだろうか。いずれにしても、ここで強調しておきたいのは、現代の日本人が河童の体色は緑色だと思い込んでいるのは、江戸時代の浮世絵の影響なのである。
恐ろしい妖怪から滑稽なキャラクターへ
江戸時代には、妖怪たちは現代のマンガに相当する草双紙(くさぞうし)のキャラクターとなっていたが、河童もその一つだった。「人を溺死させる」という本来の恐ろしい側面はかなり薄められ、滑稽な存在として描かれている。これが現代の河童イメージにもつながっているが、現在見られるような「かわいい河童」の直接的な起源はもっと新しく、1950年代以降になる。当時、漫画家・清水崑の『かっぱ川太郎』『かっぱ天国』といった「河童マンガ」が人気を博し、一大「河童ブーム」が起こっていたのである。彼の描くかわいらしい河童は、東京都の「都民の日」のシンボルキャラクターとなり、また日本酒やスナック菓子などの商品のCMキャラクターとなった。河童がかわいく描かれるようになったのは、実はこの時からなのである。
人間に危害を加える厄介な存在
このように、河童は江戸時代以降のマスメディアの中で変容・発展を遂げた結果、現在のイメージを確立したのである。それゆえに、古くから人々の間に語り伝えられた民間伝承の河童とは、少なからず齟齬(そご)がある。最大の違いは「恐ろしさ」であろう。河童は本来、人間や牛馬を水中に引き込んでその内臓や「尻子玉」(しりこだま:肛門を内側からふさいでいると考えられた想像上の器官)を食らう恐ろしい怪物であった。それだけではなく、女性を犯して自分の子どもをはらませる、人を狂わせたり病気にしたりする、といった害悪をももたらした。
河童は相撲を好むという伝承も多く聞かれ、これはほほ笑ましい性質のようにも思われるが、相撲の相手になった人間は水中に引き込まれたり、狂わされたり病気にされたりとろくなことにはならなかったようだ。
水の神として祭る神社も
そうした恐ろしい妖怪といったイメージとは別に、河童が人間に利益をもたらす話もある。便所の中で女性の尻を触っていた河童が手を斬り落とされ、その手を返してもらう代わりに妙薬の製法を教えた、という伝説が各地に残っている。また、馬を水中に引き込もうとした河童が逆に陸地に引きずり出され、許してもらう代わりに今後村の人間を水に溺れさせないことを誓う、といった話もある。後者の場合は、河童がその約束を記した証文が残っていたり、あるいはその河童が水の神として祭られたりしている。
こうした話は、日本の古代神話における「神」にも見られるものであり、河童が一種の自然の精霊であることを気づかせてくれる。日本人は自然に対して畏怖(いふ)の念を抱き、それを「神」あるいは「妖怪」として具象化して、自然の脅威をコントロールしようとしてきた。河童の場合は、川や池、海という自然の恐ろしさを体現した存在だと言えよう。水中では、人間は生きていくことができない。どんなに泳ぎが得意な人でも、一歩間違えれば命を落とすことがある。それを戒める存在として、河童が仮構されたのである。
現在、川や池のほとりに立てられた遊泳禁止の看板には、河童のイラストがあしらわれているのをよく見かける。それは、かわいい見た目の裏にある真の意味を私たちに伝えようとしているようにも思われる。
バナー写真=江戸名所道戯尽(どうけづくし) 二 両国の夕立。歌川広重の弟子であった歌川広景(ひろかげ)による戯画に描かれた河童(右)。夕立を降らせた雷神が両国橋の下に落ち、河童に引きずり込まれそうになっている。1859年(筆者蔵)