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七夕(たなばた)

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織り姫とひこ星が年に1度、天の川を渡って逢うことを許される7月7日の七夕。例年であれば、この時期、各地でさまざまな七夕まつりが開催されるが、今年は新型コロナウイルス感染症対策のため多くが中止に追い込まれている。

年に1度の逢瀬

毎年、7月7日が近づくと、七夕の笹飾りが家庭の軒先や、街角を彩る。「サッカーの選手になれますように」「絵がうまくなりますように」との願いを書いた短冊が風に揺れる。日本の夏の風物詩だ。

笹に七夕飾りをつるす (Pixta)
笹に七夕飾りをつるす (Pixta)

七夕は、中国から伝わり、古代から日本の宮廷で祝われた「五節句」の一つ。中国では古くから織女星(西洋の星座でこと座の1等星ベガ)は養蚕や針仕事をつかさどる星、牽牛(けんぎゅう)星(わし座の1等星アルタイル)は農業をつかさどる星とされ、天の川をはさんで輝く2つの星にまつわる伝承がいくつも生み出された。

織り姫は機織りの名手、ひこ星は働き者の牛使いだった。しかし、結婚した途端に仕事を怠けるようになり、織り姫の父である天帝(天を支配する神)の怒りを買って天の川を挟んで引き離されてしまう。天帝は「以前のように真面目に働くならば」と条件付きで年に1度の再会を許したので、2人は七夕を待ち焦がれつつ、一生懸命働く。

星に願いを

天の川に隔てられた織り姫とひこ星 (Pixta)
天の川に隔てられた織り姫とひこ星(Pixta)

現在の七夕は、天の川に隔てられた2人の恋物語に、同じく中国から伝わってきた7月7日の「乞巧奠(きつこうでん)」の行事や、日本古来の棚機津女(たなばたつめ)の伝説が融合したと考えられている。

「乞巧」は、「巧みを乞う」つまり、技芸の上達を願うことで、「奠」は供物を指す。織女にちなんで裁縫・機織り上達や、教養としての和歌や歌舞の上達を祈るようになり、室町時代には、七夕の日に星を眺めながらの歌会が開かれるようになったという。七夕が広く庶民に広がったのは江戸時代(1603〜1868年)中期。各地にできた「寺子屋」では、「手習い」として、短冊に願いを書き、笹に飾る日本独特の風習が生まれた。 

笹竹は、古来より日本人に身近な植物であり、強い生命力で繁殖し、天に向かって真っすぐ伸びることから、願いを天に届けてくれると信じられていた。短冊の他にも、色紙で作った網飾り(豊漁)、折り鶴(長寿)、吹き流し(裁縫の上達)、巾着(金運)など願いを込めた飾りを吊るした。お盆の灯籠流しの行事とも融合し、かつては、七夕が終わると笹飾りを海や川に流していたが、現在では、環境への配慮からご法度だ。

「サッカー選手になれますように」と短冊飾り(ニッポンドットコム)
笹に吊るされた短冊飾り(ニッポンドットコム)

新暦と旧暦の七夕祭り

日本では、明治時代の1872年に太陽暦(西暦)を採用したが、今でも伝統行事を季節にあった旧暦(太陰太陽暦)に従って行う地域は多い。 

「日本三大七夕祭」といえば、「仙台七夕まつり(宮城県)」、「湘南ひらつか七夕まつり(神奈川県)」、「安城七夕まつり(愛知県)」だ。また、6日間で300万人が訪れるという「ねぶた祭り(8月初旬、青森県)」も、もともとは七夕の夜に海や川で穢(けが)れをはらうため、灯籠を流したのが始まりといわれている。

「仙台七夕まつり」2014年撮影(時事)
「仙台七夕まつり」2014年撮影(時事)

新型コロナ感染症の収束が見通せない今年は、残念ながら日本三大七夕祭りやねぶた祭の他にも多くの七夕イベントが中止に追い込まれている。安全に祭りを楽しめる日が来るように、祈りをささげて7月7日の天の川を仰ぎたい。

バナー写真=幼稚園の子どもたちからJR逗子駅に贈られた笹の七夕飾り。(2019年ニッポンドットコム撮影)

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