家紋 : 庶民の家にまで普及した紋章
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1220(承久2)年に成立した天台宗僧侶・慈円の史書『愚管抄』に、次の記述がある。「巴(ともえ)の車など伝へたりける」
平安後期の貴族・藤原実季(ふじわらのさねすえ)が乗った牛車(ぎっしゃ / 牛に引かせた貴族の一般的な乗り物)に、「巴」の紋が入っていたというのだ。
家紋は平安時代中期(900年〜1000年頃)に誕生し、貴族の間で使われるようになったと考えられている。
家紋は、個人や家族を識別するための目印だった。平安時代の貴族は地位による明確な序列があり、牛車が路上ですれ違う際、身分が低い方が道を譲らなければならない。身分を示すものとてし、牛車に家紋を描いたのである。
いつしか牛車だけでなく装束にも紋を入れるようになり、武士も使用するようになった。庶民の間でも、室町時代(1336年〜)には商人が店の看板に紋を入れており、それが家紋となった例がある。さらに時代が下ると歌舞伎役者が使い、江戸時代には一般大衆が自分で家紋を選んで使うことが許されていた(天皇家の菊紋と徳川将軍家の葵紋は除く)。元禄期(1688〜1704)には、家紋はすっかり庶民に定着していた。
家紋のモチーフと五大紋
家紋には、大きく分けて「動物」「植物」「自然」「建物・乗物」「器物・文様」の5つのモチーフがある。
「動物紋」には亀・鶴などが用いられた。長寿であることから、一族の長い繁栄を願う意味があった。
「植物紋」は富貴(地位が高く財力もある)の象徴として藤や牡丹など、いずれも優雅さを表す。徳川の葵もこれに類する。
「建物・乗物紋」は車紋(車輪の紋)であれば牛車をモチーフとして貴族の栄華を証し、鳥居をあしらった紋は神職の家系。
「自然紋」は月・山・雷などを描き、自然に敬意を表する信仰や豊作祈願、「器物・文様紋」は、例えば釘貫(くぎぬき)は工具を意味し建築関係者、引両(ひきりょう)の文様は一説には龍の姿の変型だという。
このように家紋にはそれぞれ意味が込められている。
また、藤・桐・鷹の羽・木瓜(もっこう)・片喰(かたばみ)は使用頻度が高く、五大紋といわれる。もっともこれには諸説あり、『家紋の大辞典』(東京堂出版)では桐の代わりに柏を入れて「五大」としている。
現在、日本で使われている家紋は2万とも2万5000ともいわれる。
家が正式に使用する「定紋/じょうもん」に加え、非公式に一個人が作った「替紋/かえもん」、女性が結婚後、実家の紋章を一部アレンジして作った独自の「女紋」など新たな紋が次々と生まれ、実数を把握するのはとても不可能なのだ。今後も続々と家紋は作られ、総数はさらに増えていくだろう。
〔参考文献〕
- 『決定版 面白いほどよくわかる! 家紋と名字』高澤等・高岡浩 / 西東社
- 『歴史道Vol.8 家紋と名字の日本史』 / 朝日新聞出版