鎌倉幕府の歴代将軍 : 「源氏」は30年足らず、執権北条氏の時代
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初代 源頼朝(在位1192~1199)
鎌倉幕府の初代征夷大将軍。江戸時代末まで約700年続く武家政治の根幹を築く。
1147年、清和源氏の流れをくむ源義朝の三男として尾張国熱田(名古屋市)に生まれる。父・義朝が平清盛と対立した平治の乱(1159年)で敗れ、伊豆に流される。1180年挙兵、平家追討、義経追放などを経て、1192年、征夷大将軍に任命される。
鎌倉幕府の正史である『吾妻鏡』には、頼朝死没の1199年1月の記述がないことから、暗殺説も根強いが、暗殺と断言するだけの証拠もなく、真相は明らかになっていない。
2代 源頼家(1199~1203)
頼朝36歳の時に、政子との間に生まれた長男。頼朝急死後、2代将軍となるも、「13人の合議制」が敷かれる。1203年、後見役であった比企能員をはじめとする比企一族が北条氏によって滅ぼされると、北条氏を後ろ盾とする実弟の実朝に将軍職をとって代わられ、21歳で伊豆で誅殺される。
3代 源実朝(1202~1219)
源頼朝・政子次男。北条氏が2代頼家と比企一族を滅ぼし、12歳で征夷大将軍に任命される。実際の政治は初代執権の時政、2代執権の義時が主導。鶴岡八幡宮で頼家の子・公暁(くぎょう/こうきょう)に暗殺され、26歳で死没。これをもって、鎌倉幕府の源氏将軍は断絶。
藤原定家に和歌を学び、歌集「金槐和歌集」を遺した歌人としても知られる。
4代 藤原(九条)頼経(1226~1244)
関白・九条道家の子。頼朝の妹のひ孫にあたる。3代将軍・源実朝暗殺後、皇族を将軍に迎えようとした幕府の画策は不調に終わり、頼朝の遠縁である頼経が迎えられた。
北条氏の傀儡(かいらい)。反・執権勢力が頼経に接近し勢力を強めたことで北条氏から追放され、将軍職を嫡子頼嗣に譲った。
5代 藤原(九条)頼嗣(1244~1252)
4代頼経嫡男。6歳で父から将軍位を譲られるが、九条家の政治勢力拡大を嫌った5代執権の北条時宗によって、14歳で追放される。18歳で死没。
6代将軍 宗尊親王(1252~1266)
後嵯峨天皇第一皇子。皇族初の征夷大将軍。九条道家(頼嗣祖父)の政治介入を嫌った執権北条時頼に迎えられたが、政治的権限はほとんど与えられなかった。謀反(むほん)の嫌疑をかけられ解任される。
7代将軍 惟康親王(1266~1289)
6代・宗尊親王の嫡男。3歳で将軍就任。26歳で解任され京に戻された。
8代 久明親王(1289~1308)
後深草天皇皇子。従兄にあたる惟康親王が京に送還されたことにより、征夷大将軍に就任。政治的力はなかったが、鎌倉歌壇の中心的存在。在任長期化を嫌う北条氏に解任された。
9代将軍 守邦親王(1308~1333)
久明親王の子。父が解任され、8歳で将軍就任。新田義貞の挙兵により鎌倉陥落後、将軍職を辞して出家。
バナー写真 : PIXTA