日本におけるキリスト教の歴史 : 信者数は人口比1.5%
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文化庁が毎年公表している「宗教統計調査」によると、2017年12月31日時点のキリスト教系の信者数は192万1834人で、日本の人口1億2600万人に占める割合は1.5%だった。
キリスト教が初めて日本に伝来したのは、1549年のこと。戦国時代と呼ばれる戦乱の世だった。九州地方には、宣教師を保護し、布教を認める代わりに、南蛮貿易での利権を確保しようと、洗礼を受けてキリスト教に改宗する大名もいた。
しかし、豊臣秀吉が1587年にバテレン追放令を出したのを皮切りにキリスト教排除の動きが強まり、1612年には江戸幕府による禁教令が出された。その後、約250年にわたって日本は鎖国していたため、西欧のキリスト教文化に接することはなかった。再び、キリスト教の布教が始まったのは、開国後の19世紀後半になってからだ。
【日本におけるキリスト教略史】
1549年 キリスト教伝来 / イエズス会フランシスコ・ザビエルが鹿児島に上陸、布教活動を始める
1585年 天正遣欧少年使節が教皇グレゴリウス13世に拝えつ / 有馬晴信ら九州のキリシタン大名が4人の少年を欧州に派遣した
1587年 バテレン追放令 / 豊臣秀吉がキリスト教布教の制限、宣教師追放を打ち出す
1597年 日本26聖人処刑 / 6人の外国人宣教師と20人の日本人信徒が長崎で処刑される
1612年 禁教令 / 江戸幕府が直轄領での布教を禁じ、教会の破壊を命じた
1633年 鎖国令 / これ以降、数度にわたって出される
1853年 ペリー来航
1858年 日米修好通商条約締結 / 米国のプロテスタント宣教師らによる布教活動始まる
1865年 信徒発見 / 長崎に居留するようになったフランス人のために建てられた教会・大浦天主堂に、潜伏キリシタンが訪れて信仰を告白。厳しい禁教令と宣教師不在の中、250年もの間、信仰が守られたことが奇跡として受け止められた
1947年 日本国憲法施行 信教の自由がうたわれる
1981年 ヨハネ・パウロ二世がローマ教皇として初来日
2014年 安倍晋三首相が教皇フランシスコと会談 / 「信徒発見」から150年を機に訪日を要請
2018年 「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」(長崎県、熊本県)が世界文化遺産に登録
2019年 教皇フランシスコ来日
バナー写真 : 大浦天主堂/黒岩正和(96BOX)