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西欧文化に触発された明治の国際人 : 新紙幣に登場する人々

経済・ビジネス 社会

2024年度上期から使われる予定の新紙幣に登場するのは、明治・大正期にかけて医学、教育、実業の分野で活躍した人物たちだ。3人に共通するのは、開国間もない時期に西欧に渡り、それまでの日本になかった新しい思想や最先端の学問に触れたことだ。

政府は2024年度上期をめどに1000円札、5000円札、1万円札のデザインを変更する。新しい紙幣に登場する北里柴三郎、津田梅子、渋沢栄一の3人はいずれも海を渡って先進的な西欧文明に触れ、明治維新後の日本に新しい風を吹かせた人物たちだ。そのプロフィールを紹介する。

【1000円札・北里柴三郎】 

1853年12月20日~1931年6月13日 伝染病予防・細菌学の発展に貢献

北里柴三郎

熊本県阿蘇郡で代々庄屋を務める家に生まれる。熊本医学校(現・熊本大学医学部)、東京医学校(東京大学医学部)で学び、在学中から予防医学を志す。

1883年内務省衛生局入局、86年から6年間ドイツに留学し、病原微生物研究の第一人者・コッホに師事。留学中に破傷風菌の純粋培養を成功。毒素に対する免疫抗体を発見し、治療法を確立した。帰国後は、私立伝染病研究所や日本で最初の結核治療専門病院を設立、伝染病の予防・治療に尽力した。

現在の1万円札の肖像の福沢諭吉は北里の伝染病研究所設立に場所と建設資金を提供。北里は、福沢の没後、慶応義塾大学医学科の創設に携わり、初代の医学科長を務めた。現在の1000円札の肖像の野口英世は、伝染病研究所に助手として勤務した経験がある。現紙幣・新紙幣と2世代続けて、日本の伝染病研究に縁の深い人物の肖像が使われる。

(学校法人北里研究所、北里柴三郎記念室、株式会社テルモ等のウェブサイトの記述を参考とした)

【5000円札・津田梅子】 

1864年12月3日~1929年8月16日 日本の女子教育の先駆者

津田梅子

西洋文化に大きな関心を寄せていた幕臣で農学者の津田仙の次女として生まれる。仙の強い希望で、北海道開拓使が募集した女子留学生に応募し、岩倉使節団とともに、1871年渡米。当時、梅子6歳で、5人の女子留学生の中で最年少だった。ワシントン近郊のジョージタウンで初等・中等教育を受け、1882年帰国。華族女学校で教鞭をとったが、米国と比べて日本での女性の立場が低く、留学で得た経験を活かす機会がないことに落胆し、再渡米。ブリンマー大学に留学し、生物学を専攻する。

帰国後の1890年、女子英学塾(現在の津田塾大学)創設。それまであった行儀作法や花嫁修業的な女子教育ではなく、英語教育を重視し、個性を尊重する先進的な教育プログラムを導入した。

(津田塾大学、国際留学生協会等のウェブサイト記述を参考とした)

【1万円札・渋沢栄一】 

1840年2月13日~1931年11月11日 日本資本主義の父

渋沢栄一

埼玉県深谷市の豪農の家に生まれる。徳川慶喜に仕え、慶喜の弟・昭武のパリ万国博覧会(1867年)参加に随行。約1年間の滞在期間中に先進的な欧州の文化、産業、思想に触れ、大きな影響を受ける。明治維新後は、明治政府に仕え、大蔵省(現・財務省)などで活躍するも、73年退官し、実業界に転じる。第一国立銀行(現在のみずほ銀行)、王子製紙、大阪紡績(現在の東洋紡)、東京瓦斯(東京ガス)など民間企業約500社の創設に関与。営利企業であっても、単なる利益追求に陥ることなく、根底には道徳が必要であるとする「道徳経済合一」を説いた。

(埼玉県深谷市、深谷市教育委員会、渋沢栄一記念財団等のウェブサイトの記述を参考に作成)

バナー写真 : 左から順に北里柴三郎、津田梅子、渋沢栄一(国立国会図書館デジタルコレクション)

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