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目指すは「副首都」!? : 大阪と東京を比べてみる

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あまりにも東京一極集中が進んだためについつい忘れがちだが、歴史上長らく、日本の経済の中心も文化の中心も大阪にあった。「副首都」を目指すという大阪と東京を比べてみた。

2019年4月の大阪府知事・大阪市長選挙では、「大阪都構想」の実現を目指す地域政党・大阪維新の会が勝利した。都構想の背景にあるのは、過度な東京一極集中による、相対的な大阪の存在感の低下に対する危機感だろう。大阪維新の会はマニュフェストの中で「東西二極の一極を担う大都市だと認められるような副首都・大阪を目指す」とうたっている。東の東京、西の大阪を比べてみると…

東京都 大阪府
面積(Km2 2,193.96 1,905.14
人口(人) 13,857,129 8,817,436
人口密度(人/Km2 6,316 4,628
2019年度税収見込み(兆円) 5.5 1.3
GDP(兆円) 104.3 39.1
東証1部上場企業 1,161 271

大阪府、東京都の公表資料、東京証券取引所データを基に編集部作成
人口と人口密度は2019年3月1日現在/税収見込みは当初予算ベース/GDPは2017年度

東京都と大阪府の面積はいずれも2000平方キロメートル前後。47都道府県中、東京都は45位、大阪府は46位で面積は小さな自治体だ(47位は香川県)。しかし、人口は東京が1位、大阪が3位(2位は神奈川県)、GDPは東京が1位、大阪が3位(2位は愛知県)と、押しも押されもせぬ東西の中心地だ。現在では、大阪は東京にやや水をあけられた感があるが、実は、歴史的には長らく大阪が日本の経済の中心地だった。

大阪は、古来より水運の重要拠点として栄え、645年に築かれた「難波宮(なにわのみや)」は日本最古の宮殿と言われる。その後、都は京に移ったものの、都に隣接する第二の都市として着実に発展を遂げた。1583年に豊臣秀吉が大阪城の築城に着手すると、城下町として一段と栄えるようになった。

江戸時代には政治の中心は江戸(=東京)に移ったものの、大阪は経済の中心として隆盛を誇った。堂島の米市場の価格が、全国の米価の基準になるなど、食品流通の中心地となった。経済の発展とともに、「上方文化」と呼ばれる町人文化が花開いた。

1923年の関東大震災で東京が甚大な被害を受けると、東京から大阪へ多くの人が移住するなど、首都機能のバックアップを担う都市として役割を果たした。1927年(昭和2年)の「大阪市統計書」には、世界の大都市ランキングが記されており、ニューヨーク(597万人)、ロンドン(455万人)、ベルリン(403万人)、シカゴ(310万人)、パリ(290万人)に次ぐ第6位が大阪の225万9000人とある。同年の東京市の人口は214万3200人で、この時点までは、東京を上回る大都市だったことがわかる。

梅田スカイビルの空中庭園から望む大阪の街 (撮影 : 三輪 憲亮)
梅田スカイビルの空中庭園から望む大阪の街 (撮影 : 三輪 憲亮)

かつては、食品会社、繊維会社、商社、金融機関など大阪に本社を置く企業も多かったが、戦後は、政治も経済も東京一極集中が進み、企業も次々と東京に本社を移した。武田薬品工業、伊藤忠商事、日清食品ホールディングスなど、今も登記上の本店は大阪に置くが、東京・大阪2本社体制をとり、実質的に東京に軸足を移している。

大阪府、大阪市は2025年の大阪万博を起爆剤に関西経済の活性化に期待をかけ、万博開催の前年にはカジノを含む統合型リゾート(IR)の開業を目指す。果たして、商都・大阪の復活はなるか?

バナー写真 : PIXTA

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