「五大陸五輪」は夢物語か?-IOC会長選から考える祝祭の未来

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滝口 隆司 【Profile】

国際オリンピック委員会(IOC)の会長選が20日に迫った。トーマス・バッハ会長の後任を決める選挙には7人が立候補しているが、日本から初めて名乗りを上げた国際体操連盟・渡辺守成会長の公約が目を引く。「世界五大陸の5都市で夏季五輪を共同開催する」との構想が提起する大会の問題点とは何か─。

渡辺氏が訴える公約のメリット

投票を前に発表された選挙公約の中で、渡辺氏はこう訴えた。

「五輪は大会の規模が拡大し、今ではさまざまな都市で開催することが経済的にも環境的にも困難になっている。大国の政治力を誇示する手段とみなされることもあり、それが五輪に対する否定的な認識につながっている」

渡辺氏の案によれば、五大陸の5都市で10競技ずつを実施し、計50競技で夏季五輪を構成する。昨夏のパリ五輪では計32競技が実施されたが、大会の規模を縮小するのではなく、分散開催によって競技数を増やす。時差のため、24時間を通しての中継も可能になるという。

IOC会長選挙に立候補した渡辺守成・国際体操連盟会長。公約のプレゼンテーションの後、記者会見で「五大陸五輪」について説明した=2025年1月30日、スイス・ローザンヌ(AFP=時事)
IOC会長選挙に立候補した渡辺守成・国際体操連盟会長。公約のプレゼンテーションの後、記者会見で「五大陸五輪」について説明した=2025年1月30日、スイス・ローザンヌ(AFP=時事)

1月下旬に記者会見した渡辺氏は、「五大陸五輪」の公約の中で、以下のようなメリットを挙げている。(1)世界中で五輪の興奮を共有し、五大陸の結びつきが強まる(2)自治体の負担は軽減され、小さな都市でも五輪を開催できるようになる(3)スポンサーは世界規模でのプロモーション活動を展開しやすくなる──などだ。

会長選には、渡辺氏の他に▽セバスチャン・コー(世界陸連会長、英国)▽フアンアントニオ・サマランチ・ジュニア(IOC副会長、スペイン)▽カースティ・コベントリー(IOC理事、ジンバブエ)▽ダビド・ラパルティアン(国際自転車連合会長、フランス)▽ヨハン・エリアシュ(国際スキー・スノーボード連盟会長、英国)▽ファイサル王子(IOC理事、ヨルダン)の6氏が立候補している。だが、渡辺氏のような大胆な改革案を示す候補は見当たらない。

渡辺氏は、選手として五輪出場などの目立った経験はないが、東海大体操競技部時代にブルガリアへ留学。その際に東欧の新体操界に人脈を広げた。ジャスコ(現イオン)入社後は社業として新体操の普及に尽力し、日本体操協会の役員から国際競技団体のトップに上り詰めた人物だ。東側諸国とのつながりもあるだけに、「五大陸五輪」で世界の連帯を訴えている。

五輪の理想像とは

五輪憲章は第32条の2で「オリンピック競技大会を開催する栄誉と責任は、オリンピック競技大会の開催地として選定された、原則として1都市に対し、 IOC により委ねられる」と明示する。「適当であると判断できるなら、IOC は複数の都市、あるいは複数の地域、州、国など他の行政単位をオリンピック競技大会の開催地として選ぶことができる」とも付け加えているが、五大陸で同時開催することなど想定してはいないだろう。

五輪は各競技の世界選手権の寄せ集めではない、といわれる。その象徴が選手村だ。競技に関係なく、各国の選手や役員、チームスタッフが一堂に会して生活することによって、若者たちの交流が生まれ、培った友好が平和な社会の構築に結びつくと考えられているためだ。

そのような視点に立てば、五大陸に分かれて開催するという構想は、本来の五輪精神から外れるのではないか、という見方もある。一方、5つの輪のマークが示すように、五大陸を同時に結びつけるという意味では、より五輪の理想に近づくという考え方もできる。

コロナ禍で進んだ技術

最新の通信技術を使えば、「五大陸五輪」も全く不可能なアイデアとはいえないだろう。渡辺氏は「21世紀の今、技術は発展し、私たちはさまざまな旅行や、インターネットを含むコミュニケーションを楽しんでいる。五輪も新しいモデルを研究しなければならない」と強調している。

新型コロナ禍の社会において、オンラインによる会議や授業、テレワークが世界中に広がり、スポーツ界にも「距離」という概念を超越する新しい潮流が生まれた。

伝統の自転車ロードレース「ツール・ド・フランス」では、世界各地のプロ選手をオンラインでつなぎ、バーチャルのコース映像を見ながら固定式の自転車でレースをする大会が実施された。コンピューターゲームの腕を競う「eスポーツ」の人気も高まり、2027年にはサウジアラビアでIOCが主催する「オリンピック・eスポーツ・ゲームズ」の第1回大会開催も決まっている。

2020年7月に開催された「バーチャル ツール・ド・フランス」。2019年総合優勝者のエガン・ベルナルら世界のトップ選手たちがエントリーした(Zwift)
2020年7月に開催された「バーチャル ツール・ド・フランス」。2019年総合優勝者のエガン・ベルナルら世界のトップ選手たちがエントリーした(Zwift)

サッカーW杯は分散開催の時代

世界的な巨大イベントを分散開催する例は、五輪よりサッカーが先行している。かつてはワールドカップ(W杯)も1カ国開催が原則だったが、2002年に日本と韓国による共催が例外的に決まった。思い起こせば、あの大会をきっかけに日韓両国の交流は活発になり、国際理解が深まったといえるのではないか。

来年のW杯は米国、カナダ、メキシコによる北中米3カ国で行われる。さらに30年大会は、スペイン、ポルトガル、モロッコの3カ国による共催を軸とし、加えて第1回大会ウルグアイ大会から100周年を記念して、ウルグアイ、アルゼンチン、パラグアイでも1試合ずつが実施される。

国際サッカー連盟(FIFA)は2030年のワールドカップ開幕戦をパラグアイなど南米3カ国で開くことをリモートで公表。大会はスペイン、ポルトガル、モロッコの3カ国の共催だが、大陸をまたいで競技を盛り上げる計画だ=2024年12月、 パラグアイ、アスンシオン (ロイター)
国際サッカー連盟(FIFA)は2030年のワールドカップ開幕戦をパラグアイなど南米3カ国で開くことをリモートで公表。大会はスペイン、ポルトガル、モロッコの3カ国の共催だが、大陸をまたいで競技を盛り上げる計画だ=2024年12月、 パラグアイ、アスンシオン (ロイター)

日本国内でも、同様の動きがある。開催地の負担が大きいため、全国知事会で廃止を求める声が上がった国民スポーツ大会(旧国民体育大会)である。今秋の滋賀大会では正式競技37、公開競技1、特別競技7の計45競技が行われる。競技数では五輪をしのぐ規模だ。

日本スポーツ協会では将来を見据えた見直しの議論を進め、有識者会議がこのほど提言案を取りまとめた。多数の競技を秋に集中的に行う現行方式を改め、トップ選手が参加しやすいよう、1年を通して会期を分散する「通年開催」という新たなアイデアだ。巨大イベントへの風当たりが強まる中、抜本的な改革は待ったなしだろう。

地球温暖化における持続可能性

地球温暖化への対応も、スポーツ界にとって不可避の課題だ。五輪の場合、十分な降雪を見込める地域が減ってきたため、冬季大会の将来的な開催が危ぶまれている。

来年2月のミラノ・コルティナダンペッツォ冬季五輪は、大都市のミラノでスケートとアイスホッケーを行うが、問題は雪上での競技だ。アルペンスキー女子やボブスレー、リュージュなどが行われる山間部のコルティナダンペッツォは、ミラノから260キロも離れている。この他、バルテリーナ(アルペンスキー男子やスノーボード)、バルディフィエメ(ノルディックスキー)という地域も競技会場となり、4会場群に分散する異例の広域開催となっている。

2026年ミラノ・コルティナダンペッツォ冬季五輪でスキーとスノーボードのフリースタイル競技があるイタリア・バルテリーナのリビーニョ。ミラノからは200キロ以上離れている=2024年11月(時事)
2026年ミラノ・コルティナダンペッツォ冬季五輪でスキーとスノーボードのフリースタイル競技があるイタリア・バルテリーナのリビーニョ。ミラノからは200キロ以上離れている=2024年11月(時事)

地球温暖化という点では、夏季五輪の開催時期を疑問視する声も根強い。ロイター通信によると、有力候補であるサマランチ・ジュニアIOC副会長は、夏の気温が極めて高い地域でも大会を開催できるよう、「夏季五輪の時期を冬にずらす」ことも提案している。資金力が豊富な中東の産油国での開催を想定しての発言かもしれない。

分断した世界を結びつけられるか

五輪の将来像が揺れる中、渡辺氏が提案する「五大陸五輪」の前には、大きな壁が立ちはだかる。分断が進む世界情勢だ。その溝が埋まらなければ、構想は絵に描いた餅にすぎない。

ロシアによるウクライナ侵攻と、パレスチナ自治区ガザにおけるイスラエルとイスラム組織ハマスの戦闘が続き、2つの戦争がスポーツ界にも暗い影を落とした。第10代IOC会長となる新リーダーには、さらに難関が待ち受ける。自国第一主義と高圧的な外交で世界を動揺させるトランプ米大統領の存在である。

「連邦政府が認める性別は男性と女性だけだ」と述べるトランプ氏は、28年に開かれるロサンゼルス五輪でトランスジェンダーの選手に入国ビザを発給しない考えを表明した。生まれたときに認定された性と自認する性が異なる人たちだ。とりわけ出生時の性別が男性で、女性を自認する選手の女子競技への参加が、競技の公平性の観点から議論になっている。

スポーツ界におけるトランスジェンダー女性の女子競技参加を禁止する大統領令に署名した米トランプ大統領。次のロサンゼルス五輪ではトランスジェンダー選手にビザを発給しないと述べた=2025年2月5日、米ワシントン(Andrew Leyden/ZUMA Press Wire/共同通信イメージズ)
スポーツ界におけるトランスジェンダー女性の女子競技参加を禁止する大統領令に署名した米トランプ大統領。次のロサンゼルス五輪ではトランスジェンダー選手にビザを発給しないと述べた=2025年2月5日、米ワシントン(Andrew Leyden/ZUMA Press Wire/共同通信イメージズ)

IOCはジェンダー平等に関する指針で「性の多様性、身体的外見、トランスジェンダーであることを理由に不公平に競技から排除されるべきではない」として、多様な性を尊重する方針を掲げる。この点、トランプ氏の価値観は明らかにIOCとは相反する。

しかし、会長選の候補の1人である世界陸連のコー会長は、トランプ氏の主張について「明確で曖昧さのない方針を確立することは重要」として、支持する意向を表明した。誰がIOCを率いるにせよ、ロス五輪に向けて、米政権との関係には神経をとがらせることになるだろう。

世界の分断は簡単には修復されそうにない。ウクライナの安全保障や軍事支援を巡って米欧の関係もぎくしゃくしている。そんな時代だからこそ、国家や人種、宗教、性差といった壁を超え、平和の尊さを分かち合うオリンピック・ムーブメント(五輪精神を広める運動)は貴重だ。新会長には、政治の圧力に屈せず、「五大陸」を真に結びつけるリーダーシップが求められる。

バナー写真:パリ五輪体操女子の表彰式に出席したIOCのバッハ会長(右)と国際体操連盟の渡辺守成会長=2024年8月1日(Xinhua/Abaca Press/共同通信イメージズ)

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    滝口 隆司TAKIGUCHI Takashi経歴・執筆一覧を見る

    毎日新聞論説委員(スポーツ担当)。1967年大阪府生まれ。90年に入社し、運動部記者として、4度の五輪取材を経験したほか、野球、サッカー、ラグビー、大相撲なども担当した。運動部編集委員、水戸支局長、大阪本社運動部長を経て現職。新聞での長期連載「五輪の哲人 大島鎌吉物語」で2014年度のミズノスポーツライター賞優秀賞。2021年秋より立教大学兼任講師として「スポーツとメディア」の講義を担当。著書に『情報爆発時代のスポーツメディア―報道の歴史から解く未来像』『スポーツ報道論 新聞記者が問うメディアの視点』(ともに創文企画)がある。

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