岸田首相のキーウ電撃訪問:インド経由の情報は漏れなかった

政治・外交 国際・海外 安保・防衛

結果的に絶妙のタイミングになったのが、3月21日午後(日本時間21日夜)の岸田文雄首相によるウクライナの首都キーウへの電撃訪問である。その意義と舞台裏を探った。

首相はゼレンスキー大統領との首脳会談で、ロシアによるウクライナ侵略を非難するとともに、ウクライナへの揺るぎない連帯と支援を継続する方針を伝えた。首相のキーウ入りは、先進7カ国(G7)首脳として最後の訪問で、国際ニュースとしての位置づけは低かったが、同じ日に中国の習近平国家主席がモスクワでのプーチン・ロシア大統領との会談で、侵略に理解を示し、結束を確認したことで、アジアの2大国の対照的な姿勢が世界に発信されることになった。

外遊時に「ぽんと行くしかない」

首相は、昨年6月のドイツでのG7サミット出席の際にキーウ訪問を検討したのを手始めに、昨年末、今年2月とチャンスをうかがってきた。現地の戦況をにらんで首相の安全確保をどう図るか、メディアと報道協定を結ぶのか、国会の事前了承をどう取り付けるか、ハードルはいずれも高かった。主要閣僚の1人も「自衛隊が(警護に)付けないし、極秘訪問は難しい。羽田空港に向かった段階で知れ渡る」と懐疑的だった。

首相が第2次大戦後、戦地や戦闘が継続している国・地域に足を運んだ例はない。現地での首相の警護が課題となるが、自衛隊法には、要人警護を目的にした自衛隊員の海外派遣を認める明示的規定がなく、警視庁の警護員(SP)しか帯同できない。しかも、毎日、首相動静がメディアから刻々と配信される日本の首相が、その保秘を徹底したままキーウに直行するのは、かなり難しい。

岸田首相は「(他の)外国に行ったときに、ぽんと行くしかない」と思い定めた。それが今回のインド訪問だった。新聞各紙の報道によると、首相は21日未明、随行を木原誠二官房副長官、秋葉剛男国家安全保障局長らSPを含む10人程度に絞り、同行記者団と政府専用機をニューデリーに置いたまま、民間チャーター機で密かにポーランドに向かった(所要7時間)。事前に公表された旅程では、首相は21日午後に帰国のため、インドをたつことになっていた。

ここでは、まかれたメディアも、ポーランドで特別列車に乗り込む駅で張り込んでいたNHKと日本テレビが首相らの映像をスクープした。保秘もここまでだったが、情報管理という観点からは、当局からの情報漏えいはなかったと言えるだろう。キヤノングローバル戦略研究所研究主幹の宮家邦彦氏(元外交官)は、23日の読売新聞のインタビューに「インドからのウクライナ訪問の情報が漏れなかったことは、国益の面でも首相の安全確保の面でも大きな前進だったのではないか」と、高い評価を与える。

「ロシア軍の残虐な行為に憤りを感じる」

首相は、日本時間21日午前、列車でウクライナに入る直前、公明党の山口那津男代表ら与党幹部に電話し、キーウ行きを初めて連絡した。メディアがそれを機に首相のウクライナ訪問を速報した後、政府は首相訪問を発表した。首相一行は列車で10時間掛けてキーウに到着するが、ホームに降り立った首相をメディアのカメラが追っていた。

岸田首相が真っ先に訪れたのが、ロシア軍による住民の大量虐殺現場となったキーウ近郊のブチャだった。首相は、教会の集団埋葬地に献花し、こう語った。「残虐な行為に憤りを感じる。日本はウクライナの平和を取り戻すため、最大限の支援を行っていきたい」

首相は21日夜、ゼレンスキー大統領と会談し、G7議長国としての責任を強調し、新たに殺傷能力のない装備品(防弾チョッキなど)3000万ドル(約40億円)分の供与、エネルギー分野などで4億7000万ドル(約600億円)の無償支援の実施を表明した。ゼレンスキー氏は「首相は国際秩序の守護者だ」などと謝意を示したという。その後、首相は列車で再びポーランドに向かった。キーウ滞在は8時間余りだった。

警護はウクライナ軍に全面依存

結局、首相の警護は、訪問を受け入れたウクライナ政府・軍が全面的に責任を負った。現地の戦況や移動時の危険度を日本が把握できない以上、やむを得なかっただろう。

これは自衛隊法の不備の問題だけではない。折木良一・元統合幕僚長によると、仮に同法を改正し、自衛隊員が随行できることになっても、戦況や治安情勢などの情報収集・分析をウクライナ軍に頼らざるを得ないからだ。国連平和維持活動(PKO)中に襲撃されたNGOなどを「駆け付け警護」して保護するケースに類似しているというのである。実際、ほかのG7首脳も、自国の軍隊や特殊部隊を帯同した場合でも、ウクライナ軍の協力・支援は不可欠だったろう。

岸田首相は23日早朝、羽田空港に到着し、同日午後の参院予算委員会で、情報管理の問題をただされ、「秘密保全、安全対策、危機管理などで遺漏ないよう最善の方法を総合的に検討した。今回の対応に特別問題があったとは考えない」と総括した。

国会の事前了承問題も、不問に付された。自民党の高木毅、立憲民主党の安住淳両国会対策委員長が22日午前に国会内で会談し、高木氏が事前に報告がなかったことに理解を求め、安住氏も受け入れた。今回に限り事前了承は不要との空気が野党の一部にもあった。

日本維新の会の馬場伸幸代表は22日、党役員会で首相のキーウ訪問について「大きく評価するべきではない。わが国は人を殺傷する能力のある兵器は供与することはできない。自衛隊を送ることもできない」と疑問を呈したが、これはこれで卓見だろう。

「必勝しゃもじ」はふさわしくないか

国会質疑で首相を戸惑わせたのは、ゼレンスキー氏に贈呈した地元広島・宮島特産の必勝と書かれたしゃもじに対する批判だった。「飯を取る」と「敵を召し捕る」を掛けた縁起物だが、24日の参院予算委員会で、立民党の石垣のりこ氏は「選挙やスポーツ競技ではない。日本がやるべきはいかに和平を行うかだ。必勝はあまりにも不適切ではないか」とかみついた。これに対し、首相は「ウクライナの方々は祖国や自由を守るために戦っている。この努力にわれわれは敬意を表し、支援をしっかり行いたい」と説明した。

立民党の泉健太代表は同日の記者会見で「緊迫した外交の中で違和感が拭えない。緊張感のなさを露呈した」と非難したが、そんなに「必勝しゃもじ」がふさわしくないだろうか。

そもそも日本は、昨年2月のウクライナ侵攻後、米欧と共にロシアへの経済制裁を強化し、プーチン氏を制裁対象者の1人としている。そのプーチン氏は3月17日、孤児を救うとの名目でウクライナの子供をロシアに強制移送した行為が戦争犯罪に当たるとして、国際刑事裁判所(ICC)から逮捕状を出されている。

ロシアは、岸田首相がキーウを訪れた3月21日に戦略爆撃機2機を日本海上空で7時間にわたって飛行させた。28日にはロ海軍太平洋艦隊のミサイル艦が、日本海で対艦巡航ミサイル2発を発射し、100キロ離れた標的に命中した、と発表した。ロシアは昨年3月に日本を「非友好国」と位置づけ、その後も挑発を繰り返している。

そのロシアと戦うウクライナの必勝を願うのは、日本として当然ではないのか。平和はウクライナが勝利しない限り、得られない。岸田首相は決して言葉遊びをしているわけではない。

バナー写真:岸田首相は、ゼレンスキー大統領に出迎えられ、握手した(2023年3月21日、首都キーウで。共同通信イメージズ)

ロシア インド ウクライナ 岸田首相 ゼレンスキー ウクライナ支援 ウクライナ問題 キーウ