通年化でトップ選手は参加するのか─迷走続ける国民スポーツ大会、廃止論浮上から1年

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戦後間もなく始まった国民体育大会(旧国体)は、昨年から国民スポーツ大会と名称を変えたものの、社会の関心は低く、迷走を続けている。開催自治体の負担が増大する中、全国各地の知事から廃止を求める声が上がったほどだ。有識者会議での議論を経て結局は存続する見通しとなったが、将来的に持続可能なのか、懸念はなお拭えないままだ。

波紋を広げた宮城県知事の「廃止」発言

大会の存廃に注目が集まったのは、昨年4月のことだった。全国知事会の会長を務める宮城県の村井嘉浩知事が、地元での定例記者会見で「あくまでも私、個人的な考え方として、廃止もひとつの考え方ではないかなと思っている。ここで立ち止まって、よく考える必要があるのではないか」と発言したからだ。村井知事は、大会運営や準備にかかる財政的な負担を挙げたうえで、トップ選手が出場しない現状や、競技成績を争う都道府県対抗方式についても疑問を呈した。

他県の知事も廃止の方向性に賛同した。石川県の馳浩知事は「廃止すべきだ。限られた人に負担がかかり、働き方改革に逆行する」と述べ、存続するにしても2年に1回とするなどの見直しを求めた。島根県の丸山達也知事も「今のまま(47都道府県の持ち回り開催が)3巡目に入るのであれば廃止すべきだ。(費用面から)そもそも開催できない」との考えを強調した。

一方、今後の開催地に決まっている県の知事らは、存続すべきとの立場だったが、それでも多くは見直しが必要との見解を示した。全国から選手や役員らが集まる巨大イベントだ。「国民スポーツ大会」と名称変更して初めて開かれた昨年の佐賀大会には、37競技に1万8000人の選手が出場し、県内各地の会場には選手・役員、観客らを合わせて49万5000人が参加したという。カネもヒトも不足する地方にとって、負担の重い行事であることに間違いはない。

国体の歴史的意義とは

歴史を振り返り、あらためてこの大会がもたらした功罪を考える必要はあるだろう。1946年、戦後のスポーツ振興を目指す日本体育協会(現日本スポーツ協会=JSPO)が大会創設を発案し、第1回は戦災を免れた京都府を中心とする京阪神地域で開いた。その後は47都道府県で持ち回り開催となり、今は2巡目の後半となっている。現在はJSPO、文部科学省、開催都道府県の3者共催で、2035年からは3巡目に入る予定だ。しかし、それを前に廃止論が持ち上がったのだ。

国民の健康増進や体力向上、地方スポーツの振興や文化の発展を目的に歴史を刻んできた大会だ。約80年間にわたる開催を通じて全国各地に競技施設が建設され、周辺の道路も整備された。スポーツ組織も地方の隅々にも張り巡らされた。

1951年の広島国体で、グラウンドから満員の観衆に応えられる天皇、皇后両陛下=広島総合グラウンド(共同)
1951年の広島国体で、グラウンドから満員の観衆に応えられる天皇、皇后両陛下=広島総合グラウンド(共同)

競技成績を都道府県対抗で争うため、開催地は総合優勝を果たして盛り上げようと数年前から競技力向上に取り組む。とはいえ、地元選手だけでは強化に限界があり、他県から有力選手を集める例も少なくない。大会後もその地に残り、指導者としてスポーツの振興に貢献する選手もいる。だが、開催地を転々としながら競技生活を続ける「渡り鳥」と呼ばれる選手も多く、大会のいびつさを浮き上がらせた。

戦後の混乱期から高度成長期を経ていく中で、地方のスポーツ振興やインフラ整備の面で大会が果たした役割は大きかっただろう。しかし、人口減少が進み、財政も逼迫(ひっぱく)する地方において、開催にかかる負担は重い。個人でスポーツジムに通ったり、健康管理に取り組んだりする人も多くなり、大会が国民の体力向上や健康増進に寄与するとはいえなくなった。

競技の現場も変容している。戦後の復興期は、大会が日本の競技力向上を推進する基盤となり、五輪に出場するような有力選手が競い合った。だが、今はトップアスリートの多くが海外を転戦する。個人競技では、五輪の出場権を得るために、国際試合に出場してポイントを積み重ねる。団体競技では、サッカーのように海外のクラブに所属する選手も多くなった。かつてと比べ、日本国内の大会に出場する機会は激減しているのが実態だ。

「簡素化」「活性化」2003年から続く改革論議

大会の改革は2000年代初頭から続けられてきた。当初は「簡素化」と「活性化」が掲げられたが、課題は今もなお解消されていない。その2つは相反するテーマでもあるからだ。

簡素化という点では、2003年当時の日本体育協会が推進した施策「国体改革2003」によって、大会の参加者が15%(約4500人)削減され、夏季・秋季に分かれていた大会が一本化された。一方、活性化については、世界選手権などに出場した選手の予選免除や、女子種別の拡充、中学3年生の参加競技拡充などが行われた。

それから20年以上がたっても、開催地の負担軽減は進まず、廃止を求める声が上がる状況だ。全国から多種多様な競技の選手を集め、毎年同じ時期に大会を行うという方式には無理が出てきたと言わざるを得ない。だが、スポーツ基本法にも規定されている大会であり、簡単には廃止できない事情もある。五輪や万博のような巨大イベントに公的資金を投入し、民間企業を利する風潮は「祝賀資本主義」(セレブレーション・キャピタリズム)と呼ばれるが、国民スポーツ大会もその体質から抜け出せていないように見える。

全国知事会は昨年8月、JSPOに対し、「3巡目国スポの見直しに関する考え方」を提出し、「大会の意義やあり方をゼロベースで再検討することが重要と考える」と要望した。開催時期や大会期間の弾力化、都道府県対抗の再考、開閉会式の簡素化などを挙げ、財政負担の見直しという項目では、開催費用の半分以上を国とJSPOで負担するよう求めた。施設整備や改修に対しても、現在より手厚い財政支援を訴えた。

遠藤利明日本スポーツ協会会長(左)へ「3巡目国スポの見直しに関する考え方」を手交する村井 嘉浩 全国知事会会長(宮城県知事、中央)と阿部 守一長野県知事(右)=全国知事会提供
遠藤利明日本スポーツ協会会長(左)へ「3巡目国スポの見直しに関する考え方」を手交する村井嘉浩全国知事会会長(宮城県知事、中央)と阿部守一長野県知事(右)=全国知事会提供

海外転戦のトップ選手は過密日程

これを受け、JSPOは有識者会議を設けて「トップアスリート(選手)と地域スポーツの好循環~人と地域の未来を創る~」という新たな理念を打ち出した。「国民スポーツ大会は、スポーツの本質と価値を生かし、人々の生き方と地域、社会を豊かにする、トップアスリートが参加するわが国最高の総合競技大会である」という大会像を描いている。

提言によれば、トップ選手の参加を促すために、大会の開催時期を「通年化」するという。これまでのように一時期に集中して大会を行うのではなく、競技によって開催する時期を分け、1年を通して大会を実施する方式だ。この他に複数都道府県にまたがる開催や、競技によって開催場所を固定化する案も挙げられている。

だが、過密スケジュールに追われて海外を転戦するトップ選手が、本当に参加するようになるのか。五輪や世界選手権の代表選考会と大会をリンクさせるなど、出場の必要性がなければ、参加は容易に見込めないだろう。

有識者会議は、通年化によって開催地の負担も軽減できるとしている。人的な負担は確かに分散されるかもしれない。だが、肝心の財政課題については、国とJSPO、開催地との分担割合は示しておらず、「JSPOが主体となり、入場料の徴収や企業協賛制度の見直しにより新たな財源を確保する」と述べられている程度だ。

2010年の千葉国体アーチェリー競技。近年は大会全体を通しトップ選手の参加が減っている(PIXTA)
2010年の千葉国体アーチェリー競技。近年は大会全体を通しトップ選手の参加が減っている(PIXTA)

「JAPAN GAMES」でブランド再構築も

大会のブランド構築も迷走している。そもそも、国民体育大会が国民スポーツ大会と改称したのには、背景がある。2018年に主催者である日本体育協会は、日本スポーツ協会へと組織名称を変更した。教育的な意味合いを含む「体育」よりも、体を動かす楽しみや気晴らしを意味する「スポーツ」の方が時代に合っているとの認識が高まっているためだ。

これに伴って大会名も変更し、英語での表記は「NATIONAL SPORTS FESTIVAL」から「JAPAN GAMES」に変わった。だが、新名称が一般に浸透しているとは言い難い。

今回の提言では「多くの国民が高い競技水準のパフォーマンスに触れる機会を創出し、幅広く参画し、熱狂し、つながることができるスポーツの祭典(「JAPAN GAMES」)へと変革する必要がある」と記されている。だが、トップ選手の参加が不透明な中、この大会に国民的な熱狂を求めるのは難しいのではないか。

JSPOは国民スポーツ大会だけでなく、シニア世代を対象にした日本スポーツマスターズ、スポーツ少年団による全国スポーツ少年大会も加えた主催3大会の「統合ブランド」として「JAPAN GAMES」という名称をアピールしている。

「JSPOが3つの大会を主催しているということは、ほとんど知られていないのが現状です。(3大会を)JAPAN GAMESにリブランディングして、認知度を上げることを目的としている」と語るのは、JSPOの森岡裕策専務理事だ。

大会の関心を高めるブランドの再構築は重要なテーマだろう。しかし、看板だけを付け替えても中身が変わらなければ、本質的な課題は解決できない。スポーツの喜びや楽しみをどうやって共有できるか。持続性をどのように図り、何を改革の中心に据えるか。JSPOは全国知事会のメンバーも入れてタスクフォースを作るというが、今後も大会の見直しを巡る積極的な議論が欠かせない。

バナー写真:国体から名称変更した国民スポーツ大会の総合開会式で入場する佐賀県の選手ら=2024年10月5日、佐賀市(時事)

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