
保守の思想と原発は共存できるか:元福井地裁裁判長の問題提起
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失った国土面積は尖閣諸島の50倍
「保守は本来現実主義である。現実を直視しようとしない保守は、理想を語らない革新と同じくらい無価値である」
私は昨夏出版した「保守のための原発入門」(岩波書店)の冒頭でそうつづった。保守を標榜(ひょうぼう)し、愛国心の大切さを説く自民党の理念と、福島原発事故後においても原発の維持・推進を説く自民党の政策との間に乖離(かいり)、矛盾があるのではないかという趣旨だ。
私はこの本で次の3点を訴えた。まず、そもそも原理的に原発は保守思想や愛国の精神と相容れないこと。第2に原発は構造上、地震に対して脆弱(ぜいじゃく)であること。第3に防衛上の観点からも原発が脆弱であること、である。
東京電力福島第1原発の事故によって15万人以上の人々が故郷を追われ、今なお2万人を超える人々が帰ることができない。そして、14年が経過した今も「原子力緊急事態宣言」は解除されていない。
福島県では一般人の被ばく限度を年間1ミリシーベルトから20ミリシーベルトに引き上げたにもかかわらず、帰還困難区域は300平方キロメートルを超えている。これは名古屋市の面積に匹敵し、わが国は、沖縄・尖閣列島の50倍にも及ぶ国土を失ったことになる。また、100万人に1人しか発症しないはずの小児甲状腺がんに罹患(りかん)した若者は300人を超え、そのほとんどが手術を要する重症患者である。
私が、福井地裁で関西電力大飯原発の差し止め請求訴訟を担当していた2013年ごろ、政権に返り咲いた自民党や経済界は「原発を止めると火力発電所のために石油や天然ガスを輸入しなければならず、国富の流失や喪失が起きる」と訴えていた。
これに対し、14年5月21日福井地裁判決は「たとえ大飯原発の運転停止によって多額の貿易赤字が出るとしてもこれを国富の流失や喪失というべきではなく、豊かな国土とそこに国民が根をおろして生活していることが国富であり、これを取り戻すことができなくなることが国富の喪失であると当裁判所は考えている」と答えた。
自民党や経済界の主張と、福井地裁判決のいずれが、福島原発事故の現実を直視した真の保守の主張であろうか。いずれが愛国心からの主張であろうか。
停電だけで引き起こされた過酷事故
原発の本質は、第1に、いかなる時も人が管理し、電気で水を送って原子炉を冷やし続けなければならないこと。第2に、電気または水が途絶えればたちまち原発は暴走し、その被害はわが国を滅ぼし得る規模に達することである。
福島原発事故でわが国は「東日本壊滅」の寸前まで追い詰められた。事故当時に現場で指揮を執った吉田昌郎(まさお)所長は、ベントができなかった2号機の格納容器が破裂して東日本が壊滅することを覚悟した。当時の原子力委員会委員長も東京を含む福島第1原発から250キロメートル圏内が避難区域になることを予想した。
福島の事故は、地震や津波で原子炉が壊れたわけではない。地震によって外部電源が断たれ、津波によって非常用電源も断たれたことで起きた。要するに停電しただけで原子炉を冷やし続けることができずにあれだけの事故になったのである。
したがって、原発の耐震性とは原子炉や建屋の耐震性ではなく、配電・配管の耐震性にほかならない。ところが、わが国の原発は耐震設計基準である基準地震動が600ガルないし1000ガル(ガルは地震の強さを示す加速度の単位)程度であるのに対し、わが国では1000ガルを超す地震は珍しくなく、4000ガルを超える地震も起きている。このため、ハウスメーカーの中には5000ガルの揺れにも耐えられる建物を提供しているところがある。
全国で17カ所しかない原発敷地のうち、4カ所の敷地(女川原発、志賀原発、柏崎刈羽原発、福島第1原発)で合計6回(女川原発と志賀原発は2回ずつ)にわたり原発の基準地震動を超えた地震が到来している。わが国の面積は全世界の陸地面積の約0.3%に過ぎないが、そこで世界の地震の10分の1以上が起きている。わが国は世界一の地震大国である。そしてわが国には全世界の原発の約10%に当たる54基もの原発が海岸沿いに建設されている。
ハウスメーカーは「地震大国日本では建物敷地にどのような地震が来るかは予知予測できないから、今までに到来した一番強い地震にも耐えられることを目指す」との理念に基づいて建築している。
政府は今年2月に閣議決定した第7次エネルギー基本計画において、「原発依存度の可能な限りの低減」という文言を削除し、原発回帰の姿勢を明確に打ち出した。ただし、原発の耐震設計基準は、依然として「原発敷地に到来した過去の地震や地盤等を分析すれば、その原発の敷地に将来到来する最強の地震がほぼ正確に予知予測できる」との考えに基づいている。政府とハウスメーカーのどちらが現実を踏まえた科学的な判断力を持っているのだろうか。
ザポリージャ原発はなぜ敵の手に落ちたか
東京電力は年間売上げ5兆円の巨大企業であり、利益率は5%で、利益は年間2500億円程度に上っていた。しかし、福島原発事故による経済的損失は少なくとも25兆円、東電の年間利益の100年分である。一度の事故が100年分の利益を吹き飛ばし、巨大企業を事実上の破産に追い込むような発電手段はコスト的に破綻している。
仮に、福島原発事故と同規模の事故が茨城県にある東海第2原発で起きると660兆円の損失(国家予算は110兆円)になると試算されている。吉田所長は2号機の格納容器の破裂を覚悟したが、格納容器のどこかに脆弱な部分があり、そこから圧力が抜けて破裂を免れた。「2号機の奇跡」と言われるものであり、仮にこの奇跡がなかった場合の経済的損失は2400兆円に達したであろうと試算されている。
これらの数字は、原発問題が単なるエネルギー問題ではなく、国の存続にかかわる問題、すなわち国防問題であることを示している。このことは、ロシア・ウクライナ戦争においてさらに明らかになった。ヨーロッパ最大のザポリージャ原発はロシアの「攻撃するぞ」との脅しだけで簡単にロシアに明け渡された。本当に攻撃されれば東ヨーロッパ壊滅の危機に陥るからである。
「原発は自国に向けられた核兵器である」と言われるが、誠に至言である。その原発が地震に対しても、仮想敵国に対しても、テロに対しても、無防備なままに海岸沿いに54基も林立している。自民党政権は敵基地攻撃能力の保有に反対し専守防衛を説く者を「お花畑」だと揶揄(やゆ)する一方で、原発が国防上の最大の弱点であることに無関心・無頓着のままである。
「自国に向けられた核兵器」を除去するためには、膨大な防衛費も、難しい外交交渉も要らない。現実を冷徹に見る目と、豊かな国土を守り次の世代に引き継ぐという保守の精神が必要なだけである。
過去の著書で私は原発の法的な問題を扱っていたが、「保守のための原発入門」で私自身の政治的立場が保守であることを明らかにした。脱原発運動の中心を占めている革新的な人々から反発があるかもしれないと覚悟していたが、そのようなものは全くなく、賛同の意見が多く寄せられた。
他方、保守とおぼしき人たちからは、「元裁判官が政治の場にまで口出しするな」と、私の真意をくむことを拒絶するかのような非難がなされた。ネット通販アマゾンの読者評価ではまるで動員されたかのように揚げ足取り、誹謗(ひぼう)中傷のコメントに賛同する人の数が増えていった。しかし、私は寛容さを旨とする真の保守ならば、私の真意をくみ取ってくれるものと確信している。
現在の科学では地震の予知予測ができないことを、地震学者も認めている。私は、明日にでも起きるかもしれない巨大地震によって原発事故が発生し、わが国が崩壊してしまうかもしれないことを多くの人に知ってもらいたいだけである。
バナー写真:福島県富岡町の帰還困難区域=2023年11月(時事)。筆者は、同区域が「名古屋市の面積に匹敵し、わが国は沖縄・尖閣列島の50倍にも及ぶ国土を失ったことになる」と指摘している。