日鉄・USスチール問題:トランプ政権下で「打開にかすかな望み」、取引次第で―元経産官僚の細川氏

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日本製鉄によるUSスチール買収がバイデン前米大統領の手で突如、中止された。中間選挙をにらんだ政治的な動きとみられるが、返り咲いたトランプ新大統領は果たしてどう対応してくるのだろうか。かつて日米鉄鋼交渉の最前線にいた経済産業省OBの細川昌彦氏(明星大学教授)に話を聞いた。

細川 昌彦 HOSOKAWA Masahiko

明星大学経営学部教授、国際経済交流財団・特別参与。1955年生れ、東京大学法卒、ハーバード・ビジネス・スクールAMP修了。 77年通産省(現経済産業省)に入省し、中部経済産業局長、スタンフォード大学客員研究員、ジェトロNYセンター所長などを歴任。2020年9月より現職。グローバル企業の顧問、政府のセキュリティ・クリアランス有識者会議メンバー。経済安全保障、日米関係、半導体などをテーマにテレビ出演、講演など多数。産経新聞「正論」欄への連載、日経ビジネス電子版への連載、日経新聞「経済教室」への寄稿のほか、著書に『暴走トランプと独裁の習近平にどう立ち向かうか?』『 メガ・リージョンの攻防 』など。

トランプ氏を喜ばす「大きな絵」

前米大統領のバイデン氏が年明け早々、日本製鉄によるUSスチール買収に中止命令を出したのは、2026年の中間選挙を意識した政治判断だ。仮に買収を認めたらトランプ大統領がひっくり返すのは目に見えている。トランプ氏がいい格好して、全米鉄鋼労組(USW)も向こう側に行ってしまうのは、選挙対策としてはまずいという政治的な計算だ。もう戦いは始まっている。

では、トランプ政権下で日鉄の問題は解決できないのかというと、かすかな望みはある。日本が相手になにがしかの「成果」を与える取引ができるか次第だ。中間選挙で「俺はこんなものを取ってきたぞ」とアピールできるのだったら、180度態度が変わるのがトランプ氏だ。

トランプ氏は見栄えのする「大きな商い」を好む。日鉄単独で大きな「お土産」を作れるわけがなく、オールジャパンで取り組まないといけない。例えば、自動車業界の対米投資を増やすこと。米国の関税引き上げは自動車がターゲットになるだろう。そうすると自動車は自動車で、鉄鋼は鉄鋼で個別に戦おうとしていたら駄目。全部まとめて大きな絵を見せて取引しないと、アピール力はない。

USスチールのエドガー・トムソン製鉄所=米ペンシルベニア州ピッツバーグ近郊(時事)
USスチールのエドガー・トムソン製鉄所=米ペンシルベニア州ピッツバーグ近郊(時事)

第2期トランプ政権のポイントは「製造業の復活」。ここを狙って日本が協力する姿勢を示す。例えば、半導体の材料・装置メーカーが対米投資すれば、米国の半導体産業の裾野を支えることになるとアピールできる。

もう一つ大事なのは、トランプ氏の自尊心をくすぐるようなロジックだ。第1期政権時に鉄鋼関税が引き上げられたのを契機に、日鉄は輸出ではなく、米市場参入に向けてUSスチールの買収に動いた。日鉄は米社に設備投資し技術を供与するのだから、米国の製造業を復活させるモデルケースの第1号となる。「第1期であなたのやった関税引き上げの成果がやっと表れたんですよ」と言って自尊心をくすぐるのも手だ。

世界の鉄鋼メーカーの粗鋼生産量ランキング(2023年)

「日鉄の買収支持」が実は多数派

日鉄のUSスチール買収を阻止しようとしたのは、同業のクリーブランド・クリフスだ。2023年にUSスチールの売却入札で、日鉄に負けてしまった。それでも資金力がないから安く買い叩こうとし続けている。USWの組合員もクリフス所属が多数派であり、両者が手を握っている。クリフスのゴンカルベス最高経営責任者(CEO)は業界でも名うての嫌われ者。USスチールはクリフスに買収されたら、高炉が閉鎖されたり、人員整理されたりする可能性があり、従業員は嫌がっている。

仮にUSスチールとクリフスが統合すれば、全米の高炉の100%を押さえることになる。ユーザー業界の自動車メーカーにとっては、価格が高く、質も低い鋼板を購入すると競争力に響いてくるので、米社同士の統合に猛反対している。全米商工会議所も反対を表明している。米メディアの論調もそうだ。

日鉄によるUSスチール買収を巡り、判断を回避しバイデン氏に委ねた対米外国投資委員会(CFIUS)も実は「9対1」で賛成の方が多く、反対したのはバイデン氏の意向に沿った通商代表部(USTR)のキャサリン・タイ氏だけだった。全会一致原則のため、意思決定ができなかったに過ぎない。こう見ると、クリフスとUSWを除けば、米国では日鉄とUSスチールの統合を望む声の方が実は大きい。

「疑念」を持たれる石破政権

日鉄の米社買収問題を動かすには、安全保障上の問題を大真面目に議論するよりも、取引材料の「大きな絵」が必要だと言ったが、現実に日本でそういう動きがあるわけではない。役所だけに任せていたらできず、政治が「大きな絵を描け」と言って役所に指示するしかない。日鉄に恩を売るような話を自動車業界に協力してもらうような大仕掛けは、政治のトップダウンでないとできない。ただ、現状の少数与党の石破政権ではなかなか難しく、悲観的にならざるを得ない。

どういうタイミングでカードを切るべきか、よく考えないといけない。トランプ氏との取引は「製造業の復権」が鍵になっているから、そこに刺さるものでないといけない。

心配なのは、石破政権が「中国シフト」だと米国に疑念を持たれており、トランプ氏との電話会談もわずか5分で終わるなど、あまり相手にされていない点だ。石破首相が「日本は米中の間でのバランス外交」と発言したこともいただけない。2月にも訪米し、首脳会談が行われる方向だが、こうした疑念の払拭が一番大事だ。日鉄の話どころではないだろう。そんな日本だったら買収案件も国家安全保障上の懸念があると言われかねない。

買収失敗は日鉄にとって大打撃

日鉄のUSスチール買収案件は米大統領選の渦に巻き込まれてしまったが、買収入札が2023年に行われたのだから、日鉄側が大統領選の影響を回避しようにも選択の余地はなかった。

ただ、米国の政治に対する感度が鈍っているのは気がかりだ。同社は24年7月、元国務長官のポンペオ氏をアドバイザーに起用したが、これはまずかったと思う。民主党にも共和党にもコネクションがある有力者として起用したというが、彼は第1期政権時にトランプ氏との関係が悪く、対立していた。現に彼の起用を聞いてトランプ氏は怒ったという。

私は25年ほど前、日米鉄鋼摩擦の交渉責任者として、日鉄と一緒に取り組んだ。当時の同社は精鋭部隊を米国に置いてロビーイング力が非常に優れていた。しかし、その後は通商摩擦がないから、情報収集能力が低下しているのではないか。ポンペオ氏のアドバイザー起用は見直した方がよいと思う。

またバンス副大統領の地盤は、クリーブランド・クリフスの本拠地であるオハイオ州。バンス氏をどう説得するか。ここも手を打たないといけない。

日鉄にとって、USスチール買収が失敗すると、経営戦略上の打撃は大きい。その場合は代替案を考えないといけない。買収でなければ、資本提携とか技術提携とかになるが、協力範囲が限定されてしまうから、ほかの鉄鋼メーカーを抱き込むなど、戦略の塗り替えが必要になる。

ただし、今回の問題は米国の対日政策の一環として生じているのではなくて、あくまでもクリーブランド・クリフスのゴンカルベスCEOとUSWが引き起こしている個別案件であって、一般化はできない。仮に問題が解決できないとしても、日本の対米投資や米企業買収の阻害要因にはならないのではないか。対米投資については、中国以外はウェルカムというのが米国の姿勢だ。もちろん、日鉄に関する対米交渉上は「日本の産業界にも影響が及びかねない」と戦略上、言い続けた方がよいと思うが。

(聞き手:ニッポンドットコム編集部 持田譲二)

バナー写真:日本製鉄の東日本製鉄所鹿島地区(AFP=時事)

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