外交関係樹立100周年を迎えたトルコと日本:皇室との縁と助け合いの歴史

国際・海外 政治・外交

日本とトルコは1924年の外交関係樹立から100年を迎えた。親日国として知られるトルコ。両国の結びつきを、歴史とエピソードを通じて振り返る。

1890年から始まる友好関係

2024年はトルコ共和国と日本の外交関係樹立100周年の記念の年である。1924年8月6日、両国は公式な外交関係を結び、翌1925年3月にイスタンブールに日本国大使館が開設された。そして、同年11月には小幡酉吉(おばた・ゆうきち)が初めて特命全権大使に任命され、現地に赴いた。

とはいえ、トルコと日本の関係のルーツはやはり1890年のエルトゥールル号事件までさかのぼるのが一般的である 。当時のオスマン帝国のスルタン、アブドュルハミト2世によって日本に派遣されたエルトゥールル号が、帰途にあった9月16日に現在の和歌山県串本町にある紀伊大島東端の樫野埼(かしのさき)付近で難破し、船員581名が亡くなった。この事故の際、何人かの船員が自力で陸にはい上がり、救助を求めたようだ。串本町の住民は懸命に船員たちの救助と介抱に当たり、69人が一命をとりとめた。

日本の皇室外交

エルトゥールル号事件はその後のトルコ・日本関係を規定した、縮図のような出来事であった。その理由は大きく2つある。1つ目は、エルトゥールル号が日本に派遣された理由が、1887年の小松宮彰仁(あきひと)親王ご夫妻のイスタンブール訪問に対する返礼だったことである。皇室外交は、その後の両国関係を支える大きな要因となった。国交樹立後の1926年6月には日本トルコ協会が設立され、初代総裁には高松宮宣仁(のぶひと)親王が就任した。同協会の現在(2024年11月)の総裁は三笠宮家の彬子(あきこ)さま(記事冒頭の写真)である。

昭和天皇の弟で、古代オリエント史の研究者でもあった三笠宮崇仁(たかひと)親王はとりわけトルコへの思い入れが強く、1963年4月にトルコを訪問し、当時の大統領や首相らと会談した。さらに79年に完成した中近東文化センター(東京都三鷹市)、そして98年にその付属機関として、トルコのクルシェヒル県アナトリア考古学研究所を設立させる中心人物となった。同研究所は考古学者の大村幸弘所長を中心に、カマン・カレホユック遺跡、ヤッスホユック遺跡、ビュクリュカレ遺跡の発掘調査を行っている。

外交関係100周年を記念して、秋篠宮さまご夫妻が12月3日からトルコを訪問する。皇室が両国の友好に重要な役割を果たしていることを改めて印象付ける機会となろう。

両国間を象徴する「助け合い」の精神

エルトゥールル号事件がトルコと日本の関係を規定している2つ目の理由は、両国関係に見られる助け合いの精神である。1985年3月にイラン・イラク戦争時にテヘラン上空でイラク軍が航空機を攻撃する可能性が高まった際、テヘランとの間に直行便がなく、自国民の救助が困難であった日本の代わりに、トルコ航空機がテヘラン在住の日本人をイスタンブールまで輸送した。エルトゥールル号事件の「お返し」として、両国の友好関係を示すエピソードとなっており、2015年にトルコと日本合作で制作された映画『海難1890』でもエルトゥールル号事件とこのテヘランの日本人救出劇が取り上げられた。

その後も助け合いの精神は連綿と続いている。トルコと日本の共通点は、地震大国という点である。トルコではここ四半世紀だけでもマグニチュード6以上の地震が8回起こっている(※1)

読売新聞の記事によると、1923年の関東大震災の際にアンカラ政府(後のトルコ共和国政府)が日本政府に見舞金を送り、39年のエルジンジャン地震では日本がトルコ共和国政府に見舞金を送っている(※2) 。1999年8月にイスタンブール近郊のコジャエリ県で発生したマグニチュード7.6の地震では、約1万7500人が命を失ったが、発生翌日に高村正彦外相(当時)が外国の高官として最初にイスタンブールに入り、緊急援助隊の派遣と緊急物資の援助、総額約100万ドルの緊急無償援助の支援を表明した。日本はその後、耐震調査のための専門家派遣や2億ドルの緊急円借款、追加の緊急無償援助を行っている。95年に阪神・淡路大震災を経験している兵庫県も、トルコに500戸の仮設住宅を送っている(※3)

2011年3月11日の東日本大震災に際しては、救助隊員22人、医療関係者5人からなるトルコの支援チームが宮城県利府町を拠点とし、石巻市、多賀城市、七ヶ浜町で主に行方不明者の捜索を3週間にわたって行った。支援物資提供もあった(※4) 。一方、同年10月23日、そして11月9日にはトルコ東部のヴァン県でマグニチュード7.1、マグニチュード5.6の地震が発生し、644人が死亡した。日本政府は10月23日の地震の後すぐに対応し、JICAを通じて緊急援助物資、仮設住宅設立のための緊急無償援助、そしてテント500張を提供した (※5)。また、「難民を助ける会」などの非政府組織もヴァンに入り活動を行っていた。その中で、11月9日の2度目の地震によるホテルの倒壊で、「難民を助ける会」の宮崎淳さんが殉職した。イスタンブールのサルエル区には宮崎さんの名を冠した公園が作られるなど、トルコ人の中に英雄として名が刻まれている。

23年2月6日、トルコの南東部で2度の大地震が発生、トルコ、そして国境を挟んだシリアで合わせて5万2000人以上の死者を出した。この地震に際しても日本政府は、救助チーム、医療チーム、専門家チームからなる国際緊急援助隊を派遣するとともに、緊急援助物資の提供、850万ドルの緊急資金援助、JICA専門チームの派遣などを展開した(※6)

トルコの新聞では日本を、本当に困った時に駆け付けてくれる友人を意味するKara gün dostと表現することがある。このことからも両国関係の絆の深さが伺える。

今後は経済協力分野の発展が急務

次の100年に向けて、両国関係には何が必要か。防災に関して、両国はより関係を強化していくことが予想される。貿易面では長い間自由貿易協定(FTA)に関する交渉が続けられているものの、締結には至っていない。FTA締結で貿易の拡大が期待されるが、現状は日本の輸出が多い不均衡なものとなっている。この不均衡解消も課題である。

近年、トルコは軍需産業に力を入れており、ドローン兵器を40カ国以上に輸出している。ただし憲法9条を有する日本にとって、軍需製品の輸入は国内世論の反発なども予想され、得策ではない。皇室外交と防災をてこに新たな経済協力の分野を発見することが、両国関係をより深化させることになるだろう。

バナー写真:日本・トルコ外交関係樹立100周年祝賀レセプションで、両国の交流を示す展示を見学される三笠宮家の彬子さま=2024年11月6日、東京都千代田区(時事)

(※1) ^Timeline: Turkey hit by most devastating earthquake since 1999”, Aljazeera, 6, February, 2023.

(※2) ^ 丸山淳一「「地震国」だけではない…130年前の海難に始まる日本とトルコの絆と三つの共通点」『読売新聞オンライン』2023年3月1日 2024年11月20日閲覧。

(※3) ^ 同上。兵庫県はその後、アンカラの土日基金と共同でトルコでの防災教育に関して、現在に至るまで継続的に協力を行なっている。

(※4) ^ 外務省ウェブサイト「トルコ共和国 基礎データ」2024年11月22日閲覧。

(※5) ^ 同上。

(※6) ^ 同上。

外交 トルコ