「ハローキティ」50周年、「カワイイ」魅力の謎と進化をたどる

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2024年、生誕50周年を迎えた“キティちゃん”。実は「ネコじゃなくてロンドン生まれの女の子」というサンリオの「公式見解」が、かつて世界的ニュースになったこともあるほど、注目を集めてきたキャラクターだ。改めてその歴史と人気の背景を考察する。

ハローキティ50周年に最高益

1974年生まれの「ハローキティ」の生誕「周年」はサンリオの歴史的ハイライトと奇妙なほど一致している。25周年は1502億円(1999年3月期)と史上最高の売上高を記録。40周年(2014年3月期)は海外売上高比率が最大(36%)となり、同時に過去最高の営業利益(215億円)を記録。その後、2015年3月期から7期連続で減収減益が続いたが、50周年を迎えた24年3月期には、14年の記録を上回る270億円の営業利益を上げ、時価総額は7000億円超に達した。

©2023 SANRIO  著作(株)サンリオ
©2023 SANRIO 著作(株)サンリオ

この復活劇の背景には、2020年、現名誉会長の辻信太郎氏(当時92歳)から孫の辻朋邦氏(同31歳)への社長交代がある。1960年の創業以来初のトップ交代だった。また、過去10年間で売り上げにおけるキティ比率は75%から50%へと激減。キティ依存からの脱却も果たしていた。

サンリオの業績推移(連結)

米大リーグ・ドジャースの本拠地「ドジャースタジアム」で、マリナーズとの試合前、始球式に登場した「ハローキティ」=2024年8月29日、米ロサンゼルス(時事)
米大リーグ・ドジャースの本拠地「ドジャースタジアム」で、マリナーズとの試合前、始球式に登場した「ハローキティ」=2024年8月29日、米ロサンゼルス(時事)

ソニーの背中を追う

サンリオは、山梨県庁に勤務していた辻信太郎が1960年に東京で設立した「山梨シルクセンター」を前身とする。当初は絹製品やワインなど県産品を扱っていた。

60年代、日本で「キャラクター」文化が芽吹いた。前年にウォルト・ディズニーの日本支社が設立され、任天堂はミッキーマウスなどのディズニーキャラクターを絵柄にしたトランプを発売し、大ヒット。(玩具・模型の輸出入/販売会社)国際貿易がバービー人形を売り出し、タカラ(現タカラトミー)がリカちゃん人形を開発した。

62年、辻はイチゴ柄のハンカチを制作し、以後、キャラクター商材に参入する。「かわいいもの」を集めようと精力的に新進気鋭のアーティストとのコラボを推し進め、65年、天才画家と呼ばれた水森亜土がデザインしたキャラクター「亜土ネコミータン」の陶磁器をヒットさせた。70年代からは社内デザイナーを採用し、オリジナルのキャラクターを生み出していく。

「ハローキティ」30周年で「ハローキティ」とポーズする辻信太郎氏=2009年10月(時事)
「ハローキティ」35周年で「ハローキティ」とポーズする辻信太郎氏=2009年10月(時事)

73年、社名を「サンリオ」に変更。スペイン語のSan Rio(聖なる川)に由来するが、カタカナへの改名にはソニーのように世界に羽ばたきたいという辻の思いがあったようだ。ソニーの前身は「東京通信工業」。創業者の盛田昭夫が、海外展開を視野に入れ、1955年に社名をブランド名の「SONY」に変えて米国で躍進したからだ。

2頭身で口のないキャラの誕生

1974年、自社デザインのキャラを開発するにあたり、当時すでにビーグル犬「スヌーピー」(68年にライセンス認可を受けていた)が人気だったので、20代の社内デザイナー(当時)・清水侑子が描いた、リボンを付けた2頭身のネコが採用された。口がないのは、その方が逆に何かを語りかけるのではと考えたからだという(清水美知子「『いちご新聞』にみる<ハローキティ>像の変遷/関西国際大学研究紀要、2009年)。

翌年にハローキティ商品第1号の小銭入れを発売すると予想以上の大ヒット。当初は名前がなく、「Hello!」と書いてあるだけだった。後日、清水の愛読書『鏡の国のアリス』に登場するアリスの飼い猫「キティ」から名前をもらった。以後、「マイメロディ」「キキ&ララ」「タキシードサム」「けろけろけろっぴ」など、続々と新たなキャラが生まれる。

辻があこがれていたソニーも、1978年にソニー・クリエイティブプロダクツを設立し、キャラクター・ビジネスに参入。80年代は国産キャラクターの一大ブームになっていく。

70年代末に、当初のキティ人気は下火になっていたが、80年に3代目デザイナーに就任した山口裕子が、人気復活に貢献する。テニスをしたり、テディベアを抱いたりなど、キティのポーズに動きを持たせ、トレンドに合わせてファッショナブルに演出するデザイン上の革新を敢行したのだ。

サンリオは毎年、5~10種の新たなキャラクターを生み出し、その数はこれまでに450を数えるが、大半は何年かすると店頭から消えていく。その中でキティだけが50年にわたり存在感を発揮している背景には、デザインの進化と柔軟なライセンス運用がある。

キティ10周年となる1984年3月期のサンリオの売り上げは717億円。「ファミリーコンピュータ」発売前夜の任天堂が同677億円、バンダイですら同600億円超という時代に、サンリオがいかに突出していたかが分かる

自前のデザイン力、雑貨商品にキャラをライセンスするマーケティング力に加えて、サンリオの強みは直販・フランチャイズ店舗を全国展開する営業力だ。1970~90年代、全国で200店舗の直営店を設置、デパート・量販店・小売店を入れると数千店舗に及んだ。こうした流通・小売りネットワークの拡大を通じて、90年代には「ギフト雑貨シェアはサンリオが8割」といわれるほどになった。

ハローキティ歴代のデザイン ©2023 SANRIO 著作(株)サンリオ
ハローキティ歴代のデザイン ©2023 SANRIO 著作(株)サンリオ

30年かけて勝ち取った海外での成功

絶好調の国内とは対照的に、海外では苦戦した。1974年米国に子会社を設立、以後欧州、アジアにも積極的に進出し、ハリウッドでは映画制作まで手掛けていた。しかし、86年、信太郎が息子・邦彦を4代目社長として米子会社に送り込んだ時には、累積赤字が36億円に達していた。販路を持たない米国市場で、邦彦はカタログと商品をトランクに詰めて米国大陸を行脚し、意地で販路を広げていったという。

娯楽の少ない内陸部や地方都市にまで小売店舗「Gift Gate(ギフトゲート)」を展開し、サンリオの雑貨を届け続けた時代が、ハローキティの米国攻略の第一の“地層”を形成する。「日本からきたカワイイ小物」に心ときめかせた子どもたちの集合的な記憶が世代の記憶となり、時を経る中でそれぞれの世代の記憶が積み重なり、ミルフィーユのような地層を形成する。キティはこうして米国市場に浸透していった。

2000年代後半には、米国向け商品を現地で開発・デザインするようになる。高級宝飾品や化粧品、アパレルブランドとのコラボも推し進めた。この「デザインの革新」に呼応したのは、マライア・キャリー、パリス・ヒルトン、ケイティ・ペリー、レディー・ガガなどの米国のセレブ達であった。

彼女たちは、80~90年代の少女時代、サンリオの「カワイイ小物」にときめいた記憶を持つ。LVMHやスワロフスキーといった高級ブランドとキティのコラボは、「子供の頃にときめいたキャラ」を大人になっても愛好したり見せびらかしたりすることを可能にしたのである。SNS時代の到来と相まって、ライセンス商品を身に着けたセレブたちが、キティ好きを発信し、新たなキティの魅力を広めた。

サンリオ地域別売上高と海外売上高比率

サンリオはいまや130以上の国と地域でビジネスを展開する。地域別でみると、海外売上高が100億円を超えたのはキティ生誕30周年の2004年3月期。10年後の14年には同300億円超で、海外売上高比率が30%を超えた。

混迷期からのV字回復

2013年、サンリオの海外事業をけん引してきた副社長の辻邦彦氏が61歳で急死。信太郎の孫・朋邦が14年1月に入社するが、同年3月期の最高営業利益をピークに、サンリオは業績不振にあえぎ始める。

20年に社長のバトンを祖父から引き継いだ朋邦は、執行役員体制を見直して、外部の人材を登用、平均年齢を65歳から50歳まで引き下げた。組織風土改革、構造改革を進め、再成長に向けた取り組みを開始する。

デジタル事業がその最たるものだ。「ROBLOX」(ユーザーがゲームを作成、共有できるオンラインゲームのプラットフォーム)に参入、また「Web3」領域のプロジェクト(例えばメタバース空間上にあるテーマパーク「バーチャルピューロランド」の活用など)も推進する。

ライセンス先を一気にデジタルにも広げて「サンリオ時間」(生活の中でサンリオキャラクターのゲームや動画を見る時間、キャラクター商品を使っている時間などを合わせた時間)を増やすというゴールを明確にした。

創業以来の企業理念「みんななかよく」に当てる英語のフレーズを「Small Gift Big Smile!」から「One World, Connecting Smiles.」にアップデート。モノのギフトだけではなく、コミュニケーションを通じて笑顔をつなぐことで世界中に幸せの輪を広げ、新たな「みんななかよく」のエンターテインメントを目指すとする。

異業種他社へのライセンス供与によって、多くの人が接点を持つ場所にサンリオキャラが“なかよく”居続けることができるかが最重要であり、時代の変化に合わせて、ライセンスの在り方を進化させつつあるのだ。

今後、デジタル世界でもハローキティをはじめ、さまざまなサンリオキャラクターが活躍するだろう。だが、50年にもわたり、マンガやアニメに登場せずストーリーを持たない、口のない「雑貨系キャラクター」が国内外で存在感を発揮してきたのかを改めて考えてみると、やはりそのシンプルさにつきるのかもしれない。

さまざまなコンテンツがあふれる時代だからこそ、押しつけがましさのない「カワイイ」キャラクターは、癒しの力を発揮する。穏やかに寄り添ってくれるハローキティは幼い子どもたちの「記憶の地層」を重ね続け、これからも愛され続けるのではないだろうか。

【参考資料】

  • 「サンリオ物語」(西澤正史著、サンリオ、1990年)
  • 「巨額を稼ぎ出すハローキティの生態」(ケン・べルソン、ブライアン・ブレムナー著、東洋経済新聞社、2004年)
  • 「ボクらを作ったオモチャたち:シーズン2」(Netflix オリジナル作品、2018年)

バナー写真:ブラジル・サンパウロ市で2024年7月に開催された日本フェスティバルで設置されたハローキティ50周年のコーナー ©Roberto Casimiro/Fotoarena via ZUMA Press/共同通信イメージズ

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